【本要約】まんがでわかるサピエンス全史の読み方
2021/5/27
認知革命
サピエンス種は、遺伝子の突然変異によって、認知革命が起こった。
認知革命は、虚構を集団で共有することができた。存在しないものに真実を感じる能力が、見知らぬ人々と協力することを可能にした。
目に見えない存在を信じられるのは、人間だけである。動物は、目に見えない存在を信じるどころか感じることもできない。
現代は、虚構に溢れており、虚構だと気付かれないものも多い。
権力者やビジネスの成功者など、多くの人を巻き込み動かした人達は、虚構を作り、人々に信じ込ませるのが巧みだったのだ。
知識の獲得
知識の収集は、狩猟採集生活の時代からのサピエンスの習性だ。サピエンスは、食料や道具とともに、知識も探し回った。
現代人は、虚構の共有により、高度は分業が可能となった結果、今は、ごく一部の単調な仕事を分担するだけで、命の存続が可能となった。
古代のサピエンスと比較して、命の存続が容易になった。その結果として、現代人は、劣勢遺伝子も継承できるようになった。サバイバルできない劣勢な人類も子孫を残せるようになったことは、人類の成果である。
農業革命
250万年に渡り、狩猟採集生活をしていた人類に、1万年前に、農業革命が起こった。農耕をはじめ定住生活に入った。そして、人類は、農耕により、安定した食糧と暮らしを手に入れた。
一方で、農耕は、簡単ではない。植物を育てるのは、時間かがかかるし、手間暇がかかる。農耕のために、費やす時間が、働く時間が、増加した。
人類は、小麦、稲、じゃがいもなどの一握りの植物の奴隷となった。
農耕がはじまると、未来への不安が、人類を、襲うようになった。その日暮らしだった狩猟採集生活ではなかった、未来という概念を手に入れた。
人類は、未来のために、働き出した。未来の食糧の確保のために、毎日を過ごしはじめた。その日暮らしの狩猟採集生活から、未来のための農耕生活へと、時代が変遷した。
人類が、小麦を栽培化したのではなく、小麦が人類を家畜化したのだ。
農耕社会で、人類は、想像上の秩序を生み出した。人々の協力を促す虚構 = 法である。
平等も権利も自由もすべて、人間の想像の中にしか存在しない虚構である。一方で、この想像上の秩序を信仰しているから、社会は成り立っている。
想像上の秩序を否定し、「正しい生き方など作り話だ」と言っても、社会は変わらない。
国家や宗教や法は、社会を安定させる手段である。人々が想像し、信仰し、協力できる虚構ならば、真偽は問題ない。
権力者は、自分の特権を守る秩序の崩壊は避けたい。権力者は、人々に、想像上の秩序をあらゆる手段で教育し、信仰させ、常識に変え、社会を安定させる。
文字
人間は、書記という方法で、情報を記録・整理・検索・参照する。
農業革命の後、社会が複雑化したことで、扱うべき情報量が、爆増したからである。
人間は、記号(文字)を用いて、脳の外に数(データ)を残す方法を発明した。
人間は、社会の維持に便利だから、社会の秩序を生み出した。社会の秩序とは、人を想像上のカテゴリに分類することである。男女もカテゴリである。
カテゴリによって、階級付けられ、差別が生まれた。差別も虚構である。
しかし、想像上のカテゴリを作り出しても、限界があった。人の脳には、容量があるためだ。
貨幣
長い時間をかけて人々と交わりながら培うしかなかった価値すら、貨幣があれば買うことができる。貨幣を用いることで、人間は見知らぬ人を信頼し、協力したり取引したりすることができる。世界中の人々が、相手もこの貨幣の価値を信頼しているということで貨幣が機能する。
貨幣も虚構の産物
国
国とは、異文化異民族を飲み込みながら、境界を広げていく政治的な秩序である。
それぞれの人達が、自分の国を意識し、自分たちの国の習慣や規律という想像上の秩序を、重んじることで、知らない人同士でも協力して行動している。
生まれながらに刷り込まれた虚構を文化という。文化は時代によって変化し続ける。
国も虚構の産物
宗教
宗教は、超人的な秩序の信仰に基づく、人間の規範や価値観の体系である。
宗教の戒律は、神などが定めた絶対的で、普遍的なものである。
そのため、国を超えても通用する。
宗教も虚構の産物
科学革命
最も重要な疑問に関して、集団的無知を公に認める。
観察と数学によって導き出された結論が、科学である。
知識を能力に変換する方法をテクノロジーという。
科学の力によって、「人間は進歩できる」と初めて考えるようになった。
国民
人は、家族やコミュニティの中で生きていたが、やがて国民という虚構を受け入れ、想像上のコミュニティを形成した。
国のために、画一的な教育を受け、労働力(勤労)とお金を差し出すこと(納税)を、当たり前[義務]として受け入れるようになった。
資本主義
国民という虚構は、拡大する市場が生んだ、もう一つの虚構 = 資本主義と、共に浸透していった。
資本主義は、新たな虚構を味方に付けた。買うことが善という消費主義である。
消費主義で、人は、同じ商品やブランドを消費する人々に共感を持ち、想像上のコミュニティを形成する。
人々が、消費し続ければ、経済は好転していくので、消費主義は、資本主義にはなくてはならない朋友である。
国と資本主義
国は、資本主義の市場と手を組み、「個人として生きよ」という価値観を与えた。仕事や住まい、保険にローンまで、家族やコミュニティの意向は関係なく、個人を基本に設計した。その代わり、個人情報を提供させ、税金を払わせる。国の方針に従った教育を受けさせ、国家と市場を信仰させることに成功した。
人々は、それに応え、家族やコミュニティより、国家や市場につながりを求めるようになった。
国同士でも、資本主義市場の交易によって、複雑な依存関係がうまれ、平和が育まれた。戦争は割りに合わない。友好的平和的に交易した方が経済的利益が大きい。
まとめ
人類は、虚構に導かれてここまできた。虚構の中で、欲望を抱き行動し成し遂げてきた。
幸せの答えは、「何になりたいのか?」ではなく、「何がしたいのか?」ではないか。
仏教をはじめとする宗教では、「自分が何者かを知ることが、幸せへと導く」と説いている。
あとがき
ホリエモン
人間は、未来のリスクを過大評価する。だから、未来のことを考えはじめると、不安なことだらけでキリがない。一方で、過去の失敗を引きずってしまう。今を一生懸命に生きれば、そういった過去や未来を断捨離することができる。
「仕事を休めない」は言い訳である。やりたくないことを捨てられない。やりたいことを優先できない。やりたくないことを捨てられるようになれば、好きなことばっかりやって生きていくことができる。少しずつ、断捨離をしていくことだ。
監修者
人間は、虚構を信じてしまう。人間の恐ろしいところは、みんなが信じることで、虚構が現実となるところだ。また、自分自身も虚構の産物だ。そして、その虚構を信じる根底にあるのは、他人を信じることである。
他人を信じるのは、人間にとってあらゆる苦労と不幸の元である一方で、あらゆる幸せと楽しさのもとである。
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