【本要約】山本七平の思想 〜 日本教と天皇制の70年

【本要約】山本七平の思想 〜 日本教と天皇制の70年

2022/1/24

日本人は空気でモノゴトを決めてしまう
日本人は水と安全は無料だと思っている
日本人は全員一致にこだわる
日本人は契約ではなく話し合いで仕事をする
日本人の宗教は『 日本教 』だ
山本七平
日本人は「 無宗教である 」と言えるほどに無自覚であるが、実は、どんな宗教にも一定の存在意義を認め、それを抵抗なく受け入れている。

その宗教感覚は、世界に類例がなく『 日本教 』と言わなければ説明できない。

山本七平は「 日常では気付かない日本人及び日本の特質を、見事に指摘している 」ので、自分の言動や企業の判断、国政の動向に対して「ああ、そうだ、そういうことだったのだ」と今更ながらに納得させられる。

「 空気で決めてしまった 」と否定的に使う一方で、「 空気の読めないやつは困る 」と肯定的に用いることもある。その「 空気 」が、私たち日本人をどのように支配しているのか、本当は詳しく理解していない。

日本人とユダヤ人

日本人は「 安全と水は無料で手に入る 」と思い込んでいる。
ユダヤ人社会では、全員一致の決議は 無効 ” 
日本人社会では、全員一致の決議こそ最も 有効 “

農耕

ユーラシア大陸のほとんどすべての民族は、何らかの点で遊牧民に接触し、時には彼らに征服され、その伝統と生活様式を受け継いでいる。一方、日本人は、過去において、遊牧民と全く接触せず、牧畜を営んだ経験の全くない、珍しい民族なのである。

それぞれの民族が文化を作り上げていく時代に「 何を生命維持のための生業としていたか 」ということである。西洋人は牧畜に、日本人は農耕に依っているので、西洋人と日本人では、家畜に対する価値観が異なるのだ。

【 世界の農耕 】
・パレスチナ
 麦をばら撒くと家畜を連れて移動して、実ったところに来て刈り入れる
・フィリピン
 米は年に3度も取れるから、みんなそれぞれ自分の好きな時期に適当にもみを撒く
・日本
 ある時期になると、日本人の85%が、一斉に田植えをする

ゆとりのある農耕が生み出した文化と余裕のない同一行動が生み出した文化である。

「 何でもしゃかりきに総動員で取り組んでしまう 」日本人に対しての一種の皮肉である。

日本教

日本人は全員一致して同一行動が取れるように千数百年に渡って訓練されている。従って、独裁者は不要である。明治というあの大変革の時代にも、ひとりのナポレオンも、レーニンも、毛沢東も不要だった。

日本人には、様々な宗教観や価値観を超えた『 日本教 』が潜んでいる。
① 包括性のある文化の中に暮らす日本人は、独特の日本民族である。
② 日本民族の文化を宗教とみなす。
③ 日本民族を「 日本教徒 」と呼んでみる。
④ 日本文化の性格がはっきりする。

日本教の教義

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でないの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりも住みにくかろう。
夏目漱石『草枕』

世界を作っているのは、結局「 人 」だという考え方。それこそ『 日本教 』の中心的教えなのだ。人を食ったような話だが、たしかに日本人は「 人の世 」を何よりも大事にしてきたといえる。

私の中の日本軍

歴戦の臆病者はいるが、歴戦の勇士はいない。なぜなら、歴戦の勇士は最後まで生き残ることはできず、既に戦死しているからだ。「 歴戦の臆病者 」の世代は、いずれはこの世を去っていく。そして、問題はその後の「 戦争を劇画的にしか知らない勇者の暴走 」にあり、その予兆は、平和を叫ぶ言葉の背後に、既に現れているように思われる。

異教徒の観察であるかのように日本軍を見ていた七平は、この巨大な組織の奇妙なメカニズムを高精度をもって分析してみせる。それが「 確定要素と不確定要素 」あるいは「 実体語と空体語 」のような、独特の用語による戦争指導者たちについての告発となる。

同じ冷徹な目は、自分もその一員だった軍隊の下部組織でうごめく人間たちの、泥臭い独特の取引にも向けられる。初めから、まともに戦うに十分な武器を与えられていない兵士たちが、上官たちがくりだす命令の矛盾のしわ寄せを凌ぐために「 貸しと借り 」という奇怪な仕組みを発生させていた事実を、自らの体験によって描きだすのである。

空気の研究

【本要約】「超入門」空気の研究
【本要約】「超入門」空気の研究 2021/12/24 概要 昭和以前の人々は「その場の空気に左右されることを恥」と考えていた。 現代の日本では、空気はある種の絶対権威のように力を奮っている。 あらゆる論理や主張を超...

