問題の解き方の提案
2022/3/13
友達も、自分の娘と会えない、2人の娘と会えない。
私と、友達は、30年以上の付き合いだ。
地元も同じだし、お互いのことをよくわかっている。
こんなにも長く一緒にいるのは?
それは、共感する部分があるからなんだろう。
それは、似ている部分があるからなんだろう。
でも、私たちは、違う。
全然、違う。
あらためて「 全然違う存在なんだな 」って認識した。
私たちの本質は、娘の問題は未消化だ。
私たちは、自分たちの中で、それぞれ個々の解釈を与えて、なんとなく消化した風な顔をして過ごしている。
友達は、再婚して、もうすぐ子どもが生まれる。女の子だと。
私は「 三女やね 」と言った。
友達は「 俺にとっては長女 」と言った。
これが、すべてだ。
私たちの本質、未消化の娘のこと。
- 友達は、会えない娘に対しての乗り越え方に、忘却という戦略を取った。
会えない娘のことを、いくら考えても会えない、自分にはどうすることもできない。どうすることができない問題に対して、忘れてしまおう。フロイトは、忘却を「 自我を守るための防衛機制 」と言った。自分では解決できない問題を抱えていては自我が崩壊してしまう、だから、忘却することで自我を守ろう。私たちには、そんな機能が備わっている。だから友達は忘却という機能を使う戦略を取ったのだ。
- 私は、会えない娘に対しての乗り越え方に、希望という戦略を取った。
私は、現状の問題に、時間軸を加味させた。
問題を解決できないのは友達と私は同じだ。でも、私は「 あきらめの悪い男三井寿 」ばりに、あきらめが悪い。あきらめない、問題を解決するのではなく、未来に先送りした。問題の解決をあきらめていない。「 今は解決できないけど 」という時間軸の条件を問題に付加した。
私たちは「 問題があって、それを解きなさい 」と訓練されてきた。
小6年+中3年+高3年+大4年、大学まで含めると、16年だし、その前も幼稚園なり保育園なりに行っている。その間、ずっと「 問題を解く 」ように訓練されてきたのだ。問題文の変更など習ってない。解けない問題には、解くための条件を付けていいなんて習ってない。習ってないことは、わからない。学校で習うことは限界がある。自分で学ぶしかない。
私は現在に娘と会えない:現状の問題
私は未来に娘と会う:希望
私は、時間軸を使って、娘の問題を可視化した。
問題は解決していないけど、もう、悩むことはない。現在、取るべき手段はない。でも、私には未来がある。私は、いつか、娘と会えることを想像している。想像しないことは実現しない。銀座のバーで酒を呑んでいる姿までイメージしている。だから、私は、かっこよく、あらねばならない。娘から見て「 私の親父かっこいいじゃん 」ってならなければならない。私は、ただ、かっこいい父親になりたいのだ。かっこいい父親って何?

私は、娘の子ども時代を一緒に過ごすことができなかった父親である。そんな私が目指す父親像はやはり、自分が子どものときに会いたかった大人へと回帰する。だから、教養のある父親である。
「 自分が子どもの頃に会いたかった教養のある大人 」ってどういうことだろうか?
それは、何でも相談できて、幅広い知識と経験を持っていて、自分に対して、新しい視点を与えてくれる存在かもしれない。そう、例えば「 問題の解き方は、答えを出すことだけじゃなくて、問題文を変更することもできるよ 」というような視点である。
私は、少しだけ、自信がついた。今なら、子どもを育てることができるかもしれない。あの時は、まだ、父親として時期尚早だったのだ。父親たる人間性が備わっていなかったのだ。今なら父親になれそうだ。私も父親になりたい。
コメント