神への道 〜「 わかった 」

知識

「 史上最強の哲学入門 〜 東洋の鉄人たち 」からの思考

2022/3/12

【本要約】史上最強の哲学入門
西洋哲学は無知を前提として、無知を自覚して、真理の到達を階段式に目指す。一方、東洋哲学は、そもそも理解することは不可能である。
私たちは、目が2つしかない。それは、1つずつ別々に動かすことはできない。私たちの視点は、1つしかない。だから、1つのモノの見方しかできない。そこに、新しい見方を提示されて「 なるほど、そうか、わかった 」となる。

そもそも、私たちは、自分が1つの見方しかできていないことに気付いていない。新しい見方を習って初めて、新しい見方があることに気付く。私たちは、自分がわかってないことに気付いていない。私たちは、わかるまで、わかってないことに気付いていない。私たちは「 無知の知 」が遠い。

  • 私たちは、知らない。
  • 私たちは、知らないことを知らない。
  • 知らないことに気付けない。

そもそも目が2つあるのは、なぜか?

片目を瞑るとわかる。片目だと2次元なのだ。距離感がわからない、2次元でしか世界を捉えられない。だから、両目が必要になる。両目があって、初めて3次元が認識できる。奥行きがわかって、モノを掴むことができる。それでも、私たちは1つの視点でしか1つの見方でしかモノゴトを捉えることはできないのだが。

知らないことを知るためには、たくさん知ることだ。たくさん知ると、世の中には知らないことだらけであることに気付く。そして、知らないことだらけであることに絶望する。

生きている間には、ほとんど何も知ることできない。私たちは、何も知らないまま生まれてきて、何もできず、何も知らないまま死んでいく。何でもない存在なのだ。

ゼロベースでスタートすることで、そこから思考を積み重ねる。何も知らないし、何もできないことを前提にして、さぁどうしよう?

  • 西洋哲学は「 無知の知 」からスタートした。
    「 私は、何も知らない 」から、論理的に積み上げていった。
  • 東洋哲学は「 真理の悟り 」からスタートした。
    「 私は、真理を悟った 」から、人それぞれが解釈していった。
    「 真理って悟らないと、わからないよ。言葉で説明できるけど、わからないよ。真理って、そういうもんだから。」

私たちは、西洋教育を受けている。何事も、順序立てて論理的に考える訓練を受けて、成長してきた。だから、私たち東洋人が、本来持っている「 わかった 」からスタートできない。「 わからない 」からスタートしてしまう。

いつだって、モノゴトは、コインの裏表なのだ。私は、この言葉は、何度も書いてきたはずなのに、いつまで経っても、身にならない。裏から見ることができない。表からの見方に囚われてしまう。裏からの見方を忘れてしまう。

  1. わかってないから、積み上げても、わからないのだ。
    西洋哲学は完成していない。
  2. わかったから、完成から、東洋哲学はある。
  3. わからないの先は、いつまで経っても、わからないのだ。
  4. わかるしかない。
    ただ、わかるしかない。
「 わかる 」って何?
「 わかるから始める 」ってどうする?

教育のスタートが「 わからない 」からだと「 わかる 」には辿り着けない。でも「 わかる 」から始まる教育など存在しない。

わかりたいから、教育を受けるのだけど「 わからない 」から始まっているから「 わからない 」という答えが既に出ている。西洋哲学は「 その時代の偉人たちが2500年以上もわかろう 」としてきた歴史だ。そして、わかってないのだ。

・人間とは何か?
・生きるとは何か?
・幸福とは何か?
ずっとずっと考えてきたけど、わかりません!

東洋哲学は、
いや、わからないから、はじめても、わからないだろうね。だってわからないんだから。アプローチが違う。「 はい、わかった!」「 私は、わかりました 」から、はじまる。そもそも、わかってないと、わからなくない?「 わからない、わからない 」って、そりゃーわからないよ。

「 わかった 」って言い切る。わかった気がするなら「 わかった 」って言う。そして、自分がわかったことを言う。なんかよくわからなくても、伝わらなくても、論理的に変でも、意味不明でも、言う。後は、他者が、解釈してくれる。

自分が「 わかった 」って言って「 あの人は、わかったんだ 」っていうことを、他者が信じたら、私は「 わかった 」ってなるし、他者が信じなかったら「 わかってない 」ってなる。

他者が信じたから、本がある。わかった人は、本なんて書かない。わかった人のことを信じた人が、わからない人たちが、わかった人の言葉を書き残して本がある。

わかった人の言葉は、わからない人には、わからない。わかった人の言葉を「 悟り語 」と定義しよう。言語としての表現は「 日本語 」かもしれないけど「 悟り語 」を読んでもわからない。釈迦 ( ブッダ ) 以外、2000年以上、誰も悟ってない。「 悟り語 」は悟った人にしかわからないから「 悟り語 」であって、わからない人が読んでも、理解不能なのだ、だって、悟ってないのだから。

日本語だからって、何でも読めるとか、何でも理解できるとか、そういうことじゃない。

悟れていないのが、証拠である。私たちは、日本語は読めるけど、日本語で書かれた「 悟り語 」はわからない、それは、私たちが悟ってないから。そして、私たちは、悟れない。だって、釈迦しか悟ってない。

ちなみに、釈迦って、人だけど、神より上の存在なんだ。神とかじゃなくて、神より偉い人間なの。宇宙を創造したブラフマンっていう神いるけど、宇宙を創るより、悟る方が上なんだ。

悟った人釈迦 > 宇宙の創造主ブラフマン神

創るより、わかるが上。

だから、悟るっていうのは、神越えなわけだ。
そりゃーいないよ、悟れないよ、「 悟り語 」なんて理解できるはずもない。

別に、神を信じてるわけではなくても、神越えれる?
キリストまくれる?
ヤハウェの上座にいける?
って、イヤ、それは、ちょっと、、、ってなるじゃん。

だから、私たちは、悟れないし、わからないし、日本語も読めないし、日本語も理解できない。
「 悟り語とかムリゲー 」ってなる。

【 再掲 】
生きている間には、ほとんど何も知ることできない。私たちは、何も知らないまま生まれてきて、何もできず、何も知らないまま死んでいく。何でもない存在なのだ。

という仮説は、証明完

「 わかった 」って言うことから始まる
そのためには『 神越え 』という精神的ハードルがある
みんなから「 わかった 」ことを聞かれる
みんなが、アイツなんか「 わかってる 」っぽいぞと信じられる

これが、哲学で、宗教の根本
教祖への姿、神への道

言語化できなかった私の生き方
「 最高の自己投資は、自分への投資だ 」と言うけれど、誰にもできないから、難しい。

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