【本要約】代表的日本人
2022/4/24
マコーレー卿
西郷隆盛
西郷隆盛は、新しい日本の創設者である。
明治維新は、
・進歩的な西洋
・保守的な東洋
といった全く異質な二つの文明を代表する二つの新種が公平な立場で交流するようになった歴史的転換点
ペリーは、大砲によってではなく、神を讃える讃美歌によって、「 日本を開国へ進めよう 」と試みたのだ。
西郷は「 命というのは、主君と国のために捧げるもの 」という思想を目の当たりにしたときに、自分の本分を自覚した。
西郷は陽明学に学び、影響を受けている。陽明学の思想を吸収して、実践的な性格を作り上げた。また、禅宗にも通じている。
西郷の指針は陽明学に根本を為す
・統一国家の建設
・東アジアの統合
水戸藩の藤田東湖を師と仰いだ。
藤田東湖
西郷隆盛
藤田東湖から、感化されたことで、統一国家の建設、「 ヨーロッパと対等な立場になるため 」の、大陸への領土拡大、そして、日本をそこへ導く具体策が、西郷の中で最終的な形となった。
明治維新は、西郷隆盛による大改革であった。もちろん、一人の力で国家の再建は、為し得ないが、西郷なしで明治維新は可能だったかは疑問だ。維新全体を、動かし始める原動力、そして、その維新を具体的に推進していった人物が西郷である。
新しい日本をその双肩に担っていた西郷は、同志のためなら敬愛と厚情の証として「 自らの命を投げ出しても惜しくない 」という姿勢だった。
東アジアの統合という目的は、当時の世界情勢を視野に入れて編み出されたものであった。日本が領土拡大し、東アジアを率いる国となり、ヨーロッパの列強と並ぶことが「 太平への足掛かりだ 」と考えた。
西郷は学問の目的を「 敬天愛人 」と説いた。
※敬天愛人:すべての知がここにあり、反対に、すべての無知は自己愛にある。
この始末に困る人ならでは、艱難 ( かんなん ) を共にして国家の大業は成し得られぬなり。
西郷隆盛から山岡鉄舟への言葉
好機には二種類ある。求めなくても訪れる好機と、自分で生み出す好機である。よく言われる好機とは、大抵、前者のことである。
徳は結果的に富をもたらす源である。
農業に例えてみる。欲深い農夫は、種を惜しんで少ししか蒔かず、あとは秋の刈り入れまでひたすら待つのみ。当然、もたらされるものは飢えしかない。賢い農夫は、質のよい種を蒔き、その後もいろいろと手入れをする。穀物は百倍にも実り、あり余る収穫を得ることになる。蓄えようとする者は収穫しか頭になく、植えることに思いが至らない。一方、賢人は植えることに精を出す。だから、求めなくても収穫がもたらされる。
- 聖人君子は施すために節約するものである。
自身の困苦を気に病まず、ただ民の困苦のみを案じる。 - 泉に水が湧くごとく富が聖人のもとへ流れ込む。
- 恵みが惜しみなく降り注ぎ、人々がそれに浴する。
上杉鷹山
施して浪費せず
① 領民の父母役としての小国の管理
② 教師
③ 警察
幼い子は自分のことがわかっていない。それでも母親は、その子が何を必要としているかを理解し、満たしてやる。それができるのは真心があるからだ。真心さえあれば、できないことは何もない。母が子に接するように、役人も領民に接しなければならない。領民を愛する心さえあれは、心の分別の足りなさを嘆く必要はない
教育が施されていない領民を治めるのは、手間暇が関わる割に、効果が上がらない。
東洋思想の美点のひとつに、経済を道徳と必ず関連づけて論じてきたことがあげられる。東洋の思想家にとって「 富とは常に、徳の結果もたらされるもの 」であり、その関係は、実と木の関係と同じである。木に肥料を施せば、労することなく確実に実がなる。民に愛情を注げば、富は当然もたらされる。
二宮尊徳
尊徳は、儒教の経典のひとつである『 大学 』をどうにかして手に入れると、一日の仕事をすべて終えたあとの深夜、こつこつと学んでいくことに没頭する。ところが、尊徳が書物を読んでいることをまもなく知った伯父から、自分 ( 伯父 ) には何の得にもならず、「 尊徳自身にも実益がある 」とは全く思えない勉学に、( 書物を読むための ) 貴重な油を使うとは何事かと、きつく叱られてしまう。
「 伯父が怒るのも最もだ 」と思った尊徳は、自分の油で灯りをともせるようになるまで、書物を読むのを断念する。
