過去の自分は他人

幸福

2021/6/30

自分とは何か?

「過去の自分は他人」というワードが刺さった。

「死とは何か」では、「自分という存在は何か」という定義を、思考する過程でもあった。

それに通じるモノがある。

過去の自分は他人である。

過去の自分 + 経験 = 現在の自分

と表現できるから

過去の自分 ≠ 現在の自分

現在の自分から、経験という記憶を消し去ることができれば、過去の自分になることはできる。

思考の上では。

しかし、実際には、時間と共に、身体が変化している、老化している。

正しくは、現在の自分の記憶身体を過去にすることで、過去の自分になれるわけだ。

一貫性の原理

「過去の自分は他人」というワードは、強烈だ。強烈だから、刺さったのだ。

「自分と他人は別」という、常識を、ぶった斬ったからだ。

納得はできる、共感はできない。

他人は言い過ぎだ。

  • なぜそう感じるのか?

一貫性の原理が、妥当だろう。

一貫性の原理とは、態度を貫き通したいという心理
人は、やると決めたことを、やり遂げるべきだという考え方を持つ

今を生きる

過去の自分を他人と捉えることで、今を、自由に生きることができる。

私たちは、過去を生きることはできない。
今を生きることしかできない。

しかし、私たちは、今を生きているようで、実は、今を生きていない。

明日のために、未来のために、今日を生きている。今日を犠牲にしている。

明日死ぬとしたら、今日は好きなことをするはずだ。それが、今日を生きることであり、今を生きることである。

未来のことを考えずに、今だけを考えて生きられたら、それは、完全なる自由である。

過去の自分は他人というように、未来の自分も他人だと考える。
今を大事に、今だけを考えて、生きることができたら、幸福だ。

小さな子どものように。

小さな子どものときは、私たちは、自由だった。

社会を知って、お金を知って、未来を知って、今を生きる自由を手放してしまった。

自由の概念が、また、さらに、研ぎ澄まされた。

未来の自分は他人と言って、今を生きること。

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