奴隷と自由
2022/5/14
所有から共有へ回帰
- 封建制度の奴隷 ( 農奴 ) が解放され、家と仕事を失う代わりに、自由を得た。
※『 かこいこみ 』だから強制解雇でもある。 - 自由によって自我が芽生えた。
- 自我が芽生えると、所有の概念が誕生する。
奴隷時代は、人間自体が売買の対象であったが、身分制度が崩壊した後では、人間自体ではなく、人間の労働力が売買の対象となった ( 人間の労働力 = 人間の時間 )
- 奴隷という人間自体の管理は、家と仕事だけでなく飯や病気の問題もあり、管理が煩雑だった。
- 家・飯・病気の管理は「 個人に任せた方が楽だ 」と考えるようになった。
- 仕事 = 労働力 = 時間だけを管理する。
時間以外の家・飯・病気のために余分に賃金を支払うことにした。= 再生産費
役立たなければ、仕事を辞めさせればいいから、労働者の方が奴隷より都合よく扱えた。
① 自由の獲得
② 自我の萌芽
③ 所有権の認識
④ 利益追求の意識
⑤ 個人の力で豊かになれる = 資本主義
自由とは、支配者 ( 資本家 ) が自分の利益のために自由に行動するためのものである。
決して、被支配者 = 非自由人 = 奴隷のためのものではない。
共同体での共有が当然のムラ社会では、所有のためには共同体からの独立が前提となる。
個人の確立 = 他者との区別
⇒ 自我や自由への足掛かりである。
・自由は難しいから神様の思し召しで生きたい ( 自由からの逃走 )
・売るものがないから、労働力を売りたい
・楽をしたい、難しいことはしたくない
- 大衆が無知なのは、当然だった、教育は、特権階級のたしなみだったからだ。
- 大衆には、そもそも「 資本家になろう 」という知識・発想がない。
- もし、知識があったとしても「 資本家は難しい、自分にはできない 」と考えてしまう。
- さらに、資本家になるためには元手が必要だった ( 借金 )。
借金をしなければ資本家になれない。
⇒ 大衆には「 借金はよくない 」と信仰させる。
労働力という商品は資本家しか買わないから、資本家が自由に商品の価格を操作できる。
① 資本財:原材料・機械
② 土地:生産に必要な場所
③ 労働者:製品を作る人
現代は、資本財も土地も必要なく労働者だけで生産できるようになった。
- 資本主義は、労働者を金の奴隷にしたシステム
- 資本主義は、右肩上がりを前提としたシステム

真の自由
・何かに囚われていることは自由じゃない
社会にいる限り、他人とのつながりを断つことはできないし、私たちは「 一人で生きていけない 」と思い込まされている。
確かに、ガス・水道・電気・ネットといったインフラ、病院、米・小麦粉といった主食、そもそも今の借家、私たちの生活で必要なすべてを、ほとんど、自分でつくることはできない。社会の人たちの仕事の相互作用によって、商品やサービスが生み出され、お金を介してつながっている。
米は、お金と同じような価値を持ち、税として、納めていた歴史がある。戦後は、米を銀に例えて、銀シャリと言うほど、高価であった。現代では、5kgの2,000円ちょっとで買えるほど、低価格になった。「 田んぼを耕して、稲を植え、水をやり、刈り取って玄米にし、精米して、スーパーに並べて 」という工程を考えると、それを自分でやると想像すると、やっぱり米は安い。それは、誰かの仕事で生み出された機械があって「 農業が、機械化によって生産性の向上を果たした 」という社会のつながりの成果である。私たちは、仕事の分業によって、生活が便利になった。
- 私たちは、自分の得意なことに集中することで、それぞれが、社会の中での役割を果たすことで、お金を稼ぐ。
- お金を稼ぐことで、生活が便利になる。
- 「 お金を稼ぐことで生活が豊かになる 」と思い込まされている。
・社会から独立して、一人で生きていけないのか?
- 無人島に一人で行って生きてけないのか?
無人島は、確かに不便だろう。食糧も全部自分で調達しなければならない。
- 最低限のサバイバルセットがあれば、どうにかなるのではないか?
生死がかかれば、何とかなるのではないか?
無人島で、一人で生きられるならば、お金は不要で、社会から独立できる。
- 無人島では、何をするのか?
水がいる。食糧がいる。寝床がいる。
そうやって、少しずつ、必要なものを揃えていく。その過程は、私たち人類が手に入れてきたものの再現に他ならない。
一人で生きることは、誰にも隷属しない自由である。
お金に囚われることも、社会に囚われることもない。
しかし、生活は、不便である。
すべてのことを自分でしなければならないから、大変である。
私たちは、自由を手放す代わりに、社会とお金、そして、お金を稼ぐための [ 分業 = 仕事 ] を手に入れた。
逆に、仕事を手放し、お金を手放し、社会を手放せば、自由へと回帰できる。
・便利な不自由なのか?
そんな二者択一ではない。
新しい選択肢を考えてから、自分とってのベストを考えてから、手法を考える。
どっちも欲しいなら、発想の転換が必要だ。
それは、隷属するのではなく、隷属させることだ。
自らが主となって、お金を配下に置く、仕事をコントロールする、社会を支配する。
何にも隷属しない状態の自由である。
否、すべてを統治する立場になったとしても、逆に、その統治しているものに囚われるのではないか?
・お金を使って贅沢をする
・社会の目という世間体を気にする
本当に何にも囚われない状態の自由は「 悟りの先にある 」という知識しかない。
真の自由は、その存在さえ、捉えることは、簡単ではない。

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