【本要約】スマートノート ( 岡田斗司夫 )
2022/5/4
序章
経済社会の限界
→ 金持ちと非金持ちの生活差は5〜10年の時差
- 今の10倍金があっても、30年前に行くと不幸
- 今の100倍金があっても、70年前に行くと不幸
今では、お金を持っていることは、人より数年先に新しい経験をすることでしかなくなっている。成功は「 どれぐらいお金を稼いだか 」で計ることができた。お金で、ある程度の幸せを買えた時代もあった。
–
パラメータは時代で変わる。
・金
・生きがい
・人間関係
・成長
・評価
・アイデンティティ
・おもしろさ
・希望
自分なりの定義を言語化する。正しくなくても構わない。「 自分なりの 」を最優先することだ。
言葉の定義から始める。定義を疎かにすると何も生まれない。
ロボットとは、男のペルソナ ( 仮面 )
男の子は成長して男になるんじゃない。「 男 」という仮面 ( ペルソナ ) を被って「 男のフリ 」をする。しょせん「 フリ 」なんだが、やりきれた奴が「 男 」になる。
恋愛について
複雑生物である女を単純化・専門化することで生まれたのが男である。
男は恋愛によって女ほどメリットがないから、対等な関係は存在しない。
他人の痛みを判るようになってしまうと、男は戦えなくなる。
自分や他人の痛みを知らんぷりできるのが、男である。
↓
そういう男にしか、女は欲情できない。
そういう男から「 お前は特別 」と言われるから、女は欲情できる。
–
企画意図や哲学と同じく、単なる思いつきやアイデアもドンドン書く。ノートのどこに書こうか迷うぐらいなら、上から書く。
胸と丹田:魂
いいセリフは、1000年前から変わらない。セリフを言い切ることによって、覚悟が決まる。
プレゼンは、典型的な聴衆の1人 ( 六本木で働くデザイン系のOL ) を仮定し、彼女が講演を聞く前と聞いた後の心理変化を勝手にグラフ化する。シナリオ技法と呼ばれる思考法である。
シナリオ学によると、ストーリーとは、主人公の変化
ダメなのび太 → 恐竜との出会い → 良いのび太
ネットは情報のジャンクフードである。情報は、脳を肥満化させるカロリーであり、過剰な摂取は、品格や強要を逆に下げる。情報デブになってしまう。過剰な情報にNOというフィルターが必要である。
スマートノートとは?
スマートノートは、天才を作るためのノート術である。巷に氾濫しているのは、秀才を目指すため、単に有能な人材を目指す人のノート術である。有能な人材とは、誰かに雇われて、仕事を他人に決められて働く人のことだ。
自分には何か足りない。何が足りないかわからないけど、足りていないことだけは、はっきりわかる。
天才
・発想力
・表現力
・論理力
3つの能力を兼ね備えた人
※本書より引用
・発想力と論理力を兼ね備えた人
他人の気が付かない意外な視点、即ち、発想力で捕まえたビジネスチャンスを、強烈な論理の力で実現化していく。他人から見れば、意志と上昇志向の塊に見えるが、本人からすると、論理的に考えて当たり前のことをしているだけだ。
・表現力と論理力を兼ね備えた人
圧倒的なプレゼン能力がある。例え話や噂話などを交えながらも、根底に強い論理力があるため話の軸がブレない。だから「 いくら聞いても面白いし、ちゃんと話に結論がある 」「 聞いていてタメになる 」わけだ。
・発想力と表現力を兼ね備えた人
独創的な着眼点を、高度な話芸や演技力で表現することができる。
・発想力
発想力は、今までの価値観・感性を捨てて、新しい思いつきや概念を生み出したり、おもしろがれる能力である。今までの自分を捨てる覚悟や姿勢、柔軟な感性を持つことが第一歩になる。
ノートをつけ続けることで脳内リンクが生まれる。脳内リンクを土壌として、無限に生まれ出てくるアイデアの海が、発想力の源泉となる。
・表現力
表現力は、自分の考えを他人に伝える技術力である。何度も繰り返すことで、技術は向上していく。
ノートは、そのためのレジュメや下書きやアイデアメモである。
・論理力
