自由の矛先

湯浅

自由の矛先

2021/11/23

自由と不自由

・自由の自在
・自由の民主化
・自由の内在化
・自由の喪失
・自由の形骸化
・自由の中の不自由
  • 「ルールに囚われないのが自由だ」と思っていた。
  • 「自分らしく、自分の好きなように生きるのが自由だ」と思っていた。
【本要約】武器としての交渉思考
交渉とは、複数の人間が話し合い、合意を結ぶことで現実を動かしていく。交渉を行っていくときには「このロマンとソロバンの両方を考えること」が不可欠である。
・社会の中で、真に自由であるためには、自分自身を拘束しなければならない。
・自分の手で新しい仕組みやルールを作って、自分を拘束する必要がある。
〜 武器としての交渉思考

「本当の自由なんて、この世界には実在しない」って教えてくれた。

私たちは、生まれたときから、不自由な社会の住人だ。

それは、生まれたときから、まるで、自分の影のように、隣にいるから、気付かない。暗くなって、初めて、太陽の光によって作られた、幻影だと気付くように。

  • 日本では、法律を守るように教えられ、常識に従うように、育てられる。
  • 日本以外の国では、宗教に従うように教えられ、法律に守るように、育てられる。
私たちは、法律という、ルールを前提として育てられるから、法律は無意識にまで、刷り込まれる。
①法律や道徳を教育するのが、学校である。
②学校という自分が存在する立場で、国民の三大義務を学ぶ、教育・勤労・納税である。
③自分が教育を受けている立場なので、自己否定はできない。
勤労納税が、自然と意識に入っていき、無意識にまで浸透する。
⑤大人になったら、勤労して、納税するのが、正しい在り方だと疑わない。

社会のルール

・人のモノを盗んではいけない。
・人に暴力を奮ってはいけない。
・年長者を敬わなければならない。
・人に迷惑をかけてはいけない。

人のモノを盗んではいけない。

【本要約】最高の体調
相手に信頼感を抱かせるためには、自分の悩みや秘密を隠さずに打ち明ける。相手に対して「私はあなたのことを信頼しているからここまで話せるのだ」というシグナルとして、はたらく。

猫は、魚屋で魚を獲っても、法律で裁かれない。

狩猟採集時代には、所有という思想がなかったから、すべての道具や獲物は、ムラの共有財産である。

  • 「盗む」という概念もない。
  • 「盗む」という言葉すらない。

個人所有というシステムが社会に浸透して初めて「人のモノを盗む」という行為が生まれる。

所有という概念が「人のモノを盗んではいけない」というルールを生み出した。

所有という概念がなければ、そもそも、ルールは存在しなかった。

人に暴力を奮ってはいけない。

自分から暴力を奮ってはいけないけれど、自分が暴力を奮われたら、暴力で対抗していい。

【本要約】世界がわかる宗教社会学入門 ( 橋爪 大三郎 )
古代中国の正統思想である儒教、それと相補完的な関係にある道教に、仏教を加えた儒教・道教・仏教の三教合一の思想が、遣唐使を通じて、日本に伝わり、日本の正統思想となった。
「目には目を歯には歯を」
  • 古代では、自分の身は自分で守る社会、復讐が許される仕組みだった。
  • 現代では、個人での復讐は許されていない。暴力沙汰は、国家が介入する。

国家のルールである法律によって、暴力は裁かれる。暴力や、死刑という殺人は、国家の権益であって、いかなる国民にも、許されていない。暴力の集約と特権化によって、法律を遵守させ、国民を統治しているのが近代社会である。

「国家という権威が、法律を守らない個人を取り締まり、罰を与える」ことに対して、私たちは同意している。

私たちは、生まれながらにして、法律というフレームの中での生活を余儀なくされている。当たり前過ぎて気付かないくらいに。法律遵守という土台の上にしか、自由は存在しない。自由は、法律という枠組みに内在するモノでしかなくなってしまっている。

