2021/7/4

最低時給が存在しない世界1 〜 時給200円未満の日本社会
健常者が、「障害者も社会参加が必要だ」と考えて、仕事をさせているのかもしれない。それは「仕事をすることは、社会の一員である」という価値観である。
仕事
最低時給が保証されている健常者と、保証されていない障害者がいる。
仕事とは、労働の対価に金銭を得る。その仕事の難易度が高いほど、その対価も上がっていくのは事実だ。単純な作業しかできない障害者の労働の対価が低いのは、仕方がない。
私たち健常者は、仕事を選ぶことができる。仕事を選ぶどころか、仕事をしないという選択もある。
障害者にとっての仕事とは、金銭が目的でないことは明らかだ。
社会参加だとして、本人が望んでいるのか?
自由
湯浅は、今は、仕事をしていない。無職である。社会参加してない。それは、俺が望んでいることだ。自分で望んでいることだから、問題ない。
- 健常者は、自由を選択できる
- 障害者は、自由を選択できない。
障害者が自由でないのは、健常者が、その価値観によって判断しているからである。
仕事をしなければいけないというのは、健常者の価値観である。
1日800円の仕事はしたくない人が、人に、1日800円の仕事をさせている。
1日800円の仕事はできない健常者が、障害者に、1日800円の仕事を強制している。
無職だからこそ見える価値観かもしれない。

最低時給が存在しない世界3 〜 時給200円未満の日本社会
人間が、仕事によって生み出す経済的価値の社会的評価が、お金という数字である。その社会的評価以外の評価基準は何があるのか?
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