論理力は、複雑な考えや雑多なアイデアを整理し矛盾をなくし、まとめたり順番に気を配って、並べたりして、わかりやすい形に整える能力である。
ノートは、論理の原因を追求することで、もっと広いフレームで考えることが可能になる。
スマートノートの進行
1. 5行日記 ( 行動記録 ) 基礎
2. 今日はどんな日? ( 行動採点 ) 基礎
3. 毎日いち見開き ( 論理訓練 ) 論理力・表現力
4. 見せてお話 ( 表現訓練 ) 表現力
5. 臨界突破 ( 脳内リンク開始 ) 発想力
6. 知識 → 教養 → 見識 ( 統合 ) 統合的人格
7. 世に出る ( 私によれば世界は ) 自覚と覚悟
- 「 どうやって痩せるか?」はどうでもいい。
- 問題は「 どうやって1年続けるか?」ということなのだ。
- 「 どうやって、モチベーションを保ち続けるか?」がダイエットの肝である。
ノートは手書きで
ノートによる思考法は、基本的に農業である。「 効率よく知的なアウトプットを増やす 」という工業的な作業ではない。
脳を効率よく使うことを考えてはいけない。
脳はもっと、肥沃な大地として実りを願う場である。書いたら、忘れても大丈夫。思い出せないなら、その日のノートを探すのではなく、今日のノートにもう一度書く。
テキストで打ち込むとき、私たちには無意識にテキストで書ける範囲のことしか考えないようにするというリミッターが、はたらいてしまう。人に見せることを前提とした文章になってしまう。体裁を整える方に気持ちがいき、おもしろい考えを練ることに集中できない。
「 手書きで文章を書く 」という作業は論理を司る脳部位を使いながら、同時に絵を描く脳部位を、駆使している。これが脳にとってよいトレーニングになる。
行動採点
物事を考えるときや判断するときに「 ゼロかイチか 」という二者択一で考えないようにすることで、論理力が鍛えられる。
わからないときは、詳細なデータを集めるに限る。会社の経営が苦しいときも、まずやるべきことは、お金の出入りの把握だ。現状を冷静に数字で把握する。具体的に細かい勘定科目まで把握する。計算することで怖い結果を招くわけではない。結果が怖いなら、既に、もう怖い状態に陥っていて、そこから目を逸らしているだけだ。どうやって現状を乗り越えるべきか?打開策の第一歩は?すべて、具体的な数字の把握から始めるしかない。
ダイエット
- 太っているのは、毎日毎日、太り続けるための行動を繰り返している結果なのだ。
- 太っているという状態は、絶対に太り続けるような行動を毎日取らないと維持できない。
軍隊や刑務所「 同じ行動と食事 」を強要される場所で生活すると、みんな体型が似通ってくるのが、証拠である。「 太るような行動 」を毎日、それも無意識にまで習慣化しているからこそ、人は太る。だから「太っている」という状態から逃れるのは簡単だ。まず自分がいかに「太り続ける行動」を毎日しているか、充分知るだけでいい。
- カロリー制限なんて、まだ必要ない。
- メモをして、自分の行動を客観化することが「 やせる 」という結果をもたらす。
- 「 決意する 」とか「 頑張る 」などという精神論は必要ない。
- 「 食べても、何となく嬉しくない 」という気持ち
- 「 痩せ始めて、何となく嬉しい 」という利益
この「 気持ち 」と「 利益 」の二つが揃って、人間は行動できる。
行動採点
② その行動に点をつけること
反省や後悔なんかしなくても、自分の無意識は、ちゃんと採点結果を覚えている。いつのまにか、点が低かったことをする頻度が減りはじめる。点数が低いと、人間は意識しなくてもごく自然にやらなくなったり逃げるクセがついてくる。どうしても避けられない行動の評価が低いこともあるが、その分を取り返そうと「 楽しいことに自然に目が向くようになってくる 」と発想できたら、大成功である。
言語化できない無意識の部分と「 記録と点数 」を通してコミュニケーションできたということだ。
時間を節約する努力より「 自分で評価した採点の低かった行動は繰り返さない 」という方が、毎日楽しくなるし、結果として時間も節約できる。
