【本要約】武器になる哲学5 〜 経済

経済に関するキーコンセプト

2021/7/20

【本要約】武器になる哲学4 〜 他人
私という個人は、分かった後と前では、違う人間になる。なぜなら、昨日の自分では、わからなかったことが、今日の自分は、わかったからだ。「わかる」ということは、「かわる」ということである。

神の見えざる手

アダムスミス

市場で何かを売ろうとするとき、高すぎる価格をつければ買ってもらえず、一方で安すぎる価格をつければ継続的に供給できないため、いずれも市場からは消えることになる。

市場で商いを続けるためには、適正な価格で販売しなければならない。つまり、市場には「高すぎる価格」や「低すぎる価格」を調整させる圧力が働く。

この調整させる圧力は誰がかけるのか?

実際には市場というシステムが圧力をかけるわけだが、アダム・スミスはこれを「神の見えざる手」と名付けた。

「神の見えざる手」によって価格が調整されることで、市場全体としての取引量は、最大化される。

主体的に最適解を求めるための技術である論理思考では、「何が正解かよくわからない、成り行きに決めてもらおう」と考えるのは、思考の放棄と見なされるかもしれない。しかし「すべての最適解を主体的に導くことができる」と考えるのは、知的傲慢である。

疎外

カールマルクス

マルクスの思想の根底には、唯物史観 ( 唯物論的世界観 ) がある。
唯物史観 … 人間社会にも自然と同様に客観的な法則が存在している。
疎外
人間が作り出したシステムによって、人間が翻弄される。

【資本主義社会がもたらす4つの疎外】

①労働生産物からの疎外

資本主義社会における賃金労働によって労働者が生み出した商品は、すべて資本家のモノになる。

②労働からの疎外

アダムスミスが、分業による生産性の向上を唱えた結果、労働は人間にとって、退屈で避けたいモノへと堕落した。本来、労働 ( labor ) というのは、人間にとって創造的な活動 ( work ) であるべきだ。これが、賃金労働制によって歪められている。人間は労働をしている間、自己を感じることができず、労働から解き放たれてはじめて、独立した自分となることができる。

①②によって、引き起こされる疎外

③類的疎外

分業や賃金労働によって、健全な人間関係は破壊され、労働者は、社会や資本家が所有する会社の「機械的な部品 = 歯車」となってしまう。

④人間らしさからの疎外

資本主義社会において、労働者である人間の価値は、社会や会社の歯車としてどれだけ有効に働くか、つまり、生産性だけが問われる。こうなると、人間の興味は、どれだけ短い労働で、多く稼ぐかに終始する。人間らしい「労働の喜び」や「贈与の喜び」は失われてしまい、「他人からいかに奪うか」や「他人を出し抜くか」に専心する。

【4つの疎外】

マルクスは、資本主義社会の元で展開される労働と資本の分離、分業による労働のシステム化がもたらす弊害として疎外を整理している。例えば、資本市場は、人間が作り出したシステムだが、これを制御できる人間はいない。制御できないどころか、どのような動きをするのか予測することもできず、人間が振り回されている。

私たちは、何か問題があると、システムを作ることで解決しようとするが、多くの場合、そのシステムは別の問題を生み出し、しかも、元からあった問題は解決されないままだ。ルールを与え、それを監視するシステムを作っても、問題は解決しない。であれば、私たちは、信念や価値観といった内発的動機付けによって、自らを行動させるべきだ。

不惑にして「資本論」 " 高校生からわかる「資本論」"
資本論を読むと、資本家から労働者が搾取される仕組みが、明確化されていく。損失回避性が、現在の労働意欲を軽減させる。自分で起業するしか道はないと考える。資本論を労働していた時に、読んだなら、明日、会社に行けないかもしれない。

贈与

マルセルモース

モースはポリネシアの社会を調査して、経済活動が、貨幣の等価交換ではなく、贈与によって行われていることを発見した。

【贈与の義務】

①贈与する義務
贈らないことは礼儀に反する

②受け取る義務
贈りものが不要でも拒否してはいけない

③返礼する義務
贈りもののお返しが必要である。

※贈与という交換活動には終わりがない。

【経済活動の価値】

①労働価値説
投入された労働量で決まる。

②効用価値説
効用の大きさ ( 使い勝手 ) で決まる。

現在の経済学の枠組みでは、贈与という行為をうまく説明できない。ここに、貨幣経済と、贈与経済の歪みがある。

現代の貨幣経済に、贈与経済の仕組みの一部を混ぜ合わせることで、また、新たな経済活動が生まれるかもしれない。
【本要約】武器になる哲学6 〜 組織
人生の転機は、何かがはじまるのではなく、何かが終わる時期である。何かが終わることで、はじめて何かがはじまる。

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