私の人生のテーマ

湯浅

私の人生のテーマ

2022/1/30

私は、どんなときに、気分が良くなるのか?

私は、自分のことが、わかった時に、気分が良くなる。
・私は、何がしたいのか?
・私の人生のテーマとは、何なのか?

哲学である。

似たような問いを人類は抱えて生きてきた。

そして、その答えが、共通の答えが見つかっていないから、私たちは悩み続けなければならない。そんなことを考えるのは、暇だから。忙しくしていると、そんなことを考える暇はない。哲学に勤しみたくなければ、毎日を忙しく過ごせばいいのだ。

私は、世界一周をして、自分の価値観がぐちゃぐちゃになって、日本に帰って来たら、世界的流行風邪で、日本が全然違った社会になって、いろいろと、わからなくなった。

私のライフワークは書くことだ。

自分の心に浮かんだことを文字にしていく。そうすることで、自分のことがわかる。文字にすることで、無意識の思考が、意識に上がり、表現される。書くことは、自分の心との対話である。自分の内面と向き合うことを続けた結果、私は、私がわかるようになってきた。

私は、何がしたいのかがわかるようになってきた。

私は、私が知りたい。

私の人生のテーマは「 私という人間を知る 」ということだ。

世界を観て、たくさんの本で知識をつけ、自分の考えたことを書き続けた、そして、私は、「 私は、私が知りたい 」だけなんだってわかった。

自分のことは、自分がわかっているようで、実は、1番わからない。

私は「 なぜ、お金が欲しい 」と思うのか?

みんなお金が欲しい?
いや、私の方が、お金が欲しいのだ。私が人よりもお金に執着するのは、なぜなのか?

【本感想】それをお金で買いますか〜市場主義の限界
時間とお金は交換できる。" 未来のお金は、今のお金より価値が減っている " 資本主義社会とは、目に映る全てが、' ¥ ' である。資本主義社会の王は、お金だ。人は、お金という王の奴隷だ。

私は金持ちになりたいのだ。

私は「 なぜ、金持ちになりたい 」と思うのか?

「 お金があれば、欲しいものが買える 」という問題ではなく、お金があれば、食べたいモノを食べ、やりたいことがやることできる。お金があれば、働かなくてもいい。お金があれば、時間を自由に使える。

お金は「 自由 」駅への切符である。

お金が「 自分の人生の毎日を、すべて自由に決めることができる権利 」を与えてくれるのが、私たちの生きる資本主義社会である。私は、モノが欲しいのではない。私は、贅沢がしたいのではない。私は、お金が欲しいのではない。私は、自分の人生という時間を、すべて、私の自由に使いたいだけなのだ。そのために、お金が必要だから、私は金持ちになりたいのだ。

「 なぜ、なぜ、なぜ 」を突き詰めていくことで、自分の本質があぶり出される。

私が、自由を求めるのはなぜなんだろう?

「花の慶次」という自分の原点
「命よりも大事なことは、自由だ」という生き方である。自由には、それほどの価値がある。子どもの俺は「花の慶次」を読んで、自由の価値観をインストールした。

私は、自由を手に入れて、何をしたいんだろう?

私は、知らないことを知りたい。世界中を観て回って、世界を体感したい。

私は、なぜ、世界を観たいんだろう?

世界を知ることは、つまり、私を知ることになる。世界を観て、自分とは違う価値観に出会って初めて、私は、私の価値観を知ることになる。自分の価値観は、普段は当たり前過ぎて気付かない。だから、自分を映す鏡が必要になる、その鏡が、世界である。

私は、世界という鏡を使って、私を見たい。

私は、なぜ、経済的自由を目指すのか?

私は、お金に囚われて人生を過ごして来た。だから、私の人生から、お金という価値観をぬぐい去った時に、自分という人間が、何を考え、どういう行動をするのか、知りたい。私は、私が知りたい。

家族は、自分の1番近くにいる他人だ。同じモノを見て同じモノを食べて、違う思考をする生き物だ。家族も、また、写鏡である。

子どもは、自分の本能に基づく結果だ。私たち人類の繁栄の縮図であり、自分の過去である。自分の過去の人生を、現代に合わせて再放送してくれる、自分史の映画である。

私の過去については、本から学ぶことで、明らかになることも、多々ある。私の思想は、歴史が作り、時代が作った。その物質存在として、親や教師がいるに過ぎない。親や教師も歴史と時代によって造られた存在だからだ。

そう、私は、私が知りたい。私が、私を知るために、他者の存在がある。他者の存在があるから、私を知ることができる。私が、私を知るためには、他者の存在が必要不可欠なのだ。私は、私が知りたいから、私以外の誰かを知りたい。

「 私は、私を知る 」という人生のテーマを持って生き、書き続けていくのだろう。

そして、晩年に書くのだ。
最期に書くのだ。
私は「 私を知りたい 」と人生を過ごして来たけど、
それでも、やっぱり、私は「 私がわからなかった 」って
人生は死ぬまでわからないから、おもしろいのだ。

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