② 行動採点
↓
複数の問題
問題から発生する迷い
↓
悩み化
↓
慢性化してストレスに
悩みの本質、苦しさの本質というのは「 複数の問題を頭の中でクルクルと回している状態 」から生まれる。
→ 頭の中でジャグリングしている。
本来、悩みの解決に使うべき脳の容量をジャグリングに使っている。だから、悩むのは疲れる。だから、悩んでも答えが出ない。
悩みが多くなると、一度でもにすべてを考えることは不可能である。だから、いくつかの概念やアイデアを同時に何個かずつ組み合わせてほ、グルグル回すことになる。悩んでも答えがでないと、次は別の組み合わせでグルグル回す。組み合わせが変わると違って見えるので、悩みは無限にあるような気がする。
論理訓練
- 右ページでやることは、言語化・論理・プレゼンテーション
- 左ページでやることは、連想・発想・クリエイティブ
論理は肉体訓練である、スポーツと同じ。水泳や自転車を習うのに、入門書ばかり読んでる人はいない。毎日書く以上に論理入門はない。
ノートの大きさは、自分の思考スケールに比例する。
仕事やプライベートで使い分ける必要はない。
スマートノートは、思考を広げる装置である。自分の感情を幸せにする道具、論理の積み上げをする知的ジムになる。発想やアイデア、フレームを広げる訓練である。
情報管理は時系列順のみ、書き終わったノートを並べるだけで充分である。
- 思ったことを書いたら、次に「 なぜそう思ったのか?」と理由を書く。
- よかったことも悪かったことも後悔したことも「 なぜ?」を書き出す。
- 書くだけで反省するのは禁止である。
毎日ノートを書くことで、普段の自分は、考えているのではなく、単に感じていることがわかる。
- まず「 感じる 」
- 次に「 感じた理由を考える 」
私たちは感じているだけで考えていない場合が多い。
- 考えを言語化していない。
- 自分の感覚や感情を言語化する訓練をしてみる。
右ページ
人間の脳は、論理的に考えている間に、脳の別の部分は遊んでいて、いろんなことを思いついている。だから、書きながら思いついた関係ないこともそのまま書く。
- まず、感じたこと、思いついたことを書く。
→ 今日のお題
自分の中から出てきた言葉・感想・考えについてアレコレ考える。
- お題について、論理的に展開してみる。
- 展開の仕方は「 なぜ?」と、問いかけて答えを書くことである。
- 「 事実・感想・理由・反論 」を書いていくと、論理的になる。
自分自身の感覚や考えを「 なぜだろう?」と説明することが、論理作りのはじめの一歩である。
論理的に考える = 上下水平方向に物事を考える
※本書より引用
② 上方向に「 ということは?」と推理を積み上げてみる。
③「 どうする?」という解決策を考えてみる。
④ 左方向、すなわち時間軸を過去にさかのぼって「 昔はどうだったか?」を考える。
⑤ 右方向に「 同じような事例がなかったか?」と類似や連想を広げる。
⑥ 最後に「 私はいま、こう考える 」という自分事として結論を出す。
① 下:なぜ?
土台を疑う。前提を疑う。
② 上:ということは?
論理の構想物を基礎工事の上に建てる。
充分に「 なぜ?」を考えた後で「 じゃあどうする?」と、解決策を考えると、正解に辿り着く。物事を考えるときに、解決策を考える性質がある。「 なぜ?」の先にしか本当に求める解決策はない。
- 「 仕事、やめたい 」と思ったとき
- 「 じゃあ、どうしよう?」「 次の仕事、何にする?」といきなり考えてはいけない。
- 「 なぜやめたいのか?」を考える。
- 「 なぜ、やめたいのか?」という疑問の中に、絶対に「 次の一手へのヒント 」が隠れている。
④ 左:時間をさかのぼる
過去に、答えよりも「 同様のパターン 」を探す。
⑤ 右:類似と連想
似たもの探しである。同じことを考えた。同じような現象をどこかで見た。他のものと比較して考える。物事の構造を抜き取ってみる。
⑥ 私は今こう考える
