【本要約】世界がわかる宗教社会学入門 ( 橋爪 大三郎 )
2021/11/20
欧米でも、イスラム諸国でも、インドでも東南アジアでも、世界の国々で、宗教は日常生活にすっかり溶けこんでいる。このことに気づけば「 宗教とは何か半分ぐらいわかったようなものだ 」と言ってもいい。
宗教のルーツ
知的生物は思考する。
・自分はどこから来たのか。そして、どこへ行くのか。
・自分はなんのために生まれてきたのか。
・この世界は、いったい、どうして存在するようになったのか。
こうした疑問は、考えなくても生きてゆける。でも、誰もが、ふとした折りに、必ず考えてしまう。なぜなら、私たちは知性がある生き物だからだ。
- 知性は、生きている個々の個体の活動である。ところが個体は、必ず死んでしまう。
- 知性は、「 やがて死んでしまう自分とはなんだろう?」と考える。
けれども、この問いには答えられない。死んでしまった知性に「 死んだらどうなりましたか?」と聞くわけにはいかない。死んだ知性は、知性としては存在しなくなっているからだ。
自分の知ることのできないことを知ろうとすること。これが、知性の知性たるゆえんである。
① 世界が「 ある偉大な知性の手で設計され製造された 」と考えてみる。
② 世界が、価値にあふれ意味に満たされているのは、当然である。
③ 世界は、製造されたのだから、始まりがあり、終わりがある。
④ 世界を製造した知性は、世界の外側にあるのだから、始まりも終わりもない、見えない。
⑤ この偉大な知性を「 神 」と呼ぶことにする。
→ 一神教
- 人間は、神に製造された被造物である。
- 人間は、何のために生まれたのか [ 哲学 ] 。
人間は、死んだらどうなるのか [ 宗教 ] 。
そういったことを知りたければ、神が何を考えているかを知ればよい [ 科学 ] 。 - 神が何を考えているかは、神の声を聞いた人 ( 預言者 ) の話を聞けばよい。
- 預言者の話は『 聖書 』にまとめられているから、『 聖書 』を読めばよい。
① 世界が「 永劫の昔から究極の法則に従って運動している 」と考えてみる。
すると、世界には、始まりも終わりもない。
②「 世界も人間も、変化していくようにみえるが、実は変化していない。究極の法則は変化しない。変化していくものは、現象である。価値も意味も、人間の生命も、変化していく。だから現象にすぎないのだ 」と理解すべきだ。
③ 究極の法則を理解することが、人間の知性の最高のあり方である。
そんな知性のあり方は、人間の生死を超越して、究極の法則と一体化している。
④ 究極の法則を、法 ( ダルマ ) と呼ぶことにする。
また、最高の知性を、仏 ( ブッダ )と呼ぶことにする。
→ 仏教
- 人間は誰でも、知性を持っている。
- 知性を最高のあり方に導きさえすれば、誰もが仏 ( ブッダ ) になれる。
- 究極の法 ( ダルマ ) がどのようなものであるかは、仏 ( ブッダ ) の言葉をまとめた経典に書いてある。
① 世界は「 過去を単に再生産しているのだ 」と考えてみる。
② 過去を忠実に辿ることが、人間にとって最高のあり方である。
③ 知性は「 過去がどのようであったか 」をよりよく理解しなければならない。
この世界を成り立たせている価値も、意味も、過去の世界によって支えられている。
④ 過去の世界の価値や意味は、過去の理想的な知性によって運用されていた。
⑤ この知性を「 聖人 」と呼ぶことにする。
→ 儒教
- 聖人が「 どのように、この世界の価値や意味を運用していたか 」は、四書五経に書いてある。
- 四書五経を読んで、読みぬいて、自分も聖人と同じように行動する。
それが、望ましい知性のあり方である。 - 現在の世界の価値や意味を、そのまま、次の世代に伝達することが、人間のつとめである。
いくつかの例をあげた。これらは、知性をもって生まれた人間が、考えられることの限界に挑戦する、いくつかの試みであり、工夫である。
こうした工夫は、人々の共感を呼び、人々に共有され、大きな運動となって拡がってゆく。
人類の歴史を紐解いてみると、知性が、限界を超え「 考えられないことを考えよう 」と苦闘してきた歴史でもあることに気付く。
- 知性の苦闘なしに、人間は、自分の存在理由を確かめることができなかった。
- 価値に溢れ、意味に満たされているこの世界が「 そのままでよいのだ 」という確信を持つことができなかった。
- 誇りある知性として、自分を肯定することができなかった。
宗教は、知的な試みである。
- 日本に伝わった仏教は「 経典を読まなくてもよい 」という浄土真宗 ( 念仏 ) や法華宗 ( 題目 ) に変わってしまった。
- 日本に伝わった儒教は「 四書五経を読むことより、天皇に真心を尽くすことのほうが大切だ 」という尊皇思想に変わってしまった。
- 江戸幕府も明治政府も「 宗教は、政府に反対する反体制の思想だ 」と警戒した。
特定の宗教に熱心だと、出世や商売に差し支えた。
日本人にとって、宗教は知的な活動でないから「 病気や災難にあって困っている人の気休め 」か「 人をだます迷信 」ということになる。だから、外国で、人々が熱心に宗教を信じていることが、理解できなくなる。そこで「 宗教とはなんだろう?」という疑問を持つようになる。
宗教とは何か?
