成功者は、努力家ではない~努力では、成功者になれない
2020/7/25
青木功著「勝負論」を読んでの感想
目標に向かってする目標努力
休まずに毎日続ける継続的努力
寝る間も惜しんで続ける時間的努力
休まずに毎日続ける継続的努力
寝る間も惜しんで続ける時間的努力
これが、好きだ、楽しい、うまくなりたい。
もっと知りたい、詳しくなりたいというような
子どものような好奇心こそ、至高で、
人生でそれを見つけられたら、
それは、もうその人生勝ったも同然である。
子どもの好奇心が、たかだか、
努力なんかに勝てるはずはないのだから。
そして、
その好奇心が、1番強い人が、
その世界を頂上を取る。
努力(苦労)ではなく、
好奇心とうまくなりたいという思い
その思いがあるから自然とできる練習
言い方を変えるならば、
その世界における知的欲求が、最も高い人が、
頂上からの景色を見るのことができるのだ。
忘我の世界
子どもの頃に夢中になった遊び
時間を忘れて、ただ楽しかった遊び
自分が本当にやりたいこと = 忘我の世界
努力家が必ずしも、成功するとは限らないが
成功者は、全て、努力家である
成功者は、全て、努力家である
という格言があるけど、
これは、間違いだと気付いた。
なぜなら、この言葉は成功者の言葉ではない。
成功者を側から見た、努力家の言葉である。
成功者は、忘我の世界の住人であるから、
努力しているわけではないのだ。
努力だとすら、思っていないのだ。
成功者は、子どものように、
夢中になれるものを見つけた人のことを言う。
努力とは、凡人の言葉である。
ちなみに、俺は、ゴリゴリの努力家である。
凡人の俺が、夢中になれるのは、旅である。
旅だけして生きていくには、
まだ、努力が足りないようだ。
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