【宗教2】三大一神教

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【宗教2】三大一神教

2020/9/8

ユダヤ教

<旧約聖書に描かれたユダヤ民族の歴史>

もともとユダヤ民族は、紀元前2000年頃に、故郷を追われてカナン(現在のイスラエルのパレスチナ)の地を放浪する民として歴史に登場する。

その後、ユダヤ民族はエジプトでファラオの奴隷とされていたが、紀元前13世紀頃にモーセに率いられてエジプトを脱出し、カナンの地に帰還した。
ダヴィデ王とソロモン王の時代(紀元前900年前後)に全盛期を迎えたものの、神に約束されたはずのユダヤ民族の王国はやがて新バビロニアに滅ぼされ、首都バビロンに連行されてしまう。
この「バビロン捕囚」は、紀元前539年にアケメネス朝ペルシアが新バビロニアを滅ぼし、奴隷だったユダヤ民族を解放するまでおよそ60年間続いた。

その間にユダヤ民族は、これまでどこにもなかった奇妙な宗教を完成させたのだ。
ユダヤ民族の歴史は確かに苦難に満ちているが、それは古代オリエント世界ではありふれたものだったはずだ。
ユダヤ民族以外にも数多くの少数民族がこの地に暮らしていて、彼らの運命も同じように悲劇的なものだった。
それが伝わっていないのは、ほとんどの民族が大国に征服されて皆殺しにされるか、多数派の民族に同化して消滅してしまったからだ。

そうしたなかで、唯一ユダヤ民族だけが、自らの神を守り、その歴史を文字に刻んだ。
それは彼らが、”絶対神”を発明したからだ。

古代の神は祖先の霊魂がアニミズムと一体化したもので、それぞれの民族ごとに固有の神と神話を持っていた(神と神話を共有する集団が民族だった)。
異なる神を奉じる民族は争い、神々は、決して交わることがなかった。
だが、このような”神々の闘争”では、ユダヤ人のようなマイノリティー(少数民鉄)の神は、エジプトやバビロニア、ベルシアなど大国の神に対抗することができない。
そこでユダヤ人が考えたのが(ユダヤ民族の前に現われたのが)、すべてのローカルな神を超越する絶対神だ。
絶対神がユダヤ民族を選んだ以上、”選民”である彼らが他の民族や宗教に「同化」するはずはない。
これが、放浪の少数民族であるユダヤ人が自らの神と文化を守った理由だ。
ところでユダヤ教の神は、絶対神でありながらユダヤ民族のためだけの神でもある。
それはユダヤ民族のみが神と契約を交わしたからなのだが、これでは実態としてはローカルなのままだ。

キリスト教

ユダヤ教の矛盾を解決し、神の権威に合わせて教義を書き換えたのがイエス・キリストだった。
このイノベーションによって、「(民族を超えた)万人のための神」というグローバル宗教がはじめて誕生した。

キリスト教は、数々の弾圧に耐えてやがてローマ帝国の国教となる。
だがこれは、ローマが多民族国家であったことを考えれば、歴史の必然だった。
神は民族に固有のもので、他の神と殺し合う定めなのだから、支配地域に自らのローカルな神を押しつけるのは社会的な混乱を招くだけだ。
多民族を支配するローマの神は、民族を超越したグローバルなでなければならない。
このような神を奉じていたのは、当時、キリスト教だけだった。

イスラム教

今日に至るまで、真の意味でのグローバル宗教は、キリストと、ムハンマドが新たな予言を得て聖書を再解釈したイスラムの2つしかない。
仏教は「法治」によって、儒教は「一人治」によって身分や民族の壁を越えようとしたが、そこでは「神」が世界を支配しているわけではない(いずれもローカルな神と一体化して各地で宗教化した)。
地中海という特別な場所(グローバル空間)が、紀元前後の数世紀のあいだに2つのイノベーションを生み出して、人類の歴史にはじめて「論理」と「絶対神」というグローバルスタンダードをもたらした。

【参考】橘玲著(日本人)

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