・社会学は、社会現象を科学的に解明する
・社会現象とは、人間の相互行為が複雑に絡まりあったモノ
・社会構造とは、社会現象の中の相対的に安定した、変化しにくい部分
マックスウェーバーは「 プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 」という論文で、キリスト教のプロテスタントに特有の「 禁欲 」の考え方が「 資本主義経済の成立にとって不可欠だった 」という、結論を示した。
日本の宗教の歴史
- 日本が開国して、明治になったとき、日本は海外に対して信教の自由を認めざるを得なかった。
- キリスト教の布教は自由であるが、明治政府としては、天皇中心で政治を行いたい。
- 政府は「 神道は宗教にあらず 」とした。
- 神道は、宗教ではないので、キリスト教徒にも、仏教徒にも、天皇崇拝・軍人勅諭・教育勅語を強制できた。
- 「 神道は宗教にあらず 」として、神道の思想を強制しても反発が起きなかったのは、日本人の生活や風俗・習慣に神道が溶け込んでいたからだ。
- 日本が戦争に負けた結果、GHQが「 神道を宗教にする 」ように命令され、日本国憲法にも政教分離の原則が謳われた。
日本の神々は、日本の島々や、自然や、日本人を「 産んだ 」祖先である。祖先なので死んでいる。
一神教の神は、宇宙と人間を「 創った 」。神の命令で人間は死ぬが、神自身は永遠に生き続ける。
日本人は「 儒教を思想だ 」と受け取ったが、儒教は、社会を実際に運営するためのマニュアルである。
ユダヤ教
② 絶対神との契約によって宗教が成り立っている。
③ 契約は必ず守らなければならないので、宗教は法律に等しい。
古代ユダヤ民族は、国家に対して、税金と軍事的義務を果たす代わりに、自治と宗教の自由を認めてもらっていた。
・アブラハム
・イサク ( イサクの犠牲 )
・ヤコブ ( イスラエル )
・ヨセフ ( 7年の豊作と不作 )
・モーセ ( 10戒 )
・サムエル
・ダビデ
・ソロモン
- 預言者は神の声を聞く人だから、神が絶対である。
- 神と権力者が矛盾した場合は、神に従う。
- 権力者に従わない者は処罰されるが、ユダヤ教では「 神こそ本当の支配者だ 」という思想があるので、神の声を聞くことのできる預言者を処罰できない。
- 預言者が、権力者を批判する。
この権力と宗教 ( 預言者 ) が分離しているのが、一神教の特徴である。
一神教においては、神との契約が重要視される。
遊牧生活を送るユダヤ社会では、定住していないので、契約で相手との信頼関係を確実にしておかないと安心できない。
- 人間は、時に、神に背いてしまうことがある。
- そのままだと神の怒りを買い、滅ぼされてしまう。
- そこで預言者が現れ、人々に契約を守るよう警告する仕組みになっている。
キリスト教
イエス・キリストのイノベーション
・イエスは、洗礼者ヨハネの洗礼を受ける。
・イエスは、ユダヤ人で、もともと、ユダヤ教徒であった。
・イエスは、ユダヤ教の思想を否定して、預言者のような活動をしていた。
・イエスは、ユダヤ教の思想の否定がキッカケで「 神を冒涜している 」とみなされ、死刑となった。
イエスは旧約聖書を引用して、愛を説いた。神が律法を与えたのは、神が「 人類を救済しよう 」という意思 ( 愛 ) を、持っているからである。神の愛に応えて「 我々も神を愛し、人間同士も互いに愛し合わなければならない 」と説いた。愛が実現され、神と人々が和解して ( 人間の罪が許されて ) 生きる新しい世界が、神の国である。
ギリシャ語で ” love ” に相当する言葉は3つ
・フィロス … 知的好奇心
・エロス … 性愛、相手への価値を認める。
・アガペ … 神の愛、無償の愛、相手の価値は関係ない。
イエスの説く愛は「 相手が自分にとってどんなに価値がなかろうと、同じ人間であるから、利害打算を超えて大切にしましょう 」という教えである。
隣人 … 習慣や考え方が違う異民族・異教徒のこと
