「 起源 」からの思考
2022/5/7
ニーチェ
例えば、家族、友人、同僚、コミュニティ、日本、、、
範囲を広げていけばいくほど、その価値観は多様化していくので、解釈も様々だ。
そもそも、一番近くにいる家族や、一番仲の良い友人であっても、解釈は統一されない。
それは、価値観が違うからだ。
日本人だからといって、共通の価値観のフォーマットがあるわけではない。
- 私たちは、それぞれ独自の価値観を持った、唯一の人である。
- 私たちの価値観は、生まれ育った環境で方向付けられもする。
例えば、日本か、アメリカや、インドや、アフリカでは文化が異なるから、価値観も異なる。
日本の中でも、どの地域で育ったかによって、方言の違いがある。方言 = 言葉は、価値観にとって重要な要素だ。
家族の中でも、兄弟で価値観が異なるのは、私たちは、家族よりも、友人によって影響を受けるからだ。
そして、その景色は一人一人によって異なる。
一人一人によって解釈が違うからだ。
例えば、
男性の色彩感覚よりも、女性の色彩感覚の方が優れている。
男性である私が、ピンクという時、桜もピンクだし、桃もピンクだし、カーヴィーもピンクだし、あかちゃんまんもピンクだし、マイメロもピンクだし、ピーチ姫もピンクだし、もう全部同じ色に見える。それが薄いか濃いかくらいの差しかない。それは、隣に置いて比較しないと薄いか濃いかは判断できない。
しかし、
女性は、それぞれで異なった色だと言うだろう、全然、別々の色だと。
男女では、感じ取れる色の種類が違うので、現実的に見えている世界が異なるのだ。
女性の方が、世界を色彩豊かに感じ取っているのだ。女性の服の種類が豊富なのはそのせいなんだろう。私には同じ色にしか見えない服も、女性から見たら違う色なのだ。
そう言った意味では、男性と女性は色に関して、共通の感覚を持つことはできない。何となく、わかりあうことしかできない。
私たちは、それぞれの個々人で、異なる価値観を持つから、私たちが、真の意味で共感し合うことはできない。
価値観が違うから、解釈が異なってしまう。男女の色彩感覚のように。
私と他人は、絶対的に自分と異なり、絶対に共感できないという前提を置いた上での理解である。
湯浅
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