【本要約】生まれてこなかったほうが良かったのか?

【本要約】生まれてこなかったほうが良かったのか?

2022/1/8

反出生主義

「生まれてこなかったほうがよかった」という思想は、人類2,500年の歴史を持つ。「人間がこの世に生まれてくることは誤りであり、生まれてこないようにしたほうがよい」とする反出生主義についての考察である。

・人間が生まれ、そして、死んでいくことにどのような意味があるのか?
・存在することと、命があることとは、どのように違うのか?
・生命と身体は、どのように関係しているのか?
・命あるものが、常に、関わり合いの中でしか生きていけないのは、なぜなのか?

生命の哲学

私は生まれてこないほうが良かったのか?

「私は、なぜ死ななければならない人生へと生まれてきたのだろうか?」こんな人生だったら、生まれてこなければよかった。

私が「生まれてこなければよかった」と心の底から思うとき、私は自分が関わったときに共有した「幸せや喜びの時間もまた、なかったことにしたい」と願っていることになる。

「生まれてきた」ことを肯定もできず「生まれてこなければよかった」と思うことも肯定できないとしたら、どうすればいいのか?

「生まれてこなければよかった」という暗黒を抜けることによって、その先に「生まれてきて本当によかった」という光明を見ようとする道である。誕生肯定という思想である。

「生まれてこなければよかった」という思想は、反出生主義である。

人間が生まれてくることや、人間を生み出すことを否定する思想である。「人間たちがこの世界へと生まれ出てくるのは間違ったことであるから、人間たちが生まれてこないようにしたほうがよい」とする考え方である。

反出生主義

・誕生否定
 自分が生まれてきたことを否定する思想
・出産否定
 人間を新たに生み出すことを否定する思想

仏陀の原始仏教は、反出生主義に近い哲学を生み出している。
仏陀は「二度とどこへも生まれないこと」を修行の目的としている。

仏陀の思想

① この世に生まれてきた私たちは、モノゴトを正しく見ることができないおかげで、様々な苦しみにまみれて生きている。
「どんなモノゴトにも実体はなく、すべては移ろいでゆく」という真理を正しく知る。
③ 欲望に囚われない生活をして、色々な執着を断ち切っていく。
④ すべての執着を断ち切ることによって「もう、これで、私は、二度とどんな世界にも生まれ変わることはない」という輪廻の終着点に至る。これを悟りという。
  • 肉体の死が迫っていないときに、
    「私は、生き続けてもいいし、生き続けることが今終わってもいい」
    と心の底から思えること
  • 肉体の死が迫ってきたときに、
    「これで私の生は終わるのだが、私は、もうこれ以上、生き続けなくてよい」
    と心の底から思えること

肉体の死が迫ってきたとき
・「もっと生き続けたい」という欲望が消え失せている場合
・「生きることをもうこれ以上しなくてよい」と安堵している場合
※輪廻を前提とせずに、安穏の境地に至った状況である。

幸福

人間個人が死ぬときに「生まれてきて本当によかった」と、思いながら死ぬことができれば、幸せである。

「テクノロジーによって永遠に生きよう」とする欲望が、人類にはあるが、それによって、本当に、幸せになれるのか?

死は人間にとって重荷であると同時に、死は人間から「もっと生きていたい」という欲望をも奪い去ってくれるものであり、それは、死から与えられる恩恵ではないか?

同意不在論

反出産主義の根拠として最も強力なのは、生まれてくる子ども本人の同意を得ていないという「同意不在論」である。

「生まれてくる本人の同意なく子どもをこの世に存在させるのは、その子どもに対して暴力的であり、決して許されない」とする思想である。

  • 同意不在論の多くは「子どもが生まれてくるこの世界が、苦しみと悪に満ちているから、存在させてはいけない」と主張する。
  • 例え「この世が天国のように素晴らしい世界であり、生まれてきたら、全員が必ず幸せになる」と保証されていたとしても「生まれてくる子ども本人の同意がない以上、子どもを産むことは決して許されない」とする論もある。

例え「生まれてきた人間たちの多くが幸せになり、生まれたことを後悔しなかった」としても、それは「本人の同意なく子どもを産むこと」を正当化するわけではない。

誕生肯定

誕生肯定:生まれてきて本当によかったと心の底から思えること

生まれてきてよかったとは?
「仮に私が今抱えている深刻な問題が解決されている可能世界を想定したとしても、そちらの可能世界の方に生まれてくればよかった」と心の底から望まない態度である。「こちらの現実世界を生きていきたい」という態度である。

反出主義とは?
「私が生まれてくること」と「私が生まれてこないこと」を比べてみれば「私が生まれてこないこと」のほうが ” よりよかった “ という思想である。

  • 私が生まれてくれることと、私が生まれてこないことを比べてみれば、「私が生まれてこないほうが、” よりよかった “ 」と言いたくなる気持ちがわかる人もいる。
  • 私が生まれてくることがなく「私のすべてが最初から無のままであったとしたら、どんなによかっただろう」と思うことを理解できる人もいる。

いくら「私は生まれてこなければよかった」と嘆いても、私は、それを今から実現することはできない。それは、原理的に実現不可能であるから、どうしようもない。それならば、これから未来に向けて生きていく人生の中で「私は生まれてこないほうがよかった」という思いを解いていくことで実現するしかない。

例え「生まれる前の無の状態を実現しよう」として自殺をしたとしても、自殺が実現したときに、「その結果を経験することのできる私」という主体はどこにもいない。

「私が生まれてきたこと」と「私が生まれてこなかったこと」の間の比較は、不可能である。それは、『私が生まれてこなかったことを正しく想定すること』が原理的に不可能だからだ。

「私が生まれてきて、現実世界を生きていること」は
・他の世界と比較することはできない。
・「私が生まれてこなかったこと」とも比較できない。

私が、生まれてきて、生きていることは、比べることもできない真理である。

これからの人生を生きる中で「私が生まれてこないほうがよかった」という思いを払拭して「私が生まれてきて本当によかった」という誕生肯定を目指す。

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