目の前の人が落としたモノを拾わない世界

社会

目の前の人が落としたモノを拾わない世界

2020/12/2

誰かが、落としたモノは、拾わなくなった。特に、お年寄りが落としたモノが、こっちに来ても、拾わなくなった。

落としたモノを拾って、嫌な顔をされたという経験があるわけでもない。湯浅が、人のモノに触るリスクを考えてみた時に、触らない方がいいという判断をしたからだ。

落したモノを拾われて「ありがとう」という世界から、「あなたが触ったら、危険だから、人のモノに触らないで」という世界に転換した。

時代の変容は、有史以来の最高速度である。「こんな世界に誰がした?」ではなく、「こんな世界をどう生きようか?」である。

そんな速度の世界を生き抜く術は、たった一つ、変容を受容すること。この変わり続ける世界なんだから、変わることを前提にして、ただ受け入れること。

昨日の常識は、今日の非常識である。

今日の常識は、明日の非常識である。

そうすると、常識という概念こそが不安定なものだということに辿り着く

この記事では、常識という言葉を使っているが、湯浅は、常識という言葉が、好きではないから、日常においては、絶対に使わない。

常識という言葉は、ただの時代の価値観であって、当たり前ではない

例えば、今、マスクを着けてない人は、非常識だと言う。1年前に、マスクを着けてなくても、問題ない。むしろ、マスクを付けてる人は、病気かもしれない。といった風潮もあった。それが常識だった。今は、ほとんどの人が、マスクを着けてる。マスクが常識だと言う。

ウィルスを撃退する薬が出てきたら、マスクを着けなくてよくなる世界が、再出発する。

※多分、日本は、マスクが日常になるが。

だから、常識という言葉は、ただのその時代の価値観でしかないから、絶対的なモノではない。

では、絶対的なモノとは何か?

それは、自分の価値観に他ならない。

世間の常識という枠組みから、外れた価値観こそが、自分の価値観で、人生で、最重要視されるのは、たった一つの価値観である。

『幸せになりたい』

だだ、それだけである。
だから、自分が、幸せになるための価値観を作っているだけである。

「幸せって何だろう」って、考えなきゃ幸せなんて掴めない。

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