習慣という思考停止
2021/10/7
感情と行動
自分が理解できない他人の行動にこそ新たな発見がある。
なぜ?
どうして?
そういった行動をとったのか?
どうして?
そういった行動をとったのか?
そこには行動を起こすきっかけが潜んでいる。行動を起こすきっかけは、感情である。強い感情が大きなエネルギーとなって行動を起こす。
自分の感情を自覚して客観的に解釈するのは簡単じゃない。他人を自分の鏡として観察することで、自分の感情と比較することができる。
行動を比較するのではなく、行動のきっかけとなっている感情を探す。
感情と家
例えば、家を借りるとしたときである。
- 俺は、家は、毎月かかる固定費だから、できるだけ、抑えるべきだ。
古くても、安い方がいい。どうせ、家にいる時間より、外にいる時間、仕事をしている時間の方が長い。家は最低限でいい。 - ある人は、家は、毎月かかる固定費ではあるが、自分がリラックスする空間だ。
新しくて、会社に近くて、広い方がいい。家にいる時間は、仕事をするための英気を養う時間だ。家は、生活に重要だ。
+
- 俺は、家は、「最低限でいい、不快でなければいい」という感情だから、新築・築浅?何それ?だ。
- ある人は、「重要だ、快適でなければならない」という感情だから、新築・築浅から探そう!だ。
+
- 俺の家賃は、チームの誰よりも安いというのは、俺の感情による行動の結果である。
- ある人の家賃は、赤坂の70㎡近くのファミリークラスのサイズのマンションは、彼の感情による行動の結果である。
感情と洗い物
例えば、料理に使った調理器具や皿などの洗い物を洗うときである。
俺は、洗い物を溜めるのが嫌なので、料理は洗い物をしながらやって、料理ができた後には、極力、洗い物がないようにする。料理を食べた後に、「大量の洗い物と格闘しなければならない」という不快を目にしたくない。「洗い物しなきゃ」と考えただけで料理が不味くなる。食べた後も、すぐに食器を洗う。次の食事のために、台所に立って、料理をするとき、不快から始めたくない。
- 料理を作るのはクリエイティブだから、好きだ、快の行動だ。
- 洗い物は、クリエイティブじゃないから、好きじゃない、不快な行動だ。
- そして、食べるのも美味しいから、快の行動だ。快の中に不快を混ぜたくない。
だから、すぐに洗い物をする。
+
母親は、違う。食器を溜める。
料理中に、料理後に、洗い物を放置しておく。
それは、洗い物を不快と考えていない。多分、何も考えていない。洗い物が、めんどくさいという感情を持ってない。目の前に、洗い物があるから、洗うだけだ。感情はない。
ひとつだけ注意しなればならないのは、” 感情が存在しない = 何も考えていない ” 行動も存在するのだ。それは、悪い意味 ( 思考停止 ) でもあるし、良い意味 ( 感情に振り回されない ) でもある。
感情と習慣
人間は習慣の生きモノである。
考えなくても、朝から歯磨きを自然としているように。
思考停止は、悪くも良くもなるということだ。
- 感情を抑制して思考停止して、悪い習慣を続ければ、悪い方向へ進んで行くだろう。
- 感情を高めてエネルギーとして良い習慣を身に付け、思考停止して続ければ、良い方向へ進んで行くだろう。
どこのタイミングで、思考停止して、習慣にするかで、人生の進む先は決まる。

感情のコントロール
感情を意識して、それを切り替えるのか、無にするのか、方向付けるのか、といったコントロールすることにこそ、自分で感情を操ることにこそ、すべての源泉がある。
コメント