私の生きる道

私の生きる道

2021/12/12

生きるとは、自由になること
自由とは、自らに由 (よ) ること

私は、自由になるために、生まれて来た。

私にとっての自由とは何か?

  • 自分のやりたいことをやれる人生である。

自分のやりたいこととは何か?

  • 知的好奇心を満たすことである。
  • 「何かを知って、理解したい、わかりたい」というおもいである。
  • 「世界を知りたい」とおもって、世界を旅する。
  • 「世界を理解したい」とおもって、歴史を学ぶ、宗教を学ぶ。

私は、日本で生まれ育ち、日本で働いてきた正真正銘のれっきとした日本人である。日本人としての固定観念を持っている。日本という国で、日本の社会通念に従って、仕事を営み、生活をしてきた。だから、私は、世界を知らない。

日本には、日本人しかいない。アメリカやオーストラリアのように、異国からやってきた人たちの異文化が融けて合っていない。単一民族、単一国家で、単一言語で、島国である。そんな国は世界にはない。世界からしたら、日本は異常な国なのだ。『井の中の蛙大海を知らず』である、日本で生きていると、その異常性に気付けない。日本の常識は世界の非常識である。

日本ほど安全な国はない。スマホや財布を席に置いて立つのは、日本人だけである。外国でそんなことをしたら、スマホや財布は失くなる。そして、「誰が悪いのか?」「盗んだ方?」いや、そんな所に置いておく方が悪い「盗んでください」と言っているようなモノだ。誰も同情なんてしてくれない。荷物の管理は自己責任だ。それが世界の常識だ。「それは途上国だから?」いや、ヨーロッパでも、アメリカでも、全然、危険だ。世界中で、スマホを盗まれそうになったし、バッグを盗まれそうになったし、実際にバッグも盗まれた。

日本は安全な国だ。
水道水を飲めるのは日本だけだ。
生卵を食べられるのは日本だけだ。
日本は安全で綺麗な国なのだ。

私は、『井の中の蛙大海を知らず』であった。世界を知ることで初めて、自分の国と比べることができる。私たちは「比較対象がない」と、わからない。

「日本は安全な国だ」と言われても、世界を知らないと「その安全さとは何か」がわからない。言葉尻で理解できても、わかってはいない。「あぁ、そうか、なるほど」と、腹落ちしない。

日本は宗教がない「日本人は無宗教だ」と言う。産まれる前は、神社で安産祈願をされ、生まれたら神社で、初詣をして、七五三と、何かあるごとに神社へ行く、毎年、なんの疑いもなく、神社へ初詣へ行く。そして、クリスマスにセックスして、教会で式を挙げて、新婚旅行で、サクラダファミリアを見たり、モン・サン・ミシェルを見たり、ドゥオーモを見たりする。死んだら、寺で葬式をあげる。日本人は、宗教的節操がなく、一貫性がない民族である。

世界は宗教で彩られている。

世界一宗教色が強いのが、インドである。だから、日本人は、インドに魅了される。日本とは真反対の世界を知ることで、日本を知る、自分を知る。

死体がその辺に転がっている。死体が河に流れている。死体が燃えている。警察署の目の前で、マリファナが売られている。インドでも、マリファナは、もちろん違法だ。でも、マリファナより、酒の方が手に入れにくいのは、事実だ。ヒンズー教は酒を良しとしていない、合法だけれども。カーストの枠外の存在が、身体に欠陥のある障害者や乳幼児を抱える母が、置き屋で、春を売っている。

日本人は、インドで、世界を知る、宗教を知る、自分を知る。

「自分探しはインドは行け」という通説があるのは、「そういうことなんだ」と、理解できる、インドへ行けばわかるのだ。自分の中の固定観念が、ガラガラと音を立てて崩れていく様を現実に体験できる。