隣人を愛しなさい … 嫌いな人も、言葉が違う人も、肌の色が違う人も、世界中のすべての人と仲良くしないさい。
神に逆らうのが罪である。
「 自分を中心にして世界を解釈し、自分中心に行動する 」ことは、神に逆らっていることに等しい = 罪である。
罪とは、重力のようなモノなのである。人間は重力によって罪深くなってしまう。
人間は神に背いて破滅させられてしまうから「 神に背きながらも救われる 」というロジックになる。そのためには「 誰かが人間の罪を引き受けて犠牲になる 」という前提が必要になる。
その誰かが、イエスである。
- イエスは、罪がないのに処刑された。
- それは「 イエスが人間の罪を背負って死んだ 」ことと同じである。
- だから、人間は神から赦される。
① 人間が創造された当初、人間は死ななかった。
② イブが蛇にそそのかされて、アダムと一緒にリンゴを食べた結果、知恵を身につけ、神を疑うようになった。
③ 神に罪を犯し、その罰として、死ぬようになった。
④ 人間が神に赦されれば、人間は死ななくてよいはずだ。
新約聖書の大部分を執筆したイエスの弟子パウロは「 人は皆、上に立つ権威に従うべきだ。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたモノだ 」とした。
- 地上は世俗の国王が支配し、教会は霊の救済に責任を持つという分担が生じた。
- 国王は教会を庇護して信仰を擁護し、教会は国王の統治に協力した。=二王国論
- 二王国論は、ヨーロッパの封建制・絶対王政・近代国家の基礎になった。
そして、思想の自由・言論の自由の基礎になった。 - 教会と国家は独立しているのだから、教会が言論で権力を批判してもいい。
言論は言論で決着して、権力を介在させない。
こういった文化から、自然科学が生まれた。
- ユダヤ教 ( & イスラム教 ) は、神との契約を本質とする宗教である。
神と結んだ契約を、人間が勝手に変えられないから、契約 ( 宗教法 ) は、不変である。 - キリスト教は、イエスは神の子であるから、旧い契約 ( 旧約聖書 ) を廃止し、新しい契約 ( 新約聖書 ) を結ぶことができる = 契約の更改。
- イエスは「 私を信じれば救われる 」と説いた。
絶対王政を覆した近代市民革命も、資本主義社会を打倒する共産主義の革命も、契約の更改からの派生である。
- ユダヤ教では、救済はユダヤ民族であったが、キリスト教では、一人一人が裁きを受けて救済の有無が決まる。
- 救済は、神の意思によって決まる。
- 神の信仰は、救済の条件のひとつである。
「 神の信仰さえも、人間の自由意志ではなく、神が我々に信じてさせてくださる 」と考えて、神の恩恵とみなす。 - 人間は、もともと神に逆らうようにできている ( 原罪 )、ゆえに、自己努力では救われないから、イエス ( 神の愛 ) を信仰する。
ルターとカルヴァンのイノベーション
キリスト教は、布教の過程で哲学的思考を取り入れて変容した。その中で特徴的なモノが、肉体と霊魂との二元論である。肉体が滅んでも霊魂が残る。最後の審判では、霊魂を元に復活する。
ルター
ルターは、聖書中心主義 〜 個々人が聖書のみを仲立ちとし、信仰によって神と直接結ばれる 〜 を唱えた。ルターが、ローマ教会の免罪符を否定したのは、聖書に書いていないからだ。神が人間の救済を決める以上、人間 ( ローマ教会の教皇 ) が、関与できるはずがない。
【 ルターの思想の広がり 】
- ルターは、ローマ教会からの重税に苦しんでいた領主たちを味方につけた。
ルターに賛同することで、領主たちはローマ教会への徴税を逃れた。 - 活版印刷というテクノロジーによって、聖書が一般に流通した。
聖書を読み知識をつけた人たちが、ルターの背中を後押したことで、ルターの思想が浸透していった。
【 ルターのイノベーション① 】
- すべての職業に就く人々に対し、仕事を、神が人間に与えた天職と呼んだ。
- 神父や貴族や王様だけが貴いわけではない、すべての職業は同じように神聖で貴いとした。
