無職が3年を超えて

湯浅

無職が3年を超えて

2022/3/15

仕事をしている夢を見た。
その中には、前の職場の同僚もいるし、もちろん知らない人もいるし、なぜだか、友人もいる。でも、その中で、私は、経営者ではなく、労働者である。労働者というサラリーマンしかやったことがないから、夢の中の自分も、変わらない。私は、経営者でありたいのに。

仕事の夢は、最近よく見る。仕事をしているときに見る仕事の夢は、悪夢だけれど、仕事をしていないとき、無職のときの仕事の夢は、悪くない。なんだか、楽しそうに仕事をしている。それはそうだ「 私は、今、働きたい 」と考えているのだから。

多分、誰かと関わりたい、そして、誰かに求められたい。

社会性の生き物である私たちは、社会と隔絶して生きられないようにDNAに刻まれている。

昨日、先輩とあまり仕事ができなさそうな後輩のコンビをカフェで見て「 なんだか、いいな 」と思ってしまったのだ。

彼らは、ちゃんと社会人をしている、様々なしがらみや葛藤を抱えながらも、もがきながらも、仕事をしている。お金のためとは言え、家族のためとは言え、自分のためにとは言え「 誰かと関わって生きていく 」という社会人をやっている。

正直に「 うらやましい 」と思ったんだ。
多分、それが、私の本心だ。
「 社会人は大変だな 」と思いつつ「 社会人はうらやましいな 」という思い。
矛盾した心である。

私は、海を漂う遊覧船である、目的地はあるけど、行き方がわからず、悶々としている、1人船長である。

みんなで、ワイワイしながら、ときにはイラつきながら、船長が行きたい方向へ走っている船を見て「 いいな 」と思った。

船員に行きたいところに行く自由はない。でも、船員が、みんな行きたいところを目指しているわけではない。「 とりあえず、この船に乗ってればいいか 」という船員もいる。「 お金がもらえる 」から乗っている船員もいる。船員には、目的地は、必要でないかもしれない。いや、船長にすら、必要でないのかもしれない。

ただ、船を走らせること、その船に船員がいること、その舵を切る役割が船長なだけだ、食事係、掃除係、修理係、そんな役割の人たちの集団で、船を走らせている。

なんか、みんなでウォーって船を走らせていたら、楽しいのかもしれない。

目的地とか、船とか、お金とかじゃなくて、なんか、みんなで船に乗ってたら、楽しいのかもしれない。

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