「インドほどではない」にしても、世界は宗教に彩られている。そして、貧富の差も激しい。アメリカが世界一の経済大国なのは、周知の事実だ。大都市、ニューヨークでも、道を一本外れたら、貧困の世界が待つ。でも、彼らは、日本人のホームレスのように悲惨ではない。彼らには、信じるものがある、宗教がある。毎週、教会へ行って、お祈りするほど敬虔でなくても、精神的基軸は、宗教にある。生活に融け込みすぎて、気付かないくらいには浸透しているはずだ。アメリカ人は一つの宗教を信仰しているので、日本人より一貫していて節操がある。

アメリカには、多様性があるぶん、貧富の差があり、肌の色の違いがあり差別がある。黒人は「人間ではなかった、奴隷であった、奴隷は人間ではなかった」という歴史と文化がある。私たちアジア人なんて、イエローモンキーである。

私は、世界を旅することで「自分がいかに無知であるのか」を知った。自分が、世界のことを知らないことに驚いた。「世界を知りたい」とおもう。世界を学ぶ。世界を知ることで、日本を知ることができる。世界史を知ることで、宗教を知ることができる。宗教を知ることで、自分の思考の根本・日本人的固定観念・日本人的社会通念・自分を知ることができる。

  • 違いを知ることでしか、自分を知り得ない。
  • 自分は見えない。
  • 日本の安全性は、日本にいる限り、見えない。
  • 自分が当たり前に受け入れているモノは見えない。

結局、自分が「自分を知りたい」だけだ。

  • なぜ、自分はこういった思考をするのだろう?
  • なぜ、自分は人と違うのだろう?
  • なぜ、自分は人と違うことを疑問におもうのだろう?

その答えは、すべて、歴史にある。神道・仏教・儒教・キリスト教のすべてが、ごちゃまぜになった世界が、日本であり、日本教である。日本は、無宗教ではない、日本の宗教は、ひとつに定義付けられないだけに過ぎない。

  • おみくじや御守りは神道であえる
  • 「いただきます」「もったいない」は仏教である
  • 「親は敬え」というのは儒教である
  • 「差別がダメ」なのはキリスト教である

世界史・宗教・日本史を学ぶことで、

  • 自分の思考がどう彩られているのか?
  • 自分がなぜそう考えるのか?
  • 例えば「お金持ちになりたい」「高級車に乗りたい」といった欲望があるのはなぜか?
  • もっと言えば、なぜ、今、自分は、知的好奇心を満たしたいのか?

自分のすべての根本を知ることができる。

自分のことがわかれば、他人がわかる。世界を知ることで自分を知って、自分を知ることで他人がわかるようになる。

二つの対象の差分を理解することが、わかるということ、分かるということだ。

「コインの表があること」を知るためには、上から見ているだけでは、どうにもならない。下から見ることによって、逆から見ることによって、反対から見ることによって、初めて裏を知ることができるからこそ、表の存在を認識できる。表は表だけでは表足り得ない。裏こそが、表を表にする。

私は私だけでは私足り得ない。私の外を知ることで、私は私足り得る。
  1. 私は「自分のことを知りたいから、自分のことを考えます」近いようで遠い。
  2. 私は「自分のことを知りたいから、他人のことを考えます」まだまだ。
  3. 私は「自分のことを知りたいから、世界を知ります」もう少し。
  4. 私は「自分のことを知りたいから、歴史を学びます」

私たちは、独立した存在ではあるけれど、長い間、親に育てられた存在である。だから、強く親の思想を受けている。その親もまた祖父母の思想を受けている。自分を知るには「自分の過去、日本の近代史、日本の歴史、相対する世界の歴史、すべての知識を統合して、自分という個体は、自分の思想は、いかにして育まれたのか」を想像していく。自分の創造を想像していく。そうして、初めて自分がわかる。自分がわかることで、他人がわかる。

そして、他人がわからないことを知る。自分がわからないことを知る。どんなにがんばっても、私は、世界の一部しかわからない。世界の一部しかわからないほどには、世界は広い。一生困ることのない、知的好奇心。私は、知的好奇心を、人生の軸に置いた。一生満たされない欲求を、自分の真ん中を、「知らないこと」にした。

私は、もう、知らないことを知ることにしか、自分の人生の時間を過ごせない。

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