片親の心片

湯浅

片親の心片

2021/9/18

娘は8歳だ。
もう長いこと会っていない。

夢の中に娘が出てきた。
でも、それは、8歳の娘ではなかった。
8歳の時の自分の弟だった。

5年以上の歳月は、8歳の娘を想像することすらできずに、8歳の子どもの映像として記憶の片隅から引き出しのは、自分の弟の姿だった。

時間は残酷だ。
でも、時間は、心を穏やかにする。

会えない非日常を、日常にする。

忘れたわけではない、忘れることなんてできない。会えるのであれば、いつでも会いたい。親なんだから。世界一大切なのは、金でも、親でも、家族でもなく、子どもである。

ただ、思い出す機会が、少しずつ減っていっただけだ。

そうしないと、心が壊れてしまう。ずっと、ずっと、会えない娘のことだけを考えて生きられない。

そうやって、長い年月を積み上げてきて、今がある。

その長い年月が、娘の成長を想像できなくした。

ただ、それだけだ。

モノゴトは、相対である。
「どちらから見るか」という視点の問題だけである。

だから、正しさもない。

  • 娘の成長を想像できないのも俺だ。
  • 娘の成長を想像できないくらい、会うのを我慢してきたのも俺だ。
片親 … 俺の
心片 … 心の断片

「いつか、娘に会えるだろう」と信じている。
今は、会えないだけだ。

未来のことは、誰にもわからない。
未来のことを信じられるから、人は生きられる。

「人が生きる」と書いて、人生

信じる、自分の未来を、自分の人生を。

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