【無知の知】お金と歴史と自由

歴史

お金と歴史と自由

2020/10/11

お金

軸は、お金において、学んでいるが、その興味は、派生していく。
お金とは狭義の意味であって、「なんか、自由に暮らしたいなー」っていうのが本質で、そのために、必要なのが、お金というだけである。
お金がなくても、自由に暮らせるならば、お金なんていらない。
だから、お金について学んでいるということは、広義の意味においては、自由に暮らすために学んでいるということだ。

歴史

そして、今は、歴史や、人について学んでいる。

湯浅の人生というのは、1人の人間が40年生きた歴史である。

歴史というのは、西暦から数えても、2000年もあるし、西暦以降に誕生した人間の数は、もう、よくわかない。

とにかく、歴史というのは、ものすごく、膨大な量である。
その中から、自分の興味の赴くままに、選択し、学んでいる。

そして、気付く。

無知の知 である。

今まで、こんなことも知らずに生きてきたなんて、信じられない。と思う。

と同時に、こんな大事なことを知らなくても、世界史赤点でも、大学に受かったし、社会人として働いてきたし、結婚できたし、子どももいたしって、人生を歩むことはできてきた。

今、無知の知を恥じてはいるけど、無知でも人は、生きていける。
むしろ、無知の知を自覚して、生きている人の方が少ないだろう。

他人のことは、どうでもいい。

自由

無知の知を自覚してしまうと、無知をなくしたく思うが、そんなことは、不可能である。
歴史の量は膨大であるし、今の時代を生きているのだから、学ぶべきものは、歴史だけでなく、今の時代からも学ばなければならない。

歴史だけ学んでも、投資について学ばなければ、自由な暮らしは、手に入らない。

どこかで、学ぶことに、区切りを付けなければならないのか?

学ぶ者、学者として、書く者、モノ書きとして、生きていけないか?

自由に暮らすって、難しい。

自由って難しい。

お金って難しい。

自由とは、禅の言葉で、
主体的に、積極的に、自らに依り(由り)、何ものにも、とらわれない働きをすることである

相手の働きに関わらない、絶対的な自己実現の境地が自由である。

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