世界変容 〜 ショックドクトリン
2021/9/11
- 世界の一部である私たちは、現代の絶対的個人主義に違和感を持ちはじめた。
- 「なんか、この個人を徹底した自由主義って、やりすぎじゃない?」と気づきはじめた。
- マーケティング、マーケティングと叫ばれる、モノ余りの時代に、いきすぎた資本主義に、不信感を持ちはじめた。
現代は、西洋思想によって、築かれた世界である。教育も、会社も、医療も、社会も、すべて、西洋思想が根底にある。
個人・自由・資本主義である。
西洋思想に「やりすぎだな、おかしい」って気付いた人たちがいる。世界のビジネスエリートたちがいる。
ビートルズ、スティーブ・ジョブス、マーク・ザッカーバーグは、インドを目指し、インドで東洋思想を学んだ。
現代でも、Google・Facebook・Apple・インテル・ゴールドマンサックス・マッキンゼーなどの一流企業が瞑想を社員研修に採用している。
東洋思想は、現代社会という外側の世界ではなく、自分自身という内側を見つめることである。
外側に見える不足ではなく、自分の中にある充足に気付くきっかけである。

効率性が求められる時代では、短時間でより多くのモノを作り出したり、売ったりすることが優秀だとされる。1時間で3個のモノを作る人より、5個のモノを作る人の方が優秀だし、機械を使って自動的に1時間で2個のモノを作る人の方がもっと優秀だ。
モノ不足の時代には、それでよかった。しかし、現代はモノ余りの時代である。モノ不足の時代は、作れば売れた。モノ余りの現代では、作っても売れない。だから、マーケティングが生まれた。消費者に「いかにして、モノを買わせるか?」「金を使わせるか?」という文化である。決して、「マーケティングが悪い」と言っている訳ではない。資本主義社会という土台の上に、私たちの生活が成り立っている以上は、その選択肢しかないのだ。みんなでたくさん稼いで、みんなでたくさん使っていかない限りは、資本主義は成長していかない。
限界に来ている。そのことを察した人々が、資本主義という、お金という、外面の西洋思想から、自己の内面である東洋思想へと舵を切りはじめた。
これに似た現象は、エーリヒ・フロムが、論じている。
自由を欲した人々が自由を扱いきれなくなった。その結果、権威を求め、自由を捨てて、権威に自発的に従属するようになった。
- 自由の反対は不自由である、不自由とは即ち、権威への従属である。
権威とは、国家、社会、メディア、影響力のある人々である。 - 自由を求めすぎた結果、正解がわからなくなり、誰かの正解を欲した。
誰かとは権威である。 - 権威に導かれたいと願い、権威が下した正解へと従属した。
- 思考停止し、権威の正義に従属する世界へと一歩を踏み出した。
現代は、果てしない利益・効率追求型である資本主義世界の自由を扱いきれなくなりはじめた段階である。
パラダイムシフトが始まっている。
西洋思想の資本主義の歪みが見え始めた。
- 新しい世界とは、東洋思想が基盤となる世界なのか?
- それとも、大きな権威に従属する世界なのか?
- すべてが入り混じった混沌とした世界なのか?
個人が自分を律することで、支配を必要しない社会を目指す。しかし、そんな社会は難しいだろう。人間は、本能的に、堕落した消極的な生き物だからだ。自分を律することなんてできないからだ。
- 江戸時代のような封建社会・統治者による支配がいいのか?
その空気が流れ始めている。その歪みが見え始めている。今の社会を俯瞰して見れば、明らかにおかしいことに、気付く。違和感しかない世界である。
戦争・津波・ハリケーンのような自然災害・政変などの危機につけこんで、あるいはそれを意識的に招いて、人びとが茫然自失から覚める前に、およそ不可能と思われた過激な市場主義経済改革を強行する。
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