聖職者、王族・貴族、商人、農民という身分序列が崩壊したことが、宗教改革による大きな革新であった。
【 ルターのイノベーション② 】
もうひとつの革新は、暴力の肯定である。隣人愛のための武力を許容した。
- 中世の刑法は、復讐法だったので、自力救済である。
「 自分のために武力を行使していい 」という原則でできている。 - 近代刑法は、国家が暴力を独占して、復讐は禁止する。
そうすると、国家が暴力を独占することを正当化しなければならない。
–
- 軍人は、人に暴力を奮う職業である。
従来の考え方からすると、軍人は悪い職業になる。
しかし、ルターの考え方によると、軍人も天職である。 - 軍人は、暴力を受けている人がいた場合、駆けつけて制裁を加える。
制裁は、自分のためではない ( = 隣人愛 )。自分のためではないからこそ、正しい。
個人的利害や動機ではなく、悪い人間に暴力を奮うのは、制裁として正しい行為だ。 - こうして初めて、国家が暴力を独占できる。その国家は絶対的で、封建領主や貴族の武装を解除し、武力を国家に集中できる。これが近代国家である。
ルターの聖書中心主義が、プロテスタントの礎となって発展していった。
正しい信仰生活をしてしてる人は、神からの恩恵を受けて、神に「 神を信仰するようにさせてもらっている 」と捉える。信仰の意思すら、自分の意思で信仰していることすら、「 神のお導き 」と考える。人間に自由意志は存在しない。
カルヴァン
カルヴァンの救済予定説は、人間の行動様式 ( エートス ) を劇的に変化させた。
知りえないのに、救われると信じたい。
そのため、人々は、世俗内禁欲へと駆り立てられる。当時の禁欲とは「 欲望を我慢する 」という意味ではなくて「 自分の行動すべてを一定の目的に従属させる 」という意味である。世俗の職業に全身全霊をこめて邁進するのが、世俗内禁欲である。
【 カルヴァンの思想の広がり 】
② 利潤は「 神がその労働をよし 」としたものと解釈され、蓄積して再び資本投下された。
③ 利潤それ自体を自己目的とし、浪費や蓄財を断念した近代資本主義の種が蒔かれた。
- 世俗の職業が「 天職 」で、正直に、商売をする。正直は、隣人愛の実践である。
- 品質のよいものを生産し、約束の時間を守り、値段をごまかさず、タイム・イズ・マネーで猛烈に働く。
やがて信用ができて、商売もうまくいく。 - 働けば働くほどお金が貯まる。
お金が貯まるのは「 神の恩寵がそこにある 」という意味になる。 - 成功はいいことなのだ。
私利私欲があったら、うまくいかない。私利私欲がなく、きちんと働いている。
その結果、経済的に豊かになるのは構わない。 - 「 経済的に成功することは神の恩寵だから、成功を目指すべきである 」と考える。
この考え方が資本主義に発展していくには、世俗的な成功が自己目的化しさえすればよい。
プロテスタント教徒 = ピューリタンによって建国されたアメリカ合衆国の大統領制は、キリスト教を国教とした古代ローマに習ったモノである。信仰の自由を守る ( 大統領 )、法律を守る ( 国民 ) といった統治契約が、憲法の基本になっている。
イスラム教
【 儀礼的な神への務め 】
① 礼拝
1日に5回メッカのカアバ神殿の方角に向かって礼拝する。
② 喜捨
③ 断食
イスラム暦9月の1ヶ月間 ( ラマダーン )、日の出から日没までは食事や飲み水を断つ
④ メッカ巡礼
一生のうち一度はメッカ巡礼を行う
⑤ 信仰告白
【 実践的な神への務め 】
・ジハード ( 聖戦 )
戦争に限らず、イスラム教を発展させる努力であり、その途中で倒れたムスリムには天国が約束される。
・シャリーア ( イスラム法 )
聖典クルアーン = コーラン、その他の定める法規、豚肉・賭事・飲酒・利子の禁止や複婚の承認などの生活規定がある。
イスラム教は、ユダヤ教やキリスト教よりも、合理的で体系的であるが、スタンダードにならなかったのは、一般に「 最も優れた規格が1番普及するとは限らない 」からである。
死後の世界観
死んだらどこへ行くのか?
