2021/6/22

知能の低さと古典と ~ 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
古典は素晴らしい、時代を超えて、読み継がれている本は、良書以外の何物でもない。どんなに、勉強しようとも、結局、人は、過去の賢人に学ぶしかない。未来はわからないけど、歴史は繰り返す。歴史を学ぶことで、類似の現象が起こった時に、慌てずに対応できる可能性がある。
非効率な人
非効率な人を見て
- 「何でこんなに非効率なことをしているんだろう」と思っていた。
- 「何でもっと効率的にやろうと考えないんだろう」と思っていた。
「効率的なことが正しい」と思っていた。
確かに、効率的にした方がより多くの商品を生み出すから、より多くの富を手にするのは、自然の道理である。
しかし、効率的な思考の人ばかりではないことに気付く。
- 考えることが苦手な人がいる。
- 他人から言われたことを、何も考えずにやる方がいい人がいる。
- 思考を放棄し、与えられた作業をこなすだけの人がいる。
思考を放棄しているのだから、効率的になるはずなどない。
一方で、思考を放棄した、非効率な人の存在があって、社会は成り立っている。全員が、思考を繰り返し、効率性を重視する社会は、今より、過酷であろう。
思考の放棄が招く世界
思考を放棄するということは、自己学習を続けるAiロボットへの敗北宣言である。
思考を放棄した人々より、効率性を重視し、自己学習を続けるAiロボットの方が、経済的価値を生み出すようになるのは、自明である。
産業革命以来の革命である。情報革命である。
- 産業革命では、機械化することで効率化された。
しかし、そこでは、人の力を介在したから、人は有用で、多くの人が必要だった。 - 情報革命は、インターネットで便利になった、スマホで便利になったのは、本質ではない。
Aiが誕生したということである。「自分で学習し続けるAiロボットが誕生した」ということである。そして、そのロボットは経済的価値を生み出す。人の力は不要だ。
情報革命の本質は、「情報化することで効率化され、人の力が不要になった」ということである。
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