貧乏人は忙しく、金持ちは暇だ
2021/11/25
忙しいというときは、大体決まって、仕事のことを指す。忙しいという行動を止めたとき、暇になるのではない、仕事がなくなり、貧乏になるのだ。だから、忙しいの反対は、貧乏である。私たちは貧乏になりたくないから、仕事をして忙しくしている。お金持ちになりたいから、忙しくしているわけではない。
貧乏の反対は金持ちである。金持ちは、毎日、忙しくしていない。忙しい人は、自分のことで精一杯で、カリカリしていて、心に余裕がない。
お金持ちは、忙しくないから、心に余裕がありお金に余裕があるから、人のことを考えられる、人に優しくできる。それが好循環となって、人が集まることで、自然とお金も集まってくる。お金持ちは忙しくない、暇なのだ。暇だからこそ、毎日の仕事に忙殺されていないからこそ、本を読み、物思いに耽って、思考することができる。
お金持ちは「自分が労働することでお金を稼ぐ」という思考ではない。
資本主義社会での戦い方を極めているからこそ、お金持ちである。
資本主義なのだから、資本が主義の世界だから、資本がすべてである。
資本家に優位な社会である。
資本家?
お金持ちである。
資本家は資本を投資してリターンを得る。資本とはお金である。お金でお金を稼ぐ。これが資本主義社会の実情である。資本がない人たちは、自分の労働でお金を稼ぐしかないから、労働している。資本家が、資本がない労働者を雇って労働させる。うまくいけば、お金でお金が増えるというリターンがあるし、うまくいかなければ、お金を失うリスクがある。
- 資本なしリスクなしで、自分の労働でお金を稼ぐのが、労働者
- 資本を投下してリスクとリターンを引き受けて、資本の力で、お金を稼げたり、お金を失ったりするのが、資本家
すべての選択肢を学校が、社会が与えてくれるわけではない。確かに、昔より、情報の窓口は広がっている。だけど、やっぱり、自分で、情報を取りに行かないと、学校や社会が与えてくれた選択肢の中でしか選べない。私たちは、マークシートという効率的な受験戦争の中で戦い抜いてきた。「答えが選択肢の中にあるのが、当然だ」と思っている。だから、気が付かない。本当の答えは、選択肢の中にないことに。
本当の答えを自分で探すことが、自分で選択肢を広げることが、唯一の自分だけが求める正解への道である。社会が用意してくれた選択肢がある、もちろん、その中での最適解はある。しかし、それが、自分の人生にとっての唯一の正解とは限らない。
選択肢の中から答えを探していたのだから、当然である。
社会が用意した選択肢の中に、資本家はない。
他の選択肢を探すことに気付かなかったことが、問題である。
無知とは自己責任である。
自分の無知を自覚する。
自分が見えている以外の世界があることを理解しておく。私は、私が、見える世界、接する世界のことしか、触れることができない。それ以外のことは、知らないし、わからないのだ。
一方で、わからないからこそ、知ることができる。世界はわからないことだらけだから、一生かかっても、わからないことだらけだから、人生を、楽しむことができる。世界のことが全部わかって、自分の思い通りになる人生は、儚い、はかない。
脚本通りの映画のような人生なんかより、アドリブでどう転ぶかわからないコントや漫才のような人生の方が、楽しい。自分の性に、合っている。
無知を自覚して、わからないことだけらの世界を、少しでも、わかるようになっていく、わかる過程を楽しみながら、生きていく、我が人生なり。
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