自己理解

湯浅

自己理解

2021/11/15

変な人

自分のことは「変わった人だ」という認識を持っている。それはこれまでの人生の経験によって、理解できる。

そして、その変わった人と一緒にいる人たちもまた、変わっているはずなのだ。私たちは、自分と似た習性を持つ人たちと一緒にいることを好む。そして、そこで、小さな集団を作る。

学校や会社という日常の中で、交流して、自分というキャラクターを理解してくれて、相手との気が合うなという人と友人になる。自分の趣味や好きなことの活動によって、親しい人ができて、一緒に過ごして、恋人になる。

例え、性格や趣味嗜好が異なったとしても、意識的に、無意識に、どこかで何かでつながりがあるはずだ、無意識だと説明できない。性格も趣味思考が全然違っても、仲が良い人に対して「なぜ仲が良いのか?」と問われても答えようがない。「一緒にいて楽しい」からとでも言うしかない。

性格でも趣味嗜好でも無意識でも、目に見えても、見えなくても、何かしらのつながりがあるはずだ。

そのつながりがある集団において、普段は何ら意識することはないが「自分が変だ」と認識している限りにおいて、自分が所属している集団もまた変なのだ。

私たちは、小学校・中学校・高校・大学・会社1・会社2・会社3、、、といったように、年齢やステージごとに世界を変えていく。その中で、排他されていく集団もあれば、進化していく ( 連鎖的に仲間が増えていく ) 集団もある。

その集団において、そして、男女の付き合いにおいても、よくよく考えてみたら、みんな変なのだ。だって、俺が変なのだから。変なやつと一緒にいるやつなんて、変に決まってるのだ。

男女の関係を思い出すとわかりやすい、俺の人生は、フラれて終わることが多い。9割以上は、フラれている。相手が、湯浅という人間を、「変だな」「違うな」「一緒に居れないな」と直感したか、判断したかで、その関係を断ち終わりを告げるのだ。そうやって人間関係は清算されることを念頭に置けば、友人といった人間関係でも、継続していることは、そこに共通の何かがあるはずだ。それを「変だ」というふうに、捉えているのが、俺だ。

思い出してみる、思い出の中の出来事を

行き当たりばったりで、車を走らせ、ノリだけで、長崎と鹿児島を1日で往復したり、ノリだけで、徹夜で富士山登って降りたり、航空券だけでヨーロッパを旅したり、タイでダイビングの免許取ったり、仕事辞めて旅してみたり、そんな風に、共通の体験を通して、変をつないでいった結果の関係がある。

なるほど、そう思い出してみれば、関係が疎外された人たちとは、一緒に行き当たりばったりのどこかへ行くという体験を共有していない。

俺は自分の指針によって行動する、だから、遠方の友人に俺が会いたいから俺が会いに行く。俺ベースである。でも遠方の友人をこちらに呼ぶことはない。俺は俺が会いたけりゃ会いに行く。だから「みんなもそうなんだ」と思っていた。今、気付いたのは、行くという行動エネルギーは、実は、誰しもが持っていない。だから、俺が行くことを止めたときに、相手が来ることもないから、人間関係は疎遠になる。そして、行動エネルギーのある俺から、動かない限り、この疎の関係は、回復しない。

変という個性を持つ俺だけが持つ能力だからだ。

変という個性は、人々のつながりの素である人間関係を構築する能力なのかもしれない。

人見知りな自分を認識していて「人間関係は得意ではない」と思っていたけど、最初のとっかかりが苦手なだけで、実は、その先の密な人間関係は得意だったのかもしれない。

結局、自分なんてモノは、自分がわかっているようで何もわかっていない。自分のことさえわからない自分は、自分以外のことなんてわかるはずもなく、世界は自分の知らないことに覆われている。自分の1番近くにいる人のことだって、知らないことばかりだ。結局、私たちは、一生かけても、自分のことはわからない。1番近くにいる家族のこともわからない。世界のことなんてもっとわからない。

だけど、いろんなことを知りたいから、世界を旅する、家族と会話をする。そうやって世界を知って、家族を知ることで、その鏡としての自分を知る。自分を知るためには、自分と異なった価値観を持つ他人や、社会や、世界と触れ合うことだ。

嫌い

嫌いなモノを「嫌い」と言ってても、始まらない。苦手なモノを「苦手だ」と言っても始まらない。「車の運転が嫌いだ」と思うから、負の感情を、起こすから、イヤになる。考えない、車の運転は、別に難しくない、自転車に乗ったり、歩いたりすることと同じだ。移動手段に過ぎない。移動手段に対して、感情を持つことは不毛だ。私たちは歩かなきゃどこへも行けない、家の中のトイレも、家の近くのコンビニも、電車に乗っていく会社も。

車の運転は、免許があれば、誰でもできる。嫌いではなく、荷物も積めて早くて便利な乗り物と捉えることだ。嫌いというネガティブではなく、便利というポジティブに捉える。

家族が言ったんだ。
「『嫌い』って言うからイヤなんだよ」と。

そんな風に、自分以外の人のことを鏡にすることで、新しい価値観を手に入れることができる。私たちは、自分以外の誰かから、学ぶことができる。自分以外の他人は、自分と異なった価値観を持つ生き物なのだ。わからないことを、わかるようにするのが、教育で、学びである。自分以外はすべて学びである。

ゴルフでバンカー ( 砂地 ) に入ってネガティブな気持ちになった時、「俺はバンカー得意だ」と言う、「バンカーは得意だから余裕だ」と考える。

行動に先行して、言葉を発することで、行動は言葉と一貫性を保つように、動く。

言葉

私たちは、言葉という道具を持っている。人類が反映したのは、言葉を操って、他人と複雑なコミュニケーションできるようになったことで、他人と協力して何かをすることができたからだ。

猿やイルカなど、高等な哺乳類は、鳴き声という言葉によって、意思疎通を図ることができ、それによって、外敵から身を守り、種を繁栄できる。犬にしても、飼っていれば、人間の言葉を覚える、人間の言葉を理解できる。だから、犬は、人気なのだ。意思疎通は、人間同士の協力に役立つだけでなく、他の生き物との共生においても役立つ。

私たちは、言葉という道具を手に入れ、自分以外の生き物と、意思疎通を図ることができるようになった。日本語で犬と意思疎通ができるのに、自分の言葉で自分と意思疎通できないはずはない。自分が言葉にして声に出すことで、自分の行動をコントロールできないはずはない。自分の言葉で自分を鼓舞して、新しい未来への切符を手に入れることができる。

私は、できる。

私は、できると言ってから行動する。

コメント

タイトルとURLをコピーしました