日本人は「空気」に流され、判断を誤りやすいことを警告した。

空気が日本では生じやすいのはなぜか?

  • 群集心理
    個人では合理的でも、群衆になると非合理的になってしまう
  • 認知的不協和
    人間は正確でなくとも最初に飛び付いた説明に固執してしまう
  • ファスト&スロー
    直観の判断は非合理的で時間をかけると合理的判断が可能になるが、大概の場合は、非合理的判断と合理的判断は混在している
日本人は、臨在感によって、空気に支配されてしまう。

※臨在感:単なるモノや言葉に影響力を及ぼす能力が潜んでいるかのように感じてしまう心理的習慣である。

空気に支配されやすい日本人が空気から抜け出す方法は、水がある。

日本語で「 水を差す 」という表現にあるように、蔓延しつつある肯定的な空気に対して「 水を差す 」ことによって、批判的な気持ちを生み出し、現実に引き戻される。

「 水を差す自由を確保しておかなければならない 」という意識を持っている。一方で、それは、「 自由さえ確保しておけばいい 」という意識も生んだ。しかし、この水とは、言わば、現実であり、現実とは、私たちが生きている常識であり、この常識がまた、空気の情勢の基であることを忘れてはならない。

日本は空気が蔓延したかと思うと、今度は水が差されて、それまでの空気が消え去ってしまうが、日本人はこの空気と水の交代を抵抗なく受け入れてきた。

日本人は、空気と水の相互的な無限循環の中に閉じ込められているようなモノである。

私たちを拘束しているのは「空気」なのだから、しっかり把握しようとしても空気のように逃げてしまう。一方で、日本人は「空気」に従うことが本能であるかのように、自然に振る舞ってしまう。

日本資本主義の精神

宗教改革後に広がったプロテスタントのキリスト教が持っていた倹約や勤勉の教えが、近代資本主義を形成するのに大きく貢献した。プロテスタントは「 神の栄光を経済的行為によって実現しよう 」とする精神が大きかった。しかし、資本主義のシステムが強固なモノとなり、鉄の檻になってしまってからは精神は蒸発してしまった。
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』マックス・ウェーバー著

機能集団と共同体 ( コミュニティ )

企業内の組織が機能集団と共同体 ( コミュニティ ) の二重構造をもっている。

西欧に生まれた資本主義の場合は、最初は伝統的なコミュニティが経済活動を支えていたが、経済が複雑になるにつれて、生産活動に向いた合理的かつ機能的な集団に中心が移行していった。

日本の場合は、企業が経済活動をするために形成する集団と、企業内部の社会を成り立たせているコミュニティがいつまでも併存していた。機能集団を作り上げただけでは十分に動かず、二重性をもった企業組織として初めて十分な効果を生みだすようになった。そこに、日本資本主義の特色が見られる。

企業組織が生まれた理由
・戦後日本では地域コミュニティが急激に崩壊したので、コミュニティ的な要素が企業に仮託された。
・日本人の多くがムラ社会出身だったので、企業のなかにムラ社会を持ち込んだ。

宗教的な世界観の違いである。

欧米のようなキリスト教社会の場合には「 神との契約 」が社会組織にも反映し、日本の場合にはそれは「 人間相互の約束 」として把握されるからだ。

日本資本主義の精神

1970年代になって噴出した公害問題は、それまで楽天的に高度成長を謳歌してきた日本企業に巨大な試練を課すことになった。しかも、こうした将来に対する不安は、経済を支えていたはずの企業に対する批判、さらには資本主義そのものへの否定となって蔓延していた。
この頃に『 日本資本主義の精神 』は、著作された。

江戸時代の藩が存続するため
① 官民一体の経済活動が欠かせない
② 経済活動を主導する者には無私の公共性が要求される
③ コミュニティ的な要素が経済活動を活発にする

この体現こそが日本資本主義の精神である。

現人神の創作者たち

朱子学者の朱舜水は、江戸時代初期に、亡命中国人として日本にやってきた。朱舜水の影響で、朱子学は、徳川幕府公認の学問となった。現人神の思想とは「 日本の伝統 」と「 朱子学 」とが、習合してできた思想である。

朱子学は、官学として、徳川体制を支えていくことになるが、皮肉なことに、徹底的に正当性を追求することにより、幕末の倒幕運動を助成することになった。

中国の天とは王を超越したモノであり、従って天命が変われば王も変わる。一方、日本の天とは天皇と同一視されるモノで「 天が天命を変えることで天皇を変える 」という考え方は生まれなかった。

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