論理の長所は、即ち欠点でもある。
論理は誰でも納得できる答えを出せる。
= 誰か考えても同じ結論になるから、つまらない。
論理を深めていくと、みんな同じ結論になりやすい。だからこそ、最後に、自分の感情を入れると「 私だけ 」の論理になる。
最初は、下部構造の「 なぜ?」を、3回繰り返すことから始める。繰り返すことで、論理の根拠となる原因に近づく。そして、最後に「 なぜ自分は気になるのか?」を問いかけることで、血の通う論理になる。
ノートをつける習慣は、論理の練習場である。演習問題なので、正解することが目的ではない。演習は、自分だけの論理のパーツを増やすことが目的である。
正しい論理からは、おもしろみは出てこない。ある意味デタラメな組み上げ方、論理的なズレを保持することが、最終的に、本人のおもしろさにつながる。
間違っているけど、魅力的な理屈を、人は「 おもしろい 」と言う。
左ページ
1. 右ページの続きを書く。
2. 図解や要点をまとめたり、箇条書きとして抜き出す。
まとめページとする。
右ページの目次を作る、解説を書く、清書する。
3. 論理的な右ページに対しておもしろいことを書く
① 具体的な経験談 ( 失敗談 )
② 的確な「 例えば 」話し
③「 要するに抽象化 」
①
人は、他人の失敗談が大好きである。
どんな話題にも自分の失敗談が話せるくらい失敗談の多い人なら、その人は、とてつもなく魅力的ということになる。
②
小中学生活にもわかるように書いてみる。
誰にでもわかるように書いてみる。
③
一言にまとめてみる。
抽象的な言葉や決め台詞にまで落とし込んで「 一言 」で言い切ってみる。
テーマ・キャッチコピーである。
左ページは右ページに対するツッコミであり、カミングアウトである。
右ページから書く
右ページから書くと左ページが気になって仕方ない。左ページの空いている空間は、もったいない。だから、無理矢理にでも、何か書こうと思う。この何か書こうという姿勢が、無意識に、うまく連想をはたらかせてくれる。論理的に考えることだけでは出てこない、別の発想が生まれる。
無駄な空間があると人は不思議なもので、空白を埋めたくなる性質がある。
右ページに書いて、左ページを空けておくのは、武道の型と同じである。肉体的な訓練と同じく、精神的・知的な型を身に付けるための修行である。
スマートノートは検索不可である。スマートノートの本質は、武道の修行である。どこの世界に試合を検索して途中からやり直すという横着者がいるか。そんな奴強くなれない。
ノートの効用
- 自分の中で考えているより、人と話した時の方が、新しい発見や気付きが生まれやすい。
- 新しいアイデアが生まれるときは、繰り返し散々考えて、ノートに残らず押し付けて、一旦忘れた後だ。
① コミュニケーションツール ( 人と )
② コミュニケーションツール ( 自分と )
③ ストレス管理 ( 感情管理 )
誰かと話すとき、その場でノートを広げる習慣を持つ。
・相手の話しを右ページに箇条書きにする。
・相手の思っていることのフレームが見えてくる。
・相談を受けていることを理屈で分析したり、反論したりするのではなく、とりあえず、書き出してみる。
悩みの本質は頭の中でジャグリングをしている状態が原因である。
ノートに書き出してみることによって、記憶することに頭を使うのではなく、解決するために頭を使えるようになる。
左ページは、2人で思考するページである。
・自分の感情的内面
行動記録と行動採点によって、自分の不快な行動を逓減する効果がある。
・自分の理性的内面
自分の考えたことを書いて、論理立てる。
「 自分は何をしたいのか?」「 何を求めているのか?」分析する。
感じる → 考える → 推理する → 仮説立てる → 責任を自覚する → 行動する
・具体的な他者
相談されたときにコミュニケーションツールとして利用することで、解決する。
- 私はなぜ何をしたいのか?
- 私はなぜ理解できないのか?
- 私は他者にどうすればわかってもらえるのか?
