プラスの否定はマイナスじゃない
2021/10/1
服は単なる体を覆う道具であった。
体を守るため、寒さを凌ぐため、動きやすくするため、そのために、「体を覆う」という知恵を身に付けて、服という道具ができた。
アダムとイブのような「恥ずかしい」という価値観からではない。

裸が「恥ずかしい」という価値観
アダムとイブが、禁断の実を食べたことによって、裸であることを「恥ずかしい」と思った。
禁断の実というのは、価値観である。裸であることを「恥ずかしい」と思うのは、ひとつの価値観である。
服という道具は、時代の変遷によって、服自体が価値を持つようになった。道具であった服が、自分の表現の一種となった。自分の価値観であり、もはや、自分の一部となった。
- 服は自分のテンションを上げるため、自分が楽しくなるための道具 [ + ]
- 服は他人から見られる自分のため、他人を不快にさせないための道具 [ – ]
服についての2つの視点である。
「ポジティブか」「非ネガティブか」である。
ポジティブの反対は、ネガティブだ。( ポジティブ ⇄ ネガティブ )
しかし、ポジティブは、非ネガティブではない。( ポジティブ ≠ 非ネガティブ )
ネガティブを否定しても、ポジティブにはならない。
しかし、ポジティブは、非ネガティブではない。( ポジティブ ≠ 非ネガティブ )
ネガティブを否定しても、ポジティブにはならない。
私たちは間違えている。プラスの反対はマイナスだから、「マイナスの否定はプラスだ」と信じている。
マイナスの否定は、マイナスというカテゴリの一部であって、プラスには転じ得ない。
- 非マイナス思考は、プラス思考ではない。
- 非ネガティブ思考は、ポジティブ思考ではない。
太りたくないではなく、痩せたいである。
貧乏は嫌だではなく、金持ちになりたいである。
ブスは嫌だではなく、かわいくなりたいである。
貧乏は嫌だではなく、金持ちになりたいである。
ブスは嫌だではなく、かわいくなりたいである。
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