年長者を敬わなければならない。

年長者に対しての絶対的服従は、儒教の思想が根本にある。

【本要約】知識ゼロからの論語入門
若い時分は学び、30歳になると、人生の方向性を見定め、40歳になると、人生の方向性を確信する。50歳になると、人生の目的がわかり、60歳になると、何を聞いても素直に受け入れるようになる。70歳になると欲望も落ち着く。

統治者が、民を支配しコントロールしていくためには、権力に対して従順な民を育成するように、統治していくのがベストだ。民を育成するには、教育である。学校である。儒教の開祖孔子は世界初の学校を設立した。

学校という思想を伝授する仕組みを作った。
学校で「先輩・年長者・権力者を敬う」という文化を花開かせた。

移り変わりの早い現代では、年齢はマイナスにしか作用しない。これまであった経験というモノの価値は衰えていき、年齢の価値が下がっていっている。年長者だから、「経験があるから偉い」といった概念は、既に時代遅れの産物だ。新しい文明の中で培われた土台が、未経験で未知だからこその発想や、そもそもの戦う土俵を変化させている。

iPhoneというデバイスが「生まれたときから存在している」という世代は、手の平の中にインターネットがあるのが常識なのだ。私たち旧世代の常識とは異なる。iPhoneが生活の一部となった現代では「iPhoneが、人生の途中から存在したのか、生まれたときから在ったのか」で、キャズムが生じる。

  • 私たち旧世代からは、iPhoneの中でのイノベーションは生まれない。
  • 生まれたときからiPhoneがある新世代が、イノベーションを起こす。

人に迷惑をかけてはいけない。

【エッセンス】悪魔とのおしゃべり
自分にはないモノがあるように見えない。逆に、共にあるモノは自分にないように見えない。

「人に頼ること」と「迷惑をかけること」の差は何だろうか?

私たちは、1人で大人になったわけではない。
私たちは、話せない、歩けない、食べられない、排泄を垂れ流すことしかできなかった。
私たちは、親に頼らなければ死んでしまっていた。

親は迷惑と思ったのだろうか?

「迷惑かどうか」を判断するのは、相手である。自分では「迷惑」と思っていても、相手は「頼られている」という満足感を得ているのかもしれない。

親は「赤ちゃんの世話をするのは迷惑だ」なんておもっていない、自分がいないと生きていけない生命に対して、頼りない我が子を愛しているだけでしかない。

他人の気持ちなんて、本当のところは、わからないのだ。「迷惑をかけないようにしよう」と考えたり、「迷惑をかけないように行動しよう」とするのは、日本人の悪い癖である。

「迷惑をかけてるかもしれない」ではなくて「俺は頼っているだけなんだ」という意識である。

迷惑と頼ることは、紙一重である。

自分の意識 ” 次第、” 自分の意識による相手の感じ方 ” 次第でしかない。

学校という組織

学校は何のためにあるのか?

  • 学校は、子どもの「知りたい」という欲求を、体系的に満たすための側面を持つ。
  • 学校は、社会的正常な個人を作るための側面も持つ。
学校や会社は、監獄が元になって設計されたシステムである。
ミシェル・フーコー監獄の誕生
ディシプリンとは、身体を管理することにより、従順な個人(機械)を作り出す技術である。規律・訓練によって、個人の身体を管理することで自動的に精神を支配しようとする。権力者の新しい統治の方法である。

監獄のシステムが「社会の一部としての個人を管理するのに有用だ」と権力者が気付いた。権力者は、監獄のシステムを社会 ( 学校・会社 ) に転用した。

罪人の再犯率が高い理由は、「罪を犯した後では教育の効果がない」からである。罪人が、罪を犯すのは、個人的思想の結果である。だから、罪を犯す前に、教育する必要がある。個人的思想が確立する以前に、社会的正常な教育する必要がある。
※社会的正常 … 権力者にとって都合のよいルール

①身体を管理し、社会的正常な教育を施すことで、無意識レベルで服従する個人を育成する。
②代替が利く社会の歯車としての個人を量産する。
③量産された個人は、無意識レベルまで刷り込まれた社会的正常に沿って行動している。

