ひとつの悟り

知識

ひとつの悟り

2022/3/6

私たちは、減らないもの、容易に再現可能なもの、簡単に複製できるもの、すぐに手に入るものに対しては、意識を向けない。

私たちは、空気がないと生きていけない。空気がないと死んでしまう。でも、それを意識することはない。空気を意識するのは、プールや海くらいだ。空気とは、自然なものである。私たちは「 空気がなくならない 」と信じているから、空気を貯めようとしない。生きていくのに必要な空気が減っていくのなら、私たちは、シャカリキになって、空気を貯めるだろう。お金のように。

昔は、本は、人の手で写していた。だから、本は貴重で高価だった。活版印刷というテクノロジーによって、本は、機械で大量に印刷できるようになった。本の価格は下落した。
本は、容易に再現可能になった。コンピュータというテクノロジーによって、本はデジタル化した。文字は簡単にコピーできるようになった。文字の価値は、下落した。
インターネットというテクノロジーによって、いつでも、どこでも情報が手に入るようになり、情報の価値は、下落した。
私たちは、本や文字や情報に、意識を向けなくなった。

カメラは、昔、フィルムで撮っていた。写真を撮ったら、フィルムが減っていった。だから、何でもかんでも写真に撮らない。本当に必要な状況にだけ、写真に収めた。今は、写真を撮っても、フィルムは減らない。せいぜい、スマホの電池が減るだけだ。そして、スマホの電池は簡単に復元可能だ。だから、何でもかんでも、簡単に写真に撮る。そして、気に入らなければ、消す。写真はフィルムが減らないことで、空気のように意識しなくなった。

ほんの100年前までは、日本にも餓死者がいた。食べることに困っていた。もっと前は、食べるために、自分の娘を遊郭に売っていた。娘は家族が食べるために、自分の意識を殺した。現代日本社会では、餓死者はいない。24時間365日、安価で美味しい食べ物が手に入るから、腹が減って困ることはない。「 美味しいものを食べる 」という娯楽としての食事は意識するかもしれないが、生きるための食べ物を意識しない。餓死なんて想像したことがない。

あなたにとってのジェットコースターは私にとっての激辛料理
私たちは「 生存に関わる体をもてあそぶ 」「 生存に関わる感情をもてあそぶ 」というところまで娯楽を進化させたのだ。私たちの娯楽は「 どこまで、死の直前まで近付けるか 」という挑戦である。
私たちは、減るもの、再現が難しいもの、簡単に手に入らないものに対して、意識を向ける。

私たちは、お金や時間に対して、意識を向ける。
・お金を節約する、お金を貯める。
・時間を節約し、効率化する。
お金は「 稼ぐのが簡単ではない 」と考えている。お金は空気のように無限にあるものではない。お金は使えば減る。
今日の時間も、休日の時間も、人生の残り時間も毎日減っていっている。
だから、お金や時間に意識を向ける。空気とまではいかないまでも、食べ物くらいに簡単に手に入るとすれば、お金を意識することは減っていく。

  • 人は簡単に手に入るものは簡単に手放す。空気は貯めない。
  • 人は簡単に手に入らないものは簡単に手放さない。お金は貯める。

もし、お金が、食べ物くらい簡単に手に入るとすれば、もう少し簡単に手放すことができるはずだ。

人間関係、家族や友人や恋人も、簡単に手に入るとすれば、簡単に手放す。

私たちが、今、簡単に手放せないモノ、時間、金、ヒトといった関係が、私たちが、今、大事にしている価値観である。

空気を無意識に吸って吐くように、いろんなものを簡単に手放すことができること、それが、ホントウの自由である。

手の平から、こぼれ落ちる砂のように

手で必死に掴むのではなく、手を開いたときに、自然に、そこに残ったモノが、ホントウに大切にすべき価値観である。

私たちは、大切にするのは、モノでも、金でも、時間でも、ヒトでもなく、私たちの心の中にある自分の価値観である。

空気はなくならない、だから、簡単に吸って吐いて、手放す、貯めない。

すべてを空気のように捉える価値観を手に入れ、すべてから解放されることが、私が手に入れたい自由なのかもしれない。

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