尊徳は、自分で菜種を蒔き、たくさんの菜種がなると菜種と油と交換して、読書を再開する。
伯父の言い分は、養っている以上、尊徳の時間は自分 ( 伯父 ) の時間であり、この家の者誰一人「 書物を読む 」などという何の得にもならないことをさせておく余裕などない、というものだった。
尊徳はここでもまた、「 伯父の言うことは筋が通っている 」と考え、言いつけに従い、田畑での一日の重労働を終えると、今度は、むしろやわらじを編む作業に取りかかるようになった。このとき以来、書物を読むのは、野山への行き帰りに行ようにした。家で使う薪や柴をとりに、野山へ毎日行かされていた。
休みの日は自分の時間とはいえ、尊徳は遊んで無駄に過ごすような人ではなかった。あの菜種の経験から、まじめに働くことの価値を学んだ尊徳は、もっと大きな何かをまた試してみたくなった。荒れ果てた地を開墾して米を作った。
自然はその方に従うものに豊かに報いてくれる。
荒地は荒地そのものの他力で開くもの、貧困はそれ自体がそこから抜け出せるようにできているものだ。
誠意は天地をも動かす。
- あるとき、村人のあいだに不満が広がり、どんな「 仁術 」でも抑えられなくなったことがあった。
- 尊徳は
「 こうなったのはすべて自分に責任がある 」と考えた。
「 誠意が足りないために、天から罰せられている 」と思った。 - 21日間の断食を行うことで、村人を導く際の誠意を身に付けようとした。
森羅万象は絶えず動いていて、私たちを取り巻くあらゆるものは、その成長を止めることはない。
この絶え間ない成長の法則に従い、働く手を止めなければ、貧困はこちらから求めたってあり得ない。
自分本位過ぎるといけない。自分本位はケダモノの性質、つまり、そういう人間はケダモノ同然である。自分自身を与えることで、自分本位にならないように務める。
不正に為した富は、本当の富ではない。自分のものと言えるのは、自然の正しい法則に従うことで自然から直に得た場合だけである。
植えたものしか収穫できない。
誠意だけが禍いを福に変えることができる。駆け引きやはかりごとは役に立たない。
人ひとりは宇宙では限りなくちっぽけな存在だが、その誠意は天地をも動かすことができる。
民が飢えるのは、恐れが人々の心を支配し、食べ物を探し求める気力を奪って死に至らせるからだ。空砲に驚いた鳥が落ちてしまうのと同じで、何年も飢餓状態にある民は、飢えと聞いただけで怯えて、死んでしまう。
大自然と共にある者は、決して急がない。今この時だけの計画を立てることもない。言うなれば、大自然の成り行きに身を任せ、その流れを助けたり強めたりすることで、前に進んでいけるように努力する。森羅万象が味方だから、為すべきことの大きさに驚くことはない。
あらゆる物事には、大自然の成り行きがあり、人はその自然の道筋を探し出して、それに、従わなければならない。そうすることで、山を平らにすることも、海を枯らすことも可能になり、この大地を人々に役立つものにできる。
中江藤樹
中江藤樹は、江戸時代初期の陽明学者、近江聖人
朱子学に傾倒するが、次第に陽明学の影響を受け、格物致知論を究明するようになる。その説く所は身分の上下をこえた平等思想に特徴があり、武士だけでなく農民・商人・職人にまで広く浸透した。
大学
私も聖人たらんとすれば、なれないはずがない。
- 道は永遠から生じている。
徳が生じる前から道はあり、人類が消滅し、天地が無に帰したあとも、道は残り続ける。 - 一方で、法は、その時々の必要性に応じて作られたものだ。
時と場所が変われば、どんな法でも、道の大義を損なうことになる。
日蓮上人
貧しい人には希望、富める人には恐怖となる死こそが、最大の問題である。
死あるところ、必ず、宗教あり。私たち人間の弱さの証かもしれない。
「 偉業とはいつも、不屈の精神を持った人がいて、世に背を向けられる 」そこに、永遠に偉大なるものが芽生えることから始まる。
日蓮は、死を覚悟して説法を続け、その真剣さで、同じように真剣な信者を獲得していった。後に数多く証明されるように、ありとあらゆる試練を受ける心の準備ができていた。
日蓮の人生は、時の権力者に何度も流刑される、この世の権力との戦いの連続であった。

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