- 一神教
神を信仰し、今、生きている人生を謳歌する。
・キリスト教・イスラム教 … 最後の審判で復活し、天国に行くか地獄に行くか決まる。
・ユダヤ教 … 唯物論的で、死者は存在しない。 - ヒンズー教・仏教
輪廻を信仰するので、死後の世界はない。輪廻は死んでもまた生まれ変わる。 - 儒教
現世中心主義なので、死後の世界に関心がない、ユダヤ教と同じ立場である。
仏教
輪廻
仏教は輪廻を前提としている。輪廻を信じるのであれば、祖先崇拝はない。
仏壇に、祖先の位牌を祀るのは、仏教ではなく、道教である。
輪廻は、インド特有の考え方である。輪廻の起源はアーリア民族のインド征服にある。アリーア民族は、征服後にカースト制度を設けた。
① 全員がどこかのカーストに所属する
② カーストに序列がある
③ 世襲で職業と結び付いている
低カーストの者は「 前世の行いが悪かった 」からだ。しかし、来世では、上のカーストに生まれ変わるかもしれない。輪廻を信仰することで、現世の理不尽さを払拭できる。
- インドの古代宗教をバラモン教と言う。
- バラモン教が変化して、ヒンズー教になった。
- インド人の中では、仏教はヒンズー教の派生である。
- 熱帯では、生物はすぐ死ぬ、死んだと思ったら、新しい生命がやたら生まれる。
- しかも、そのサイクルが短い。生命循環が早い。
- 有機物はすぐに腐って分解し、またすぐに実る。
輪廻は、熱帯に特有の生命サイクルから生まれてきた思想である。
※輪廻 … 動物が生命循環していること
仏教で目指す先は、輪廻からの解脱である。
一神教では神が真理だが、仏教における真理とはダルマ ( 法 ) である。
※ダルマ … そこに在るもの、宇宙の構成原理・普遍法則で、永遠に不変である。
- 人間である自分が「 ダルマの根本法則に支配されている 」という、ありのままの姿を実感する。
- これが、悟るための原因になる。
- これが、原因となった結果、自分が変容して、解脱する。
仏教が、輪廻を乗り越える、輪廻の法則の外に出る、解脱という概念を生み出した。
仏教思想
① 諸行無常
万物は常に変化して止むところはない。
② 諸法無我
すべてのモノは因縁 ( 縁起 ) によって生じたモノで実体がない。因果関係
③ 涅槃寂静
迷いの火を吹き消せば心の平静が得られる。
④ 一切皆苦
この世の本質は、苦悩・煩悩である。
・四苦八苦から成り立っていることを理解する苦諦
四苦
生・老・病・死
八苦
生・老・病・死 ( 四苦 )
愛別離苦 … 愛している人を失うこと
怨憎会苦 … 嫌な人と一緒になる
求不得苦 … 欲しいモノが手に入らない
五陰盛苦 … 有情を形成している色・受・想・行・識の五陰から生じる心身の苦悩
・苦の原因は煩悩 ( 貪瞋痴:執着・憎悪・無知 ) であることを理解する集諦
・苦の生ずる順番を逆に辿ってその原因を失くしてく滅諦
・以上を日常に実践する道諦
- この世の本質が苦であるならば、苦をそのまま認識するしかない。
- 苦を徹底して認識した途端、苦は苦でなくなり、快楽になる。
日本の仏教①
仏教の出家修行者には刑事罰は及ばない、世俗法で僧侶を裁くのは禁止である。僧侶は「 自治権を持っていて、刑法の適用を受けない 」という保証を受けている。実際に罪を犯したら、還俗させられ、俗人になった後、処罰される。
出家というのは、本来、本人の自発的行為だが、中国から輸入された仏教は国家宗教になった。国家宗教なので、出家すると税金が免除になる。そうすると、税金逃れの出家者が増える。政府は、勝手に出家する人を「 私度僧 」として禁止し、出家が国家の許可制となった。日本の仏教はそこから始まった。
