【本要約】人生の短さについて

【本要約】人生の短さについて

2021/4/4

セネカによれば、多忙は人間から有意味な時間を奪い、人生を浪費させて、短くしてしまう。われわれは「人生が短い」と嘆くが、それは、われわれが時間の無駄使いをしているからに他ならない。多忙な生活から離れ、時間を有効に活用する術を知ることによって、われわれは人生を長くすることができる。

時間

我々が手にしている時間は、決して短くない。我々が、たくさんの時間を浪費しているだけだ。贅沢三昧、怠惰な生活をしていると、人生はあっという間に過ぎる。

莫大な財産も、持ち主が無能なら、消え去ってしまう。少しの財産でも、持ち主が有能なら、うまく運用され、増えていく。

我々の人生の時間もまた、うまく管理されることで、長くなる。

多くの人は、他人の幸運につけ込んだり、自分の不運を嘆いたりする事で、忙しい。そして、目的を持たずに、人生を過ごしている。

・「我らが生きているのは、人生の極僅かな部分なり」
・「残りの部分はすべて、生きている」とは言えず、単に時が過ぎているだけだ。

人は自分の土地に、他人が侵入してきたら、その他人を排除しようとする。しかし、自分の人生という時間の中に、他人が侵入してきても排除しない。多くの人が、他人に、自分の人生を分け与えてしまっている。

自分の財産を管理する時は、倹約家なのに、時間を使う時は、浪費家になる。

多くの人が、どれだけ、自分の人生を略奪していったか?そして、その時、自分が何を失っているかに気付いてなかった。

自分が死を意識せず、永遠に生きられるかのように、生きているから、時間を無駄使いしてしまう。

そんなことをしていると、あっという間に、最期の日がやってくる。自分が長生きする保証などない。

時間は、自然のままに放っておけば、すぐに過ぎ去っていく。理性を使えば、時間を長くする事はできる。しかし、時間は、あらゆるモノの中で、最も素早く、その速度を遅らせようとしないで、過ぎ去っていく。

生きる

多忙な人は、何事も十分に成し遂げることができない。「生きる」ということから、もっとも遠い存在が、多忙な人である。

・生きることを知る事は、何よりも難しいことである。
・生きることは、生涯をかけて学ばなければならない。
・死ぬことも、生涯をかけて学ばなければならない。

数多くの偉大な人物が、「生きることを知る」というただ一つの目的を人生の終わりまで追求し続けたにも関わらず、「生きることを知らない」と告白して、人生を去っていった。

偉大な人は、自分の時間から、何一つ取り去られることを許さない。だから、その人の人生は、長いのである。

自分の自由になる時間の長短に関わらず、すべて自分のためだけに使うからだ。

自分の時間と交換できるほど価値のあるモノなど、何一つ見出さなかった。

社会的評価が高い仕事でも、社会的価値がある仕事でも、社会的栄誉のある仕事でも、その仕事に就くまで良かった。しかし、実際にその仕事に就いてみると、「多忙なその仕事から逃れたい」と考える。

人は、” 未来の希望 ” と、” 現在の嫌悪 ” につき動かされながら、自分の人生を生き急ぐ。

全ての時間を自分のためだけに使う人は、毎日を人生最期の日のように生きる人は、明日を待ち望むことも、明日を恐れることもない。「未来のひとときが、どんな新しい楽しみがあるのか?」全てを知り尽くし、全てを十分に味わっている。それ以外の未来のことは、運命の思い通りにさせてやればいい。

人生は安全なのだ。そんな人生には、何かを付け加えることができても、何かを取り去ることはできない。

・長く生きること
・長く存在していること

この2つは異なる。

航海のため、港を出て、すぐに嵐に襲われたとする。嵐の中で同じところをクルクル引き回された。この人は、「長く航海していた」と言えるのか?

