「 意識はいつ生まれるのか 」からの思考
2022/6/1
脳の研究を進めていくとそれは、宇宙の一部と酷似している。
宇宙が人体に影響を及ぼす。
「 宇宙と人体はつながっている 」という思想である。

「 私たちの脳が小宇宙だ 」と仮定すると、この宇宙全体が、実は、誰かの、例えば、神の脳であることも否定できない。
意識のことは、よくわかっていないが、脳のニューロンが重要な役割を果しているようだ。
「 宇宙全体が神の脳である 」とすると、私たち1人1人の人間は、ニューロンのひとつであろう。「 人間の一般意志というよりも、全体意志の結果として神の意識が作られている 」という仮説である。
- 再現性がないものは、科学は苦手だ。
- 客観的でないものは、科学は苦手だ。
人はみんな必ず死ぬから、死んでみてはじめてわかることだ。死なないとわからない。再現性がないので、科学の適用範囲外だ。
意識は主観なので、そもそも科学的アプローチでは解明できないだろう。
例えば、岡田斗司夫のように、無意識からのアプローチ ( ex.レコーディングダイエット ) を発見する。無意識からのアプローチという手段を、多数積み上げていくことで、客観的なデータを集めることができるかもしれない。
死も意識もわからないからおもしろい。今の所、非科学である。
意識は非科学なので、人工知能という科学的アプローチでは、意識は創発されないだろう。
意識は主観である限り、自分に意識があることを他人に100%伝えることはできない。また「 自分に意識があるから他人にも意識があるはずだ 」と思い込んでいるに過ぎない。例えば、意識を持たない
優秀な人工知能が開発されたとして、その人工知能の見た目が人間と変わらなけば、私たちは、意識の有無を区別できないだろう。
そもそも「 私は意識がある 」と思っていることさえ、意識が定義されていない限りは、正しいかどうかわからない。私の感じる意識と他人の感じている意識は、全然別物の可能性がある。納豆の好き嫌いのように、食べ物の感じ方が、人それぞれのように。
意識は、科学できなくても、言語化できるはずだ。
意識の言語化という、おもしろい目標が生まれた。

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