社会と自分とのキャズム
2021/8/24
分断の原因は何だ?
私たちは、モノゴトを捉えるとき、自分が理解できるフレームの中に、落とし込んでいる。フレームは、枠組みである、写真立てのフレームが具体例である。
- 一人一人、そのフレームは異なる。
- 生きてきた人生によって、そのフレームは、異なる。
そして、私たちは、そのフレームが近い人と波長が合う。
例えば、会社の同期、学校の同級生は、新しいことが始まるときに、同じ環境に属して、同じようなことをして、共に過ごす。その経験によって作られる一部のフレームが似通ってくる。だから、話が合う、波長も合う。
しかし、一度は同じ環境で過ごしていても、やがて、別々の環境に分かれていく。
そして、新しい環境で、フレームは、変化していく。日々、フレームの形は変わっていく。
そこで、誰かが意思を持って、再び、共に過ごす時間を作る。そうすることで、関係が一時、保存される。一方で、フレームの形が変わりすぎてしまうと、共に過ごす時間の中で、波長のズレを感じる。その波長のズレ具合によっては、一時、保存された関係も、糸が切れてしまうことがある。
ある出来事によって、急激にフレームが変化することがある。それは、生活環境かもしれない、社会環境かもしれない。自分の意思かもしれないし、自分の意思じゃないかもしれない。それは、個人の価値観の大きな変化がしれない。社会の、時代の、大きな転換期かもしれない。
あまりの急激な変化に、思考が付いていかないことがある。しかし、何とか、その状況を理解しようとする。自分の持っている知識で、その差を埋めようとする。知識を使って、何とかそのギャップを埋めようとする。
宗教か。
- そうか、宗教が異なれば、思考が異なるのは、当然だ。信仰の対象が違うのだから。
宗教は、強い。
- 宗教は、その戒律によって、酒が呑めないとか、豚肉食べちゃダメとか、牛肉食べちゃダメとか、食事の制限がある。
異教徒とは、食事ができない。
- 宗教は、異教徒と交わらないように、食事の戒律を定めたのかもしれない。同じ宗教のコミュニティを強化し、異なる宗教とのコミュニティを分断するために。
宗教が変わってしまったんだ。
- それは、しょうがない。
宗教の違いは信仰の違いだから、どうしようもない。
そうして、分断された関係の理屈を作ることで、宗教というフレームに当てはめることで、モノゴトを理解できる。
世界の変化
世界は、変化し続けている。
その変化の異常性を認識している。
明らかに、何かがおかしい。
自分の直感ほど、信じられる機能はない。
- その変化に身を委ねるのか?
- その変化に逆行するのか?
- その変化から、距離を置き、傍観するのか?
戦争中に、「戦争反対」と言ったら「非常識だ、非国民だ」と言われた。
戦争中は、誰かが「戦争は常識だ」と大衆に教えた。
未来になって、大衆は「戦争反対」がおかしいことに気付いた。
戦争中は、誰かが「戦争は常識だ」と大衆に教えた。
未来になって、大衆は「戦争反対」がおかしいことに気付いた。
- 大衆は、無知だ。
- 大衆は、誰かの教えに従う。
自分で歴史を調べ、本を読み、正しい知識を付け、自分で判断することができない。
- 誰かの教えに従う方が、簡単だ。
- 自分で考えて判断するのは、大変だ。
そして、未来になって、気付く。
あの時の常識は、誰かに作られたモノだったんだと。
そうやって、歴史は繰り返されて来た。
大衆の操作なんて、権力者にとっては容易だ。
- 大衆は、権威に弱く、大きな声(メディア)を信用する。
- 大衆は、権力者に、利用され続けてきた。
そうしないと、歴史が繰り返して来たように、権力者の手の平で、踊り続ける人生になる。

【本要約】悪魔とのおしゃべり
自分の中にある「正しさ」を疑う。正義のヒーローはいつも怒っている。そして、悪のボスはいつも笑っている。人間が怒る理由は、相手に期待しているから怒るのだ。
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