ディシプリンとは、身体を管理することにより、従順な個人 ( 機械 ) を作り出す技術である。規律・訓練によって、個人の身体を管理することで自動的に精神を支配しようとする。権力者の新しい統治の方法である。

【ディシプリンの内容】
[1]人間を空間に入れ所属すべき場所に配置
[2]時間割に従わせ行動を管理
[3]年齢やレベルに応じた段階的教育
[4]歯車人間を量産
[5]歯車人間による効率的な社会
【学校の仕組み】
・時間割りというルールによって、行動を制限する
・先生という権威に従わせる

私たちは、儒教の思想によって、権威に従順になるように調教済みである。

行動の制限と権威は、従順な労働者を育成するための教育である。

国民の三大義務

「学校で教育を受けて、大人になったら勤労して、税金を払うんだ」という意識を持つ。自分の1番身近にいる両親も労働して、税金を払っているから、すんなりと、受け入れられる。

すべてが逆なのだ。

労働して税金を払うのではなく、私たちは、税金を払うために労働するのだ。

国民の約90%は、サラリーマンである。サラリーマンは、会社から予め税金を徴収される。税金の割合は、実質的な給与の1/3である。額面の給与ではい。

会社は個人の社会保険料の半分を負担している。負担してもらえてラッキーではない。会社は、慈善団体などではない。本来ならば、給与に反映されるはずの社会保険料の半分を、会社が負担している建前になっているだけだ。会社からすれば、社会保険料は、全額、社員の個人負担である。

会社の売上から本来支払う給与の一部を予め天引きしておいて、会社が社会保険料を払っているように見せかけている。会社は、社員のために存在しない、株主の利益のために存在する。だから、本来受け取るはずの給与からすると、1/3が税金として徴収されている。

サラリーマンは、国に1/3も徴税されている。残りの2/3の手取りからも、消費税、酒税、たばこ税、ガソリン税、自動車税、固定資産税といったら多額の税金を納めなければならない。

「サラリーマンは税金を払うために労働している」といっても過言ではない。

そして、さらに、教育である、学校の義務教育は、先に見た「ディシプリン」というシステムによって、労働者を生み出す仕組みなのだ。

  1. 国は、税金を徴収するために、学校を義務教育化した。
  2. 学校教育によって、大量の従順な労働者というサラリーマンを育成した。
  3. サラリーマンから、あらゆる手法を使って、さらなる税金を徴収している。
税金を払うために小さな頃から学校へ行って教育を受け、税金を払うために会社へ行って労働する。

国民は、そのための歯車として養成され労働者として搾取されている。

自由

私たちは、ルールの中で生きることが前提となっている社会に育まれてきた。自分では、意識していないように感じても、無意識下で、ルールに順応している。

私が「自由」と言うとき、それは、本来の意味での自由ではない、ルールを前提とした自由である。ルールが土台となった自由である。そこにあるのは、形骸化した自由である。

社会のルールで抑圧されるのではなく、自分のルールで自己を抑制することで、内発的動機・自発的動機を促す。社会が作ったルールの枠の外に出ることを自由と定義しない。ルールの枠を、社会に、自分の外に求めて、自由を欲するのではない。

ルールを自分で定義して、ルールを自己に内在化することで、自由を再定義する。
「自由が欲しい」と、願っていた。
「社会のルールのフレームの外に自由がある」と思っていた。
他人が決めたルールに、自分を当てはめて、自由を欲していた。
自由の反対はルールだから「ルールなき世界こそ自由だ」と認識していた。
自由を定義するには、ルールが必要だった。

「成功の反対は失敗ではなく、行動しない」であり、「成功と失敗は紙一重」と言うように、成功と失敗は、隣接した存在である。

自由とルールも相反するモノではなく、隣接する存在だ。

自由が欲しいなら、自分でルールを作るしかない。
自分で定義したルールの側に、自由のカケラが咲いている。
自由自在
自由は、自らのなかに在る。

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