寝巻きと世界平和について
2022/3/5
寝巻き
ファミレスにいる男女。メガネの男、すっぴんの女、寝巻きと思しき毛玉のついたスエット上下に、サンダル姿である。
何をしているのか?
結婚式の準備である。
おそらく、結婚式に来た人へのメッセージを書いている。
今は、寝起きのような格好をしているけれど、結婚式の当日には、バッキバキのキメキメである。
それは、数百万円の結婚式だから当然であろう。
だが、彼らの本質は、寝巻きで、ファミレスが、日常である。
彼らは、そんな日常を送りながら、結婚式では、見栄を張って、素敵な格好をする。
私は、他人がどんな価値観で生きようが、どうでもいいのだが、あまりのギャップに、想像して、滑稽すぎるなと思ってしまった。見栄を張らなければ生きていけない人たちは大変である。寝巻きでファミレスという休日を偽って、結婚式では一生懸命に着飾って見栄を張る。偽りの中では、補いきれないボロが出てしまう、日常のボロが溢れてしまう。
二人の将来の姿が見える。
偽りかどうかは、日常の中にある。
どんな生活を送るか想像がつく。
日常は偽れない。
自分らしく生きていくこと。
偽りの中に、本質はない。
日常の中に、本性がある。
日常の中に、本性がある。
日常をどう過ごすかということ、それが自分の生き方だ。
日常とは習慣である。
習慣が私たちをつくる。
習慣が私たちをつくる。
- 自分が、自分をどうつくりたいかで、日常を過ごさなければならない。
日常が習慣になるのだから。 - どういう自分でありたいかで、日常の過ごし方が決まる。
日常が習慣になるのだから。
どうあがいても、その鎖を切ることはできないし、隠すことはできない。
今日の過ごし方、明日の生活、明後日の日常、すべては、私たちが自由につくることができる。
それを人生という、生き方という。
それを人生という、生き方という。
世界平和
ギャップは滑稽だけど、彼らには幸せになってほしい。
幸せな人が多い方が、世界は平和だから。
世界は平和な方がいい。
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