相対の幸福論

幸福

相対の幸福論

2020/11/9

人は比較して生きている。

自分の周りにいる人と比較して生きている。

あの人より、年収が低い。
この人より、貯金がある。
俺より、いい車に乗っている。
俺より、高い家賃のところに住んでいる。

自分の価値観は、自分自身のことだから、絶対的なものなはずなのに、知らないうちに、相対的な判断をしている。

幸福という見えないモノは、自分で定義するしかない。

幸福になれないのは、幸福を定義していないからである。

そして、もう一つ、幸福になるためには、価値観の幅が必要である。

日本にずっといたら、日本の価値観しか享受できない。世界を見たら、世界の様々な価値観を享受できる。どんなに探しても、美味しい食事を探せない国や街もある。

ご飯が美味しくなくて、お腹が減ったから食べるのではなく、生きるために、不味いご飯を食べる。不味いご飯を食べるのが憂鬱だから、1日1食になる。

そんな世界を体感したら、もう、日本にいるだけで、美味しいご飯に溢れてて、好きな時に、ラーメンが食べられるだけで、幸福を感じられる。

世界を知るということは、価値観の幅を広げるということである。

広がった価値観は、日本にいるときに気付かない、ラーメンを好きな時に食べられるという幸福に辿り着く。

美味しい食事がない世界、美味しい食事への飢餓という世界、そこから現状を相対的に比較して、幸福を享受する。

幸福を享受したければ、インドやアフリカに行けばいい。あの世界の価値観を目の当たりにしたら、日本は天国でしかないことに気付く。

じゃあ、そんな飢餓の世界であるインドやアフリカには、もう二度と行かないのか?

行くんだ、飢餓の世界でも、行くんだ。

それは、例えば、ラーメン二郎のような、体に悪いとわかってはいても、やめられないような中毒性があるからだ。

旅とは、世界とは、中毒性がある。

その中毒におかされた俺は、そう、旅ジャンキー湯浅淳一 だ。

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