【映画】生きるby黒澤明監督
2021/1/22
黒澤明監督が伝える「生きる」ということ
お金のために、時間を潰しているだけだ。それは、「生きている」とは言わない。
というシーンからはじまる。
時代の風刺であるが、今も昔も、役所は変わらない。
大切なものが、子どもであれ、何であれ、自分が本当に1番大切にしなきゃいけないのは、自分である、自分以外に、自分を大切にする人なんていないのである。
自分が死が近付いてはじめて、自分のことを考える。そうすると、自分が何のために生きてきたのかが、わからなくなる。「自分の人生って何だったんだろうか」と考える。生きる意味について考える。
盲目的に、子どものためという言い訳で、仕事をしていてきたことに気付く。お金のために仕事をしてきたことに気付く。だから、もう、どうしたらいいのか、わからなくなる。
わからなくなる、わからなくなって、はじめて生きることについて考える。でも、そんなことを考えてこなかったから、わからない。わからない。どうしたら、いいかわからない。
もう目の前に、人生の終わりが、近付いているのに、自分が何をしたいのかすらわからない。そんな風に生きてきたからだ。
夜の街に出れば、これまで、経験してこなかった、様々な娯楽がある。
死を宣告されて、はじめて、自分の本当の人生の歯車が回り出す。
そんなはじめての娯楽の中で、ふと現実に戻る。もうすぐ、死ぬかもしれないという現実に戻る。目の前にあるのは、現実にある死である。
本当にしたいこと
「自分が、死を目前にした時には、どういう行動をするのか?」
それは、自分が本当に、今、1番したいことである。
湯浅が死を目前にしたなら、もう、なりふり構わず、娘に会いに行く。自分の都合を全力で振り回して、娘に会いに行く。自分が本当にしたい1番のことは、娘に会うことだからだ。
そして、好きな国に行く。死ぬからって、自分のお金を贅沢三昧使う気はない。お金はあって困るものではないから、娘を筆頭に、家族へ配りたいからだ。酒が安くて、食事が美味しくて、居心地がいい国に行く。そこで、いっぱい酒を呑む。そして、最期の旅が終わったら、日本に帰って来て、ひっそりと、ゆっくりと、酒と食事を楽しみながら、最期の時までを、過ごす。
黒澤明監督が伝える「生きる」ことの象徴
やっぱり、若い女は、素直で、かわいい。だから、いつの時代も、男は、若くてかわいい女に翻弄される。嬉しそうに喜ぶ姿、美味しそうに食べる姿、それが、途方にもなく、癒され、満たされる。考えも新鮮である。
- 若さとは、自由である。
- 自由とは、若さである。
時間とお金
50億円を得る。その代わり、50歳をとる。
やる?やらない?
今、「30歳貯金0円」だとして、「80歳貯金50億円」なら、どっちを選ぶだろう?
30歳から80歳まで50億円ということは、年間1億の貯金、つまり、税込年収は、約2億円。それを50年続けて得られるお金が50億円という、途方もない金額だ。税込年収2億を50年続けられる人なんてほとんどいない。
でも、「80歳貯金50億円」より、「30歳貯金0円」を、選ぶのは、若さには、それほどの価値がある。未来には価値がある。時間には価値があるからだ。
だから、死ぬ間際になって、元気な若さに惹かれる。人は、手に入れられないモノが欲しいのだ。例えば、若い人は、お金が欲しい。例えば、老人は、若さが欲しいのだ。
若さとは残された未来への時間である。時間というのは、とても貴重なのだ。それに気付くのは、歳を取って時間が少なくなってから、とか、死を宣告されてから、とかである。
お金より貴重な、未来への残された時間。時間とは、即ち、命なのである。
例えば、日本のお金持ち、ソフトバンクの孫さんやユニクロの柳井さんに、時間を売れるとしたら、彼らは、金に糸目を付けずに買ってくれるはずだ。1年で、1億円?10億円?100億円?
時間がお金になる、そんな未来は遠くないと思う。
今のところ、人は、必ず死ぬ。そして、死ぬまでの時間が命である。時間とは命である。人は、毎日、その命を、削って生きている。命を削りながら生きるのであれば、命の削り方はとても、大事だ。嫌いなことや、好きでもない仕事をやって生きていくのは、命の無駄遣いに他ならない。
時間を、命を、大切に生きなければならない。
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