サーフィンがノラない訳
2021/8/14
夏のサーフィンシーズンの週末は、サーフィンへ行く。
- 車持ってないときは、サーフボードをサーフショップに預けて、電車で通っていた。
- 車を持ってからは、土日のどちらか天気がいい方に、行っていた。
そんな生活を10年くらいやってきた。
世界一周から帰って来た、去年は、まだ、八王子にいた。だから、遠過ぎるとしても、今年は、高円寺だ。昔、住んでた吉祥寺よりも近い、電車で、全然、行ける。
でも、ノラないのだ。
サーフィンに行く気がしないのだ。
距離の問題じゃねーんだな。
車を持ってないことも要因のひとつである。確かに、サーフショップに預けて、電車で行くということもできて、その方が、安い。わかるけれど、車の快適さを知った後に、朝から電車で何度も乗り換えて、へとへとになって、海まで行く気はしない。
車の問題はある。
でも、本質は、そこじゃない。
今、無職であるという点だ。
サーフィンは、仕事を頑張るための週末の楽しみでもあって、ただ、サーフィンをしたい訳じゃなかった。息抜きだったっぽい。だから、無職の今、「息抜きって何?」「意味なくない?」というような心境なんだろう。
これまでずっと何気なく過ごして来ていた日常は、実は、その土台があって成り立っていた。
サーフィンが好きなんじゃない。仕事を頑張ったご褒美にある、サーフィンが好きなんだ。
自分のことは、自分が1番わかってるようで、実は、こんな些細なこともわかってなかった。いろんなことは、単体で存在するのではなく、複合的に絡み合って存在する。だから、その本質に気付けない。
本質に気付くのは、土台がなくなって、本当に単体になった今である。
無職になって、すべてのしがらみがなくなって、そこに残った、ひとかけらのモノたちである。
来年は、サーフィンに行こう。
いつでもサーフィンに行ける無職じゃなくて、忙しい合間をぬって、サーフィンに行く経営者になろう。
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