未来は存在しない
2022/5/3
川に水が流れていて、川の水を止められないように、時間も止められない。
私たちは過ぎ去った時間を、過去として捉えている。
過去という事実は、変えられない。
過去は変えられないけど、過去の解釈は変えられる。物事というモノは、自分の解釈次第でいかようにも捉えられる。辛く悲しい出来事も、時間が経って、新たな幸福を手に入れると、辛く悲しい出来事も、新たな幸福のためには必要だったのかもしれないと、解釈することができる。
- 私たちは、これから起こる時間を未来として捉えている。
- 未来は、まだ起こっていないので変えられる。
未来は自分次第で、どんな風にでも、変えられると信じている。しかし、未来というモノは、存在しない。未来は、今の積み重ねの結果である。そして、明日という未来がやってきたときは、今である。1ヶ月後の未来も、やってきたときは、やっぱり、今なのだ。
未来があるように錯覚しているけど、未来は必ず今としてしか、私たちの目の前に登場しない。未来は存在しない。今しか存在しない。
過去も今から記憶を振り返っているだけだ。過去は、脳の中に存在する。
そういう意味では、未来も脳の中に存在する。
時計の秒針が刻んでいるのが、現在の時間である。時計の針を戻しても、過去には戻れないし、時計の針を進めても未来に進めない。目の前にあるのは、いつも、今、という時間しかない。私たちが捉えれるのは、現在しかない。
未開の狩猟民族の人々には、未来という概念はない。昔の出来事である過去と、今在る現在しかない。未来とは、人間が文明開花によって手に入れた、新しい概念である。それまでは未来はなかった。今に精一杯で、未来のことを想像する余裕なんてなかった。
そして、未来のことは、神や天が司っていた。
やがて、未来が私たちの手元に降りてきた。
自分が想像した未来から、期待と同時に不安も受け取るようになった。
- 仕事をして時間を使って、時間をお金に変えて、銀行に蓄える。
時間という数字を銀行口座の数字に変える作業に没頭するようになった。 - 仕事を中心に人生が構成された。
- 仕事の合間に、家族、子育てや、休息、趣味といった自由な時間を過ごす。
未来という概念を手に入れた私たちは、今という時間を失ったのかもしれない。
- 私たちは、物事に集中すると、時間を忘れて、自己という概念すら、集中に溶けてしまった、フローの世界へと突入する。
- フローの世界では、時間と自己を超越する。
過去の悲しみも、未来への不安も、自分を意識することすらなく、ただ、熱中している。 - 時間感覚もなく、自己存在すらも自覚せずに、没頭する。
ただ、メチャクチャにハマっている状態である。
時間も自己も、何もないからこそ、そこにすべてがある世界、その世界の住人で在るときに、私たちが、最も充実感を得られるのかもしれない。
それは、決して、テレビやゲームなどではなく、家族と食事したり、友人と遊んだり、何かを作ったり、料理・文章・プログラム、何かに取り組んだり、スポーツ・音楽、多分そんなこと。
今を集中する何かに、無我夢中で取り組むことが充実した人生のひとつなんだとおもう。

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