お金の本質
2021/11/17
お金とは、すべての人に、わかりやすくするために、お札や硬貨の形をしているだけだ。
交換しやすくするために、物質の形をしている。
・価値を測ることができる。
・交換できる。
・貯めておくことができる。
この役割が果たせれば、お金は現金という物質の形を為す必要はない。
自分のお金が、すべて家にある人は少ない。家には、ある程度の現金があるだけで、残りのお金は、銀行に貯金してあるはずだ。銀行ではわずかでも利子が付くし、何より安全だ。火事や泥棒のリスクがない。
私たちのお金の大半は銀行に貯金されている。
世界は、キャッシュレスの時代だ。もう、形のある現金である必要はない。
クレジットカードで、お金を使えば、毎月決まった日に、カードの支払いが行われる。銀行から、カード会社へ数字が移動する。銀行の数字が減るだけだ。スマホ、電気、ガス、水道、家賃といった支払いも銀行引き落としにしているなら、銀行からそれぞれの会社へ支払われる。銀行からそれぞれの会社へ数字が移動する。銀行の数字が減るだけだ。
私たちのお金は銀行にあって、支払いによって、数字が減少していく。
仕事をすることで、給料日にお金が、会社から銀行に振り込まれる。会社から、銀行へ数字が移動する。銀行の数字が増えるだけだ。
私たちは仕事をすることで、銀行の数字が増加していく。
銀行の数字が増えたり減ったりしているだけだ。仕事をすれば数字が増え、消費をすれば数字が減るだけだ。現金という物質に囚われていては、その本質は見えない。
私たちは、銀行の数字で、一喜一憂して過ごしている。数字が高ければ安心し、数字が低ければ不安になる。
高得点を目指すゲームと変わらない。
私たちは、ゲームのように、銀行の数字の高得点を目指している。でも、それは他人には見えないから、高級車や高級時計、ブランド品といった物質に代えて、アピールする。自分の銀行の数字が高得点であることを。大衆は、高得点のアピールのために、借金して消費している。高得点ではないことをひた隠しにして、物質でアピールする、私は豊かであると。
資本主義社会は消費が促されないと成長していかない。だから、資本主義社会は、大衆に消費を促す仕組みになっている。「借金して、家や車を買うということが豊かさだ」として、社会通念を形成していく。
資本主義社会は、投資によってお金持ちは更なるお金持ちになる仕組みだから、この仕組みは維持されていくだろう。お金持ちでない大衆が、この社会の不条理に気が付き、行動を起こすまでは。
資本主義社会にしても、その根本は、結局、銀行・金融機関の数字に過ぎない。そして、その数字の移動が経済である。
数字の移動という合理によって、社会が成り立っている。
- 大衆は、目の前に見える物資的な現金に目を奪われている。
世界を牛耳っているのは、現金ではなく、数字を動かしている人々だ。お金持ちである資本家だ。
- 大衆は、お金を使って、遊んでいる、そして、たくさんのお金があれば、もっと楽しく遊べると信じている。
資本家は、お金を使って、お金を増やしている。資産を肥大化させている。肥大化させる役割を持つのが大衆である。大衆の労働によって、資本家の資産は、増え続ける。
- 大衆は、そんな事実を知らない。
- 大衆である私たちは、自分で知識を身につけていくしかないのだ、自分に必要な知識を、自分で掴みにいくしかない。
そして、高得点を目指して、銀行残高ゲームを始める。大衆から資本家への変容を目指す。
俯瞰して、抽象化する。
・人間は、自分の人生という時間を使って、銀行の数字を増やしたり、減らしたりして、遊んでいる。
・人間の行動は、数字の移動へと帰結する。

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