ジャガイモやニンジンをジャグリングしながら、カレーは作れない。ジャグリングを一度やめて、テーブルの上に素材を全部載せてみる ( ノートに書き出してみる )。それから、ジャガイモの皮を剥いて、お湯を沸かし始めればいい。不安になったらレシピを見る。
コンピュータは、紙の自由度・自在度に及ばない。手で書いた文字には、フォント整形されていない、素のままの「 肉体化された思考 」がある。
強くなるためには、ビデオを見るのではなく、地道に練習して試合に出るしかない。どんなに世界がデジタルであろうと、セックスは人間とやりたい。
・身に付けるとは、自分の身体を使って覚えること。
・自分の身体を使わないと技術は得られない。
スマートノートの目指す領域は、
「 私によれば世界はこう語れる 」という英知の世界である。
魔法の財布
脳という魔法の財布を活かす。
ノートの目的①
自分の思考を失わないためだ。
魔法の財布には穴が空いているから、ポロポロと抜け落ちていく。だから、ノートを使って記録しなければ、失われてしまう。
ノートの目的②
忘れるためだ。
忘れるとは、脳を守るための自然な生理現象である。
記録はノートに任せて、思考に脳を使う。
忘れて、何度も同じことを書く。その積み重ねによって、脳内に、回路が張り巡らされる。
脳内リンク
- アイデアは、人に話すことで思わぬ方向に成長する。
- アイデアは、いろんな方向へ考えることで深化する。
現象:最近自分に起こった出来事
知識:過去に読んだ本
構造:システムが共通である
わかる
この世界のあらゆる美食よりも、
美女とのセックスよりも、
感動よりも、
勝利よりも、
愛よりも、
育児よりも、
ずっとずうっと気持ちがいい。
この世界が一瞬で瑞々しく姿を変え、自分の周囲すべてのものに意味があるとわかり、その中で自分は何をしているのか、ほんの一瞬だけ俯瞰で見える。

・自分を保護してくれる親の正体も、その言語も、暑いだの寒いだのの環境も、すべて「 意味不明 」である。
・落ちれば痛いし、火に触れば熱い。
・こういう世界の意味を早く知らないと生命の危機に晒される。
- 巨大な同族たちの一部が「 親 」で、一部が「 兄弟 」
- 彼らが話す音が「 言葉 」
- 顔に浮かぶ動きが「 表情 」
- のたくるような曲線と線分の組み合わせが「 文字 」
- 外を走る巨大な影が「 車 」
- 轟音をたてる怪物が「 電車 」
この世界の謎がひとつひとつわかり、意味が少しずつ理解できる。それでもわからないことのほうが圧倒的に多く、やがて成長して成人になるころには「 わかる 」ことをあきらめる。「 わかる 」ことより「 知ってる 」ことの方がずっと多くなるから。
初めて経験するキスも、露天風呂の温泉も、デリバリーのピザもカラオケも、経験するよりずっと前から、私たちはその存在を「 知っている 」。
知識や情報を求め、検索し、調べ、流し見し、チェックする。
そんな「 知る 」ためのやり方ばかり続けていると、もっと複合的な、自分の中に取り込んだときに起きていた、あの「 わかる 」を忘れてしまう。
誰にでも得られるような情報を集めても「 わかる 」は発生しない。
スマートノートに毎日書くことは、「 自分で書いた言葉 」は「 知ってる情報 」よりほんの少しだけリアルだ。
脳内リンク
ノートが蓄積されていったあるとき、急にリンクをはじめる。
今まで書いたこと、考えたこと、回答不能で放っておいた疑問や、何を書いたか自分でも思い出せないメモなどが「 自分にしかわからない組み合わせ 」で急に意味をなす。
とんでもなく複雑なミステリの伏線のように、ノートのいろんな箇所の書き込みが有機的に結びついて「 あ、そうか!」と思う。
ノートに書いたいろんな情報がいっせいに脳内でリンクする。
- ノートの分量が、ある臨界値を越えた瞬間にやってくる。
- これまで書いたことの「 関係 」がわかる瞬間である。
- 「 わかった!」がやってくる。
スマートノートは「 無駄 」を重視している。効率よく「 能力 」を伸ばそうとしていない。忘れてもいい。検索なんかしなくていい。膨大な無駄な書き込みを繰り返す。
いいアイデアとは、毎日毎日無駄なページを延々と使って、同じようなことを何回も何回も繰り返して、ダメなアイデアを山のように積み上げた上にできあがるものだ。
人間は悩みや考えていることが、変化していく生き物である。仕事・人間関係・お金など、多様なことで悩む。それについて、毎日中途半端な論理でも組み上げていると、ある日、問題が解決される日が来る。そして、問題解決には、連鎖作用があり、別の問題の解決の糸口になったり、構想の理解に転用できたりする。
ノートの中は、中途半端でも、残した方がいい。毎日バラバラの物を残したとしても、それがいずれリンクして全体像が見えてくる。
脳内リンクは、世界の解釈線である。
論理という執事
