所有欲やモノの価値

社会

所有欲やモノの価値

2021/12/18

モノは、使い捨てになってきた。

100均で売っているモノを、わざわざ洗って、乾かして、もう一回使ったりしない。洗う手間や洗う時間よりも、買った方が楽で、自分の時間に対しての労働ではコスパがいい。

モノがない時代には、モノを大切にしてきたけど、今は、モノ余りの時代である。

モノの価値は逓減している。モノに対する価値観が変化している。高いモノを買って修理しながら使い続けるのでなはなく、安いモノを買って、古くなったら捨てる、もしくは、高いモノを買って、飽きたら売る。使い捨て、もしくは、一時的所有・レンタルである。

「モノを持つ」というよりも、「モノで着飾った体験」が必要なのであり、「モノで着飾った写真」が必要であり、それが終われば、モノは価値を失ってしまう。一時的な所有で十分なのだ。

所有欲がなくなってきた。モノがない時代には、モノを持っていることが、豊かさの象徴であった。だから、モノを欲しがる所有欲があった。今は、モノを持っていることは「豊かさの象徴ではない」という価値観である。当然、所有欲は、衰えていく。

むしろ、持たない暮らし、シンプルな暮らしにも注目が集まっている。モノが溢れていると、そこには、選択肢が溢れていることになる。無駄な選択に、脳のエネルギーが使われてしまう。持たない暮らしは、モノが少ないことで、選択肢を持たないことで、無駄なエネルギーを消費しないで、シンプルに暮らすことだ。

豊かさの定義が、モノからライフスタイルへと変容している。
・モノから「どこで誰とどんな生活を送っているのか」ということに価値が置き換わってきている。
・モノという物質から、ライフスタイルという体験へと移り変わっている。
・モノはいらないから、モノは必要最低限でいいから、楽しい体験がしたい。

そんな時代には、イエやクルマといったモノへの興味も薄れていく。「借金して所有する」という感覚が前時代的な発想へと成り代わっていく。

新しい時代は、モノの所有欲が逓減することによって、モノを買うためのお金の価値も逓減していく。

モノも必要な分だけ、お金も必要な分だけ、ただ、人生において、体験がしたい。体を使った経験がしたい。そんな体験をして「楽しい」と「おもしろい」と感じたい。

ただ、それだけなのかもしれない。

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