そうだな、例えば、宗教は、ジビエ肉のようなものか?

世界一周

そうだな、例えば、宗教は、ジビエ肉のようなものか?

2021/2/6

世界一周の一つの答えは、「世界は宗教でできている」ということだった。

世界の宗教が日常の常識から考えたら、日本の無宗教が日常は非常識だった。

「宗教って、世界の常識なんだ」と気付いたから、宗教について学ぶ。それは、知的好奇心というよりも、世界の一般常識として学ぶ。

英語が話せなくてもコミュニケーションは取れるけど、宗教を知らなかったら、コミュニケーションが取れない。宗教が常識の世界観では、無宗教の世界観は、理解されない。「自分は自分、他人は他人」という確固たる世界感ですら、「無宗教なんだーヘェー」ってならない。「なんで無宗教なのか?」という、本当に興味で聞かれる。「私の常識である宗教がない世界観ってどういう世界?」ってなるようだ。

日本に帰って来て、宗教が、日常にあるものという感覚になっていた。ここは日本。宗教の話しを、軽くしただけで、嫌悪感を現す人が多いことにビックリした。確かに、かつての自分もそうだったかもしれない。

日本では、宗教は、まだ、少し違和感がある存在である。

世界一周で知り合った人と呑むことになった。

そんな距離感の人達だから、場所やお店は、非常に難しい。

俺が、参加者全体の中央地の場所を指定したら、幹事から、その場所にあるお店を指定された。

あぁ、俺は、幹事に意見を言ってしまった。だから、あまり親しくない距離感では、もう意見を言えない。幹事が、コントロールしようとしていた所に、意見を言ってしまったから、もう、従うしかない。

それが、ジビエ肉という店でも。

人は、自分の価値観で、世界を見ている。

世界のほとんどの人が宗教で世界を見ている。豚肉とか、牛肉とか食べない宗教がある。

だから、日本で生きていたら、世界が宗教で成り立っていることを知らなかったりする。そして、宗教に嫌悪感を示す。

人は、自分の価値観で、世界を見ている。

自分がジビエが美味しいと思うから、みんなジビエが美味しいと思う。(行動経済学でいう、フォールズコンセンサス効果)

『ジビエという食べ物が好き嫌いが多い世界』だと気付かない。ジビエが美味しいという自分の世界感に引っ張られる。

・世界にはいろんな人がいる。
・日本にもいろんな人がいる。

そんなことを意外と知らない。

・納豆が嫌いな人がいることは知っている。
・レバーが嫌いな人がいることは知っている。
・セロリが嫌いな人がいることは知っている。

でも、こんな人も実在する。

・寿司が嫌いな人もいる。
・ステーキが嫌いな人もいる。
・焼肉が嫌いな人もいる。
・ラーメンが嫌いな人もいる。
・カレーが嫌いな人もいる。

本当に、人はそれぞれである。

世界の全てや日本の全てがわかっている訳ではないが、世界の宗教で唯一禁じられてない肉は、鶏肉である。世界中どこでも、鶏肉は食べられる。

そして、日本において、焼き鳥屋ほど、サラリーマンから、意中の女性まで、無難な店でもない。女性は、戦略かどうかは知らないが、「焼き鳥好き」とか言ったりするし、「焼き鳥好き」という女性に好感を持たない男性はいない。

実は、焼き鳥は、万人受けなのだ。だから、距離感がある人と呑む時、焼き鳥屋というワードが出たら、センスあると感じる。

逆に、ジビエ料理や、アフリカ料理といった、馴染みがない料理、または、アジア料理や、韓国料理など、好き嫌いが分かれる料理を、選択するのは、センスがないなと感じる。

俺は、「嫌いなことは嫌い」というけれど、状況は考える。ほぼ、初対面で、焼き鳥や居酒屋など、万人受けする場所を選ばないのは、センスである。

ジビエ食べれないけど、ジビエの店指定されたら、仲良い人なら断るけど、そうじゃないなら、断れない。目的は、呑むことであって、食べることではないから、食べないことにして諦める。

でも、それって、なんか、宗教みたいだなと。ジビエって、宗教に近しいなと。

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