満足なしに、不満は生まれない
2021/12/13
仕事は楽しかったことがたくさんある。
最後の終わり方がネガティブだったからだ。
終わり方に引っ張られているだけだ。
〜 ピーク・エンドの法則
因果律という思考:原因と結果は当たり前のことなのだ。私たち日本人にとって、気が付かないくらいに身に染みている出来事なんだ。モノゴトには過去の原因があって、現在の結果が起こっていることを疑問に思うことはない。
だから、キリスト教の国から逆輸入される。キリスト教の国は、予定説で「人が救済されるかどうかは、初めから決まっている」という思想が根幹にある。「モノゴトは原因があるから結果がある」という思想はない。「モノゴトは初めから決まっている」という思想なのだ。行為の結果なのか、初めから在るのか、その考え方の違いだ。
キリスト教文化圏では、因果律である「原因と結果」という思想が新鮮に映る。新しい視点なので「素晴らしい」と評価される。「人が努力しても意味がない」という極論を提示するキリスト教の世界では、真反対の考え方が、逆に、光る。
逆に光って「素晴らしい」と認識されて、日本に逆輸入されて、私たちには、本来、備わっている思想に改めて気付かされる。本来、持っているモノだから、すんなりとわかる、腹落ちする、なるほどとなる。

仕事を辞めた結果、その原因を求める。原因を考えるまでもなく、原因はそこにある。仕事を辞めるほどの原因が明確でないわけがない。それは、もちろん、ポジティブではない。仕事が楽しいなら、辞めない。ネガティブである。ネガティブな原因によって、結果として、会社を辞めた。
だから、どうしても、引っ張られる、ネガティブな原因に。
「原因と結果」という思考でモノゴトを判断してしまう。
「原因と結果」は正しい。
しかし、そこには、見えない過程がある。
原因と結果の過程ではない。原因が起こる過程である。
②なぜ、不満が生まれたのか?
③それは、満足があったからだ。
・満足があるから、不満が生まれる。
・満足なしに、不満は生まれない。
だから、不満にスポットを当てるのではなく、満足に目を向ける。不満が起こる前の満足に視点を合わせる。
おもしろいことがあった。
満足があった。
思い出す。
印象的な不満の日々ではなく、不満という蓋で、見えなくしてしまっている満足の日々の箱を開けてみる。そこには、満ち足りた日々があった。不満な日々よりも、満足の日々の方が多かった。終わりのネガティブなことではなく、途中のポジティブなことに、焦点を合わせる。
①モノゴトは、ひとつではない。それは、ひとつの視点に過ぎない。
②モノゴトには、相対することがある。右があれば左、上があれば下、表があれば裏がある。
③モノゴトを相対する視点を得て、初めて比較できる、感情が芽生える。
不満があるということは、満足があった。
満足があったから、不満が生まれた。
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