思考に関するキーコンセプト
2021/7/20

コギト
ルネ・デカルト
思考の始点を「我思う、ゆえに我あり」という命題とする。
存在の確かなモノなど何もない。しかし、ここにすべてを疑っている私の精神があることだけは確かだ。
時代において前提となっている常識というフレームをなくして「本当にそうなのか?」と疑ってみる。
無知の知
ソクラテス
自分は知っていると考える人は、知的好奇心を持つことはできない。
①知らないことを知らない
②知らないことを知っている
③知っていることを知っている
④知っていることを知らない
④は、達人の領域で、自分が知っていることについて、意識的にならなくても、自動的に身体が反応してこなせる状態である。
本当にゾクゾクするほど分かったのか?
私たちは、無意識に、心の中で、メンタルモデル ( 世界を見る枠組み ) を形成する。そして、現実の外的世界から五感を通じて知覚した情報は、メンタルモデルで理解できる形にフィルタリング・歪曲された上で受け取られる。
U理論 … コミュニケーションにおける聞き方の深さの4つのレベル
①自分の枠内の視点で考える。
②視点が自分と周辺の境界にある
③自分の外に視点がある
④自由な視点
イデア
プラトン
想像上の理想形
私たちは木を見たとき「これは木」だと認識することができる。しかし、一本一本の木はすべて異なる。私たちは「木」として認識できる。それは、私たちが木のイデアを持っているからだ。
※プラトンの一番弟子のアリストテレスは、「現実に検証できないような仮想を思考の始点においても仕方ない」として、イデアを批判している。
イドラ
フランシス・ベーコン
フランシス・ベーコンは、経験論を用いた。
経験からもたらされる知識を重視し、推論の方法として、帰納法を用いる。
帰納法 … 実験と観察といった経験から結論を推論
アリストテレスは、合理論を用いた。
理性に基づく思考をより重視し、推論の方法として演繹法を用いる。
演繹法 … 一般化された法則から個別の結論を推論
4つのイドラ ( 偶像 )
- 種族のイドラ ( 自然性質のイドラ )
錯覚 - 洞窟のイドラ ( 個人経験によるイドラ )
独善 - 市場のイドラ ( 伝聞によるイドラ )
噂 - 劇場のイドラ ( 権威によるイドラ )
偏見
シニフィアンとシニフィエ
フェディナンド・ソシュール
シニフィエ:記号内容
私たちは「モノという実在があって、それに対して、コトバが付けられた」と考えている。
実際には、ある ” 言葉 ” が「概念として指し示す範囲」は、文化圏によって異なる。
日本では ” 蛾 ” と ” 蝶 ” を2つの虫として区別しているが、フランスでは蛾も蝶も ” Papillon ” として1つの虫としている。
概念は、予め与えられているのではない。「言葉の持つ意味の範囲」は ” 言語 ” ごとに違う。
「お湯」も「水」も ” water ” で、「愛」も「恋」も ” love ” だ。
私たちは本当の意味で、自由に思考することができない。私たちの思考は、言葉を使うことで、言葉の構造による影響を受けてしまう。
ソマティック・マーカー
アントニオ・ダマシオ
私たちは、心と身体について「心が司令塔であり、身体はその司令を受けて運動する機関だ」という認識である。
情報に接触することで生まれる感情や身体的反応は、脳に影響を与える。そして、目の前の情報の判断の材料となり、意思決定に役立つ。
意思決定は身体的反応や感情を含めた直感に頼ることも必要である。
パラノとスキゾ
ジルドゥルーズ
直感でヤバいと思ったら、さっさと逃げる。
アイデンティティに固執する人
一貫性があってわかりやすく、環境変化に弱い。
アイデンティティを分裂させる人
固定的なアイデンティティに縛られることはなく、自分の直感の赴くままに自由に行動する。
「逃げる」というのは、必ずしも行き先がハッキリしているわけではないけど、ここはヤバそうだから「とにかく動こう」である。
逃げるのに重要な2要素
- 危ないと感じるアンテナの感度
- 逃げる決断を下すための勇気

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