おしどり夫婦という概念

湯浅

おしどり夫婦という概念

2022/4/20

おしどり夫婦は、他者の介入を、必要としない。新しい生命さえ、興味の対象にならない。2人で、充分なのである。2人で、世界はできている。もはや、2人で、1つである。2人でも1人ということに、疑問すら抱いていない。個体としては2つあるに過ぎない、存在としては1つにつながっている。1人が欠けると、半分の存在になってしまう。そっちの解釈の方が表現が正しい。「 個体としては2つあるが、1つの存在である 」という関係性がおしどり夫婦という世界観である。

  • 2つの個体を、ずっと、長い時間、置いておいたら、それは、1つの存在になった。
    その結果として、もう、1つの個体だと半分になってしまった。
  • もともと1つの存在だったのだけど、それをこの世界の中では、2つの個体として存在してしまった。
    もともと半分の存在だった。その個体同士が、残り半分の存在を見つけ出した。それがピッタリとくっ付いた。

いずれにしても、そこで世界は完成した。
1つの存在となった時点で、世界は完成した。
だから、新しい生命という存在を必要としない。
世界を拡張する必要性が存在しないのだ。

存在とは概念であり、物質ではない。
だから、目に見える個体が、存在の定義にならない。
存在という概念は、物質を超えて拡張できる。だから、物事の本質を掴むときには、ただ、その概念を抽象度を上げる。そうすると、物質という壁を超えられる。物質を超えた先にある、拡張現実の中に、物事の本質がある、存在という概念がある。

おしどり夫婦は、1つの存在という概念である。
そして、2人は世界を閉じた。
新しい存在を、世界の拡張の必要性を存在させない。
他者を断絶した世界が、ユートピアだった。

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