国家と暴力と自由
2022/5/1
国家は暴力の独占によって人民を支配している。
- 人民は、暴力の権利を国家に全面委譲している。
- 国家と人民の関係において、暴力の所在地が明確だから、平和である。
- 国家と人民の暴力規定が法律である。
- 戦争とは、国家と国家の暴力による対抗である。
- 国家間で、暴力の権利を争っている。
- 暴力によって、暴力の権利を勝ち取った国が戦勝国である。
- 戦勝国は、戦敗国を暴力の独占によって支配する。
- 暴力の所在地が明確になることで、国家と人民が平和であるように、戦勝国と戦敗国にも平和がもたらされる。
何千年もの間、私たち人類は、暴力を用いた、暴力の権利争いをしている。暴力の所在地が明確になり、均衡が保たれている間は、平和だ。しかし、均衡が崩れ、人民に不満が溜まると、暴力による革命が起こる。その繰り返しである。今が、たまたま平和であるに過ぎない。
上記の考察を踏まえると、
国家対国家の戦争がない、絶対的平和は、すべての国家を統一した最大の暴力機関である統一国家の樹立しかない。暴力の所在地を一点集中することでしか、真の平和は訪れない。
国家が平和であるから、人民は自由を求めることができる。国家が戦争状態のとき、人民に自由はない。私たちは「 戦時中に言論の自由がなかった 」ことを知っている。「 戦争反対 」と宣えば「 非国民 」と罵られた社会を経験済みだ。自由の土台は、平和である。
自由とは、自己の利益を追求できる権利を持つことであるから、個々の能力差において、必ず格差が生じる。自由は不平等を生む。平等を目指すならば社会主義であるが、その失敗は歴史が証明している。
現代の社会は資本主義だが、それは自由の象徴である。資本主義は、不平等を前提としたシステムである。自由と平等は両立しない。格差の解消は、一部における社会主義的思想の導入である。下の格差の人たちに対する配給である = ベーシックインカムである。
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