古代中国の正統思想である儒教、それと相補完的な関係にある道教に、仏教を加えた儒教・道教・仏教の三教合一の思想が、遣唐使を通じて、日本に伝わり、日本の正統思想となった。
中国と仏教
- 儒教にあるように、中国人にとって年長者や政治的指導者への服従 ( 親に孝、君に忠 ) は、道徳や政治の根本原則である。
→ 仏教は、親を捨てて出家し、現実世界を離れて修行することに価値を置く。 - 中国人にとっては「 この世界こそが大事、この世界で幸福を追求すべき 」である。
→ 仏教では「 この世界は苦であるから解脱をめざす 」と、正反対である。 - 在家の人々に食事を求める僧侶の「 乞食 」は、中国では社会の最底辺の人々が行なうことで、差別の対象になる。( インドでは最高の聖者が行なうことで、尊敬の対象 )
これだけ社会構造や思想が違うと、仏教は中国に受け容れられなかった。
禅宗の特徴は、仏教の経典・戒律を無視し、新しい修行の規則を定めた。
地面にいる虫を殺す可能性があるから、殺生戒を守るためには農業ができない。
労働ができないので、乞食をするしかない。
【 禅宗 】
農業や料理を修行と捉えた。
僧侶が料理をするが、殺生戒を守り、味噌や豆腐など、植物タンパクを多用する精進料理を発達させた。( 精進料理が日本に伝わって日本料理のベースとなった。)
日本の仏教②
武士は、農地を経営し政治・経済の実務を担当しながら、十分な社会的地位が与えられず、「 殺人 ( 不法行為 ) を常習とする 」という虚無感に苛まれていた。
→ 禅宗は「 世俗の職業に従事するのも修行として大切だ 」という論理を持っている。また、虚無感は世界の実態に近いので、意味があると捉える。
貴族も、無常感に悩まされていたが、武士の場合と違う、貴族の場合は、リッチマンの罪悪感である。
→ 仏教の無常観に通じる。
農民は「 厳しい労働の成果を貴族や寺社や武士に奪われるうえ、社会的地位も名誉も与えられない 」という疎外感を抱いていた。支配者のための仏教に代わる、明快・簡潔な世界観を求めていた。農民は忙しいので、出家したり経典を読んだりする余裕はない。そのような農民の苦悩に共感する僧侶が現れた。
→ 浄土宗の開祖法然である。
① 極楽往生の条件を念仏に一本化した。
②「 南無阿弥陀仏 」の念仏と唱えるだけである。字が読めない農民にも唱えられる。
③ どんな悪人でも念仏を唱えれば、往生できるとした。
浄土宗の思想は、庶民・農民・武士・貴族まで様々な階層の人々に支持されたが、旧仏教から圧迫を受け ( 念仏停止 )、法然は流罪になる。
法然の弟子で、念仏停止で流罪になった親鸞は、浄土宗を進化させて浄土真宗を開祖した。
① 往生のために、人間の側の主体的行為は必要ない。
阿弥陀仏の主体性にすべて任せるのが正しい ( 絶対他力 ) という思想である。
② 自力の否定は、修行や出家の否定となる。
親鸞は、自身を出家修行者でも在家信者でもない、非僧非俗とし、妻帯した。
③ 自力は個人に依るので差別を生むが、絶対他力は「 阿弥陀仏の前での平等 」という考え方だから、平等な社会を実現できる。
日蓮は、法華経を土台にした日蓮宗を開祖した。南無妙法蓮華経と啓典の題目を唱えるだけでも功徳があるとした。
日蓮の弟子の日興が、日蓮正宗を開祖した。日蓮正宗は、日蓮を仏陀として、日蓮宗の正当性を唱える分家である。日蓮正宗は、創価学会の始祖である。
