昨日と同じ日はない。
2021/4/13
進化する人
時計の針は、前にしか進まない。人生も留まることなどできない。常に進み続けている。その中で、進化するか、退化するかは、自分次第だ。
- 昨日より、できるのか?
- 昨日と、同じなのか?
- 昨日より、できないのか?
昨日より、何か一つでも、知識得て、できるなら、進化している。同じなら、留まっている。できないなら、退化している。
でも、多くの人が、昨日の経験を通して、昨日よりは、成長しているはずだ。その実感がないだけだ。人によって、その度合いが異なる。だから、相対的に、成長を感じ辛いのかもしれない。
変容した社会
人が日々変容を続けるように、社会もまた、変容し続けている。否、人が変容しているから、社会も変容しているに過ぎない。社会とは、人の集団である。
そして、現代においては、変容の速度が増している。
インターネットを、使っていない人はいない。インターネットの普及は約20年前だ。
スマホを、持っていない人はいない。スマホの誕生は約10年前だ。
もう、これから先の10年後を想像できる人はいない。
変容の創造主
一部の特権階級のエリートによって、社会の変容は創造されている。
だが、我々、一般大衆は、その速度に付いていくことができない。あまりにも、目まぐるしく変容していく日常に、付いていく能力がない。
しかし、社会は、変容していく。エリートがどんどん、社会を、変容し続けるからだ。
社会は、iTによって、どんどん効率化されていく。そして、iTによって、次から次へと、変容し続ける。
大衆と変容した社会
我々、一般大衆は、変容した社会での生存を強要される。
この社会は、資本主義の世界だ。あれが必要だ、これが便利だ、これがオシャレだと、購買を急き立て、お金を奪っていく。
この社会は、iT世界だ。あのゲームが楽しい、この動画がおもしろい、こんなことがバズっていると、時間を奪っていく。
変容の中での幸福
変容した社会で必要なのは、資本主義や、iTの世界から、距離を置くことである。
お金を使わずに、家にある残り物で、カップラーメンで、食事をする。
一日中は、難しいかもしれないが、スマホの電源を切ってみる。
※できれば資本主義の権化であるテレビも付けない。
それでも、意外と楽しいことに気付く。それをアウトプットしてみるといい。書いてみるといい。
現代は、情報過多の時代だ。インプットが多過ぎるのだ。
アウトプットすることで、自分の内面がわかる。自分の思考を可視化できる。そこに、自分の幸福が、形作られていることに気付くだろう。
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