言語化できなかった私の生き方

投資

言語化できなかった私の生き方

2022/3/12

神への道 〜「 わかった 」
生きている間には、ほとんど何も知ることできない。私たちは、何も知らないまま生まれてきて、何もできず、何も知らないまま死んでいく。何でもない存在なのだ。
「 最高の自己投資は、自分への投資だ 」と言うけれど、誰にもできないから、難しい。

私の投資理論

投資のリターンはすぐに求めてはいけない。

資本家は1日にしてならず、ウォーレンバフェットは、時間を味方につけただけだ。それが、誰もできなかっただけだ。そして、それが、一見、誰にでもできそうな方法だけど、誰もができない、すぐにリターンを求めてしまうからだ。

死んだ人が1番投資の成績が良かったって、アクティブファンドより、インデックスファンドが成績が良かったって、歴史的、統計的、科学的事実で証明されている。

投資にリターンを求めるから、金銭的に「 儲けたい 」と願うから「 今すぐにお金が欲しい 」から、何もしないことができない。何かをしてしまう。だから「 何もしない方が1番勝てる 」って、投資の教科書に書いてあるのに、数学の公理レベルの公式なのに、公式が使えない。それは、人間の根源の欲求に基づくからだ。金銭欲を超えられる人はレアポケモンだ、ミューツーだ。

私も全然、余裕で金銭欲の塊でしかない。
でも、私は、投資の公理に従うことができる。

何もしないことができる、今のところ。私は「 投資してお金を儲けよう 」と思っているけど、投資した元本を現金化するつもりはない。下ろさない貯金をしているのだ。

何のために?
心の安定のために、投資をしている。

配当金生活をするために、投資をしている。貯金では利息生活できない。リスクのある投資で配当金生活をする。だから、元本に手を付けることはない。

コップに水を注いで、溢れてきた水だけを飲む。コップの水は、飲むためにあるのではない。

ただ「 これだれ水があれば、人生を自由に過ごせる 」と思えることが大事なのだ。飢えることや嫌なこと不快なことをしないで生きられる安心感が欲しいのだ。私の人生における自由を保障してくれるモノが、コップに満タンの水である。

時には、地震で溢れてしまうかもしれないけど、雨が降れば、また元に戻る。何もしない。私は、飲むことがないコップの水を満タンにして、ただ、心の安定を目指している。だから、根本的には、投資でお金を増やすことに変わりはないが、方向性が違う。

増やしたお金で「 何かを買いたい 」とかじゃない、見えない安心感が欲しいだけだ。

私的言語化すると
「 投資のリターンを金銭に求めてしまうこと自体が、そもそも、投資たり得てない」

投資の結果を、金銭に求めるから、右往左往する、気になる。何かしたくなる。金銭は定量的であるが、安心感は定性的である。定性的な安心感であれば、絶対量は問題でない。なんとなく安心そうでいいのだから。

私の投資理論である。ただ、私は、コップの水を貯めている段階である。コップの水から溢れた水で生活しているわけではない。上がってない、FIREしてない、経済的自由を手にしてない。もちろん、私の人生は、自由の獲得のためにあるから、経済的自由は必須である。

さて、どうしようか?

私の自己投資

  • 本を読もう、お金持ちの人の本を読もう。お金持ちの思考をインストールしよう。
  • なるほど、自己投資が1番リターンが大きいのか。自己投資をしよう。

それを素直に信じて、自己投資に全ベットできるから、私が私足り得る。目の前の小銭を拾わない。

サラリーマンでは、経済的自由に届かない。働いている場合じゃない。お金持ちが「 自己投資しろ 」って言っているのだから「 本を読め 」って言っているのだから、私は、本を読む。働かずに本を読む。本で得た知識を思考して知性へと高める、それは私の一部となる、教養となる。

その間、もちろん、私のコップの水は、減り続けている。
リスクのないリターンはない。
でかいリターンのためには、でかいリスクだ。

でも、私は、わかっている。
信じているのではなく、わかっている。
ただ、わかっているのだ。

これまでの自分の人生を振り返って、数々の為し得たこと、為し得なかったことを思い出す。すると、私は、私が想像したことで、為し得なかったことはない。というか、そもそも、想像しなければ為し得ない。だから、想像したことは、為し得るのだ。

他者は「 為し得ることができない 」と思うからできないだけだ。

  • 私は「 想像が実現する 」と信じているわけではない。
  • ただ「 想像が実現する 」ことがわかっている。

信じることは、意志が働く、意識的に、思う必要がある。
でも、わかるのは、意志は、必要ない。意識的に考える必要はない。

自転車に乗るのに「 乗れるかな 」とは考えない。自転車は「 乗れる 」とわかっている。自転車を乗るのに、意識的に考える必要はない。体が勝手に自転車を運転してくれる。

そんな感じだ。

他者は素直に生きれないようだ。
私は素直に生きれるだけだ。
  • 教科書に「 投資の公理=何もするな 」と書いてあれば、何もしない。
  • 教科書に「 自己投資が最大リターンだ 」と書いてあれば、自己投資しかしない。

教科書をそのまま実践すればいい。金持ちでないくせに、自己流を貫くから、金持ちになれないのだ。私は、素直に、聞く。金持ちになりたいから、金持ちの思考をインストールして、金持ちの言う通りにする。

自己投資の末にあったのは「 わかる 」という感覚である。
方法論とか、ケチくさい、再現性のないモノではない。
ただ、わかる。
私は、上がることが、わかる。

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