時間の価格を知る時

時間はどうでもいいもののように求められ、どうでもいいもののように与えられる。

時間はあらゆるモノの中で、最も高価である。

それに気付かないのは、時間が形を持たず、目に見えないからだ。だから、時間は安価に見積られている。

人は時間を無料のように惜しげもなく使う。

時間を高く評価するのは、目の前に、死の危機が迫ったときだけだ。

我々は、生きてきた過去の年月を数え上げることができる。それと同じように、残された未来の年月を数え上げることができるとする。そうして、はじめて、残された時間を惜しむことができる。

手の中にあることが確実なものなら、扱いは容易い。しかし、いつ尽きるともしれないものは、より慎重に守らなければならない。

人生は、時間は、出発した道を進み続け、その道を引き返すことも、途中で立ち止まることもない。

多忙とは、生を築こうとして、生を使い果たす行為だ。未来のことを考えて、計画を立てる。ところが、先延ばしは、人生最大の損失なのだ。先延ばしは、未来を担保にして、今、この時を奪い取る。

生きる上での最大の障害は、期待である。期待は明日にすがりつき、今日を滅ぼすからだ。

人生という、この休みのない急ぎ足の旅は、終着駅に着くまで、旅の終わりに気付かない。

人生

人生 = 過去 + 現在 + 未来
・過ごしてきた過去は確か
・過ごしている現在は短い
・過ごすであろう未来は不確か

過去は、運命の力が及ばず、誰の自由にもできない。

現在は、1日1日移り変わり、1日の中でも、刻一刻と移り変わりゆく。多忙な人間の関心は、現在にしか向かない。ところが、現在は、点であるから、掴み取ることができない。

未来は、” 過去の点 ” と ” 現在の点 ” の延長線上にある。しかし、未来は自分で作ることができる。” 過去の点 ” と ” 現在の点 ” を結ぶのではない。” 未来の点 ” を定め、 ” 現在の点 ” と結ぶ。結んだ線に沿って、” 現在の点 ” を刻むことで、” 未来の点 ” である、辿り着きたい未来を手に入れられる。

閑暇

あらゆる世俗的な営みから離れて生きる人の人生は長い。何一つ奪われないからだ。

閑暇(かんか)な人とは、ただ時間を浪費している人ではない。閑暇な人は、自分が閑暇であることを自覚している。

閑暇な人とは、英知を手にするために時間を使う人だけだ。英知は、「歴史を学ぶこと」で得られる。

人は、自分の親を誰にするか選べなかった。親は偶然によって与えられるものだ。しかし、「自分の望み通りの親の子として生まれること」も許されている。「歴史の偉人に学ぶこと」である。歴史の偉人に学ぶことで、その偉人の思想を受け継ぐことができる。

形あるものは、いずれ壊れゆくが、人の英知は、人から人へと伝えられ、ある時代に、滅んだり、衰えたりすることはない。

セネカの『人生の短さについて』という本が、2000年もの間、読み続けられてきたことがその証左である。

何の役にも立たない雑学の研究に熱中する人たちは、いかに一生懸命であっても、何もしていないのと同じだ。

知識の内容が乏しいものでも、興味深いものであったら、人は関心を惹かれる。しかし、知識は、社会の役に立たなければ、価値がない。

不安と幸福

過去を忘れ、現在を疎かにし、未来を恐れる人達の生涯は短く、不安に満ちている。

絶大な幸福は、それがどんなものであれ、不安に満ちている。運は、たとえ幸運であっても、信頼が置けない。幸福であり続けるためには、さらなる幸福が必要になる。偶然から生まれたものは、全て不安定であり、高く上がれば上がるほど転落しやすくなるものだ。

苦労の末に、欲しいものを手に入れる。そして、手に入れたものを不安げに持ち続ける。しかし、その間にも、2度と戻らない時間のことは、全く気に留めない。

不安の原因は、幸福からも不幸からも生まれ、決してなくならないんだろう。人生は忙しさに駆り立てていくだろう。閑暇は、決して実現することなく、いつまでも切望され続けるだろう。

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