スマートノートで考える「 論理 」とは「 感情を幸せにするツール 」である。
論理はあくまでツールであるから、感情が論理的になったり、感情が論理に支配されることは、論外である。
右ページに、ダイエットで悩んでいることを書き出してみると、自分の考えを俯瞰的に見ることができる。
左ページで、別の発想や思考を次の段階に進めることができる。
左ページは、「 ダイエット問題を解決しよう 」とする使用人であり、客観的に判断できる別人格である。
夢
自分の夢や行動に効率を求めても仕方がない。効率が上がったとしても、すぐに行き詰まるか、効率が上がったことに対して身体も心もついていけなくなる。
自分のやりたいことや夢を、スケジュールの中に混ぜてしまえば、自分の夢がスケジュール化されて、近付くような気がする。しかし、それは「 自分の夢に縛られて生きる 」ことだ。
知識から、教養、見識へ
ノートを書く目的は、意見や仮説を多量に生み出すことだ。
脳内リンクというストックがあり、途中段階までの意見やアイデア、考えもいっぱい貯まっている。この状態だと、同じことを見たり聞いたりしても、他の人と違うリンクが発生して、オリジナリティのある意見、面白い意見が出てくるようになる。
見識へのプロセス
「 意見 」や「 仮説 」が集まって「 見識 」に成長する。
「 見識 」とは「 知識 」と「 人格 」と「 教養 」とが土台となっている。
- 知識
情報を個人のフィルターで取り込んだ状態のもの - 人格
取り込んだ知識をどう解釈するのかというスタンス - 教養
時間や空間に沿って整理されている知識
歴史的視点や地理的視点を自在に操れるように、脳内で遠近感が付けられている知識の塊
「 教養 」だけでは足りない、語り手の顔が見えないからだ。
「 見識 」とは、この「 教養 」に「 立場 」と「 判断 」を付けたものだ。
「 立場 」とは、日本人の42歳のバツイチの無職の男というような立ち位置のことだ。
- 「 俺はなぜこう思うのか?」という、俺の根拠がない。
- 「 俺はこんな奴だから 」「 自分は元々こんな奴だったから 」という表明である。
- 自分の立場を考えて、自分の発言を悩んで工夫して出す。
ここに、責任感や説得力が発生する。
「 判断 」とは、主体的な決断である。
- 「 だから、こうすればいい 」という意見は「 だから、みんなこうすればいいのに 」という意味である。
- 「 だから、先進国はこうすればいいのに 」とか「 だから、政府はこうすればいいのに 」という意見に、主体性はない。
- 「 この意見を言ったからには、オレはやる 」という意志や覚悟が見えてこない。
この「 立場 」や「 判断 」に、正解はない。だから、全員を説得できなくてもいい。
- 地球温暖化問題に関して、自分なりの判断が「 俺は割り箸を使わない 」で、構わない。
「 割り箸なんか使わなくてもムダだ 」とかいろんな意見がある。 - 「 いろんな意見があるのはわかってる。でも、俺は割り箸を使わないということで、その問題に関しては一応落とし前をつけているんだよ。あとはまだ考えている最中なんだ。 」というスタンスで構わない。
考えている途中で構わない。
正解を求めていたら、何も発言できなくなってしまう。
ただ「 立場 」と「 判断 」をいつも入れるようにする。
そうすると、知識や教養は自分だけの意見、自分らしい意見である「 見識 」になっていく。
発言するかしないか。
どういう切り口で語るか。
おまけに理解してもらえるとは限らない。
誤解されて攻撃を受けたり、中傷されるかもしれない。
だからといって、逃げてはいけない。
逃げると「 人格 」が下がるからだ。
- 人格は、強い主体性を持たなければならない。
- それは、この世界に対する責任感、この世界と関わろうとする意志である。
- 強い主体性は「 この世のことで自分に関係ないことなんかない 」という、途方もない自我が、自分を拡張する。
師匠から学ぶ
師匠から何かを学ぶ方法は「 すべて信じる 」全面的に相手を肯定する。物を学ぶというのは、まず、無批判に相手がやっていることをすべて写すことから始まる。
「 わかんないところとか、間違ってるとか、ここんとこ疑問だな 」っていうのは「 絶対に私が愚かで、まだわからないから間違っている、わからないだけだ 」と思い込む、信じる。
そういうふうにへりくだって徹底的に勉強すると、ものすっごく、いっぱい勉強できる。その方が「 学び 」に伸びしろがある。
つまりプライドが「 学び 」の邪魔をするんです。学べることがいっぱいあるのに、自分のプライドを入れちゃったら学べることがその分だけ減る。
何かを学ぶときは、信者にならなきゃダメだ。
それぐらいやったら、ちゃんと効果はある。
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