・明治政府は、尊皇思想を徹底させるため、神仏分離令を出して、寺と神社に分けた。
→廃仏毀釈が起こり、寺の仏像が破壊された。
儒教
儒教は、階級制の道徳である。階級的な儒教道徳は、社会構造と調和している。戦乱の続く中国では宗教は安全のために不可欠である。
神を信じるのが宗教ならば、儒教は宗教ではない、儒教は政治である。「社会的思想や社会の根底を為している」という観点から見ると、儒教は、中国社会の価値観の骨格を為している。
・人間の価値の根拠となること
・人間の行動に指針を与えること
・世界観を供給して、社会が円滑に運行するように社会構造を支えること
中国では、儒教は、宗教としての社会的役割を果たしている。
儒教・道教やその他の中国の思想も、先祖崇拝を前提にしている。
・先祖崇拝 ( 孝 )
・支配者への服従 ( 忠 )
この2つを突き詰めていくと、理想の政治家となる。
②統治者の奴隷は、側近となり権力を持ち始めた。
③「奴隷でもないのに臣になろう」とする者が現れ、官と言った。
- 奴隷は社会の最下層の存在ではない。
- 奴隷は主人の所有物である。
自由人ではないから、完全な権利の主体ではないが、当時は、主人が偉ければ奴隷も偉くなる社会であった。 - 奴隷でも能力があれば、主人から評価されて、身分は奴隷のままでも、大金持ちになることもあった。
孔子は、祖先崇拝を唱えるも、自分自身は血縁を頼りにできなかったので、教育を武器に身を立てるしかなかった。「教育によって人材を登用する」というのは、新しい思想であった。教育さえ受けられれば、身分に関係なく、誰でも官僚になれる時代の幕開けであった。
【孔子の業績】
・古い文書を編纂し、儒教の古典として残した。
・学校を作って、弟子の教育に尽力した。
【論語】
・孔子の言行録を弟子がまとめたモノである。
・中心思想は「仁」であり、真心と思いやりをともなった人間らしさの「徳」を説く。
・「統治者の政治力と倫理性 ( 徳 ) によって、安定した国家が実現できる」という徳治主義
・「政治が良ければすべて解決する」という政治万能主義
儒家と法家
中国統一した秦の始皇帝は、儒家ではなく、法家の思想を重んじた。
法家では、「法律で社会秩序を維持しよう」という思想である。中国では、法律は、支配者 ( 皇帝 ) の命令である。しかし、祖先崇拝を行い、血縁を重視して社会を運営していると、法律が機能しなくなる。有力者の血縁に法律を適用しにくい。
一方、儒家は、徳や礼を重視し、法よりも慣習で統治しようとした。しかし、実際には犯罪を取り締まらないといけないので、法家の思想も取り入れて、社会を運営した。
朱子学
孟子の易姓革命という思想が、朱子学の正統説である。
※易姓革命 … 徳のある者が徳のない君主を倒し、新しい王朝を立てる。
朱子学は、天 ( 宇宙 ) の実態について思索を重ねて、宇宙生成の仮説を体系化した。気は、宇宙に充満する物質であり、気がモノを形作り、気が生命の根源とした。
・性 = 天に賦与された理
・仁義礼智 = 性の具体的内容
・情 = 心の奥に潜む性が外物と接触するときの動作
尊皇攘夷
江戸幕府は、朱子学を絶対とすることで、幕府の権力を不動のモノにしようとした。
朱子学には統治の正統論がある。天皇から征夷大将軍に命じられている徳川家が、権威を維持することで、幕府を安泰させたかった。
日本では、朱子学を学んだ武士の尊王思想がスタート地点となり、明治維新へのロードマップとなった。
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