【本要約】渋沢栄一に学ぶ一生モノのお金の超知識

【本要約】渋沢栄一に学ぶ一生モノのお金の超知識

2022/2/27

渋沢栄一の事業には、論語が前提となっている。
論語の仁義・道徳の理念を据えた上で事業を推進した。
その考えをまとめたものが「 論語と算盤 」である。
「 論語と算盤 」は経済界のバイブルである。

江戸時代、金の話しをするのは卑しいとされ、金儲けは身分の低い商人がやるべきことで、武士がやることではなかった。

渋沢栄一は、商売には自分を律する高い徳が必要だと考え、「 論語と算盤 」を書いた。

士魂商才を持て

金儲けに必要なのは、品性である。
品性なき金儲けは決して長続きしない。
士魂商才
武士の心の強さと商才、両方身に付けておく
理想を貫くことこそ仁義であり、理想のない商売は小賢しいだけだ。
しかし、理想だけでは、経済は成り立たない、そこで士魂商才である。
蟹穴主義
・蟹は自分の甲羅に合わせた大きさの穴を掘る。
人もそれと同じで、身の丈に合った自分の得意なことで社会貢献する。
今、与えられている境遇を自分の本分と思い、前に進む。
  • 道徳と商売は、一見かけ離れて見えるものの実はとても近いもの
  • お金は意味のあることに使ってこそ価値のあるもの

商品を売るだけでなく「 商品の良さを伝える 」という理念を持っていないと、相手に見限られる。

商売を行う人間は、仁義・道徳をもって取り組むべきである。私利私欲のためではなく、思いやりを持って、社会発展のために仕事を為すべきである。

・大事業を為すまでは諦めない
・大きな成果の前では、小さなミスは気にしなくてもよいわけではない
・一度決心したからには、成し遂げるまで命がけで勝負する。
・仁義を貫くためには、師匠にさえ遠慮してはならない。
・道理が正しいなら、自分の意見を主張していい。
・何でも法律で判断するのではなく、王道 ( 徳の高い生き方 ) をもって対処する。
・貧富の差は社会の宿命である。
 だから、調和を取ろうとすることが肝要となる。

自ら箸を取れ

私たちは、周りの意見や社会の時流に流されがちだ。
結果として、己の本領ではない分野に乗り出してしまう。

身近なことを大きな志に据えて、枝葉となる小さな志をひとつずつ叶えていく。
立志とは、その積み重ねである。

大きな仕事は、小さくつまらないような仕事の積み重ねによって成し遂げられる。

どんな仕事でも全力を注いで、忠実に誠意を込めて目の前の仕事に取り組むべきなのだ。不満や手抜きは論外である。

小なることは分別せよ、大なることは驚くべからず
水戸光圀

「 人のため、社会のため 」という大義のない投資は、一箇所に留まり、澱んでしまう。

お金には、よりよい明日を願う人々の道徳心が伴わなければならない。

お金は社会的な権力の象徴である。徳のある人は、たくさん儲けても正しく使っている。よく稼いで、よく使う。よく使うとは「 社会を活発にして経済活動を発展させるモノゴトを支出する 」ということである。

「 利益を増やしたい 」という欲望に仁義や道徳が欠けていれば、長続きはしない。

人間一人では、何ひとつ成し遂げられない。

富を持つ人ほど「 社会から助けられた結果だ 」と思わなければならない。その恩に報いるためには、得た利益を社会に還元する。

渋沢栄一にとっての大きな立志とは、社会貢献である。商業を発展させて、そこで得た富をまた社会に還元させることだ。

いつも新しいことを学び続けて、時代に遅れないようにする。
学問を活用しなければならない。
口だけで実践しない人はダメだ。
理屈だけに陥って頭でっかちになってはいけない、実践である。
学問と現実を調和させることで、社会は進展し、人格が磨かれる。

渋沢栄一は、毎朝7時に起きて、どれだけ多くの人が訪れても、時間のある限り面会をしていた。それを嫌々やるのと、嬉々としてやるのでは、行為は同じでも、志は全く異なる。

人格は丸くても尖ってとダメ
「 信じる道を進もう 」とすれば、避けられない争いがあるだろう。その時は、正気を貫いて戦う。

智情意

偉(よ)き人と完(まった)き人
・偉き人
 何かに特化した力を持つ人のこと、その分、人として備える性質が欠けていることもある。
・完き人
 智情意をバランスよく備えた人のこと、特化した力はないが、欠点がない。
 社会を支える多くの人々である。
智:知恵
情:情愛
意:意思

成果が出れば成功ではない。
人格を養い、正義を貫いた結果、富と地位を得ることが成功である。

「 その人が、なぜそんなことをするのか 」を考え「 その人がどう満足するのか 」を観察すれば、その人の人間性が判明する。

[ 行為 ] [ 動機 ] [ 目的 ]
3つを見極めることで、真の人格が見えてくる。

人間観察「 視・観・察 」
視:外面を肉眼で見ての判断
観:外面よりも奥に入り心を見る
察:何に満足しているのかを見極める

人の言動の善悪を判断するときは、志と所作から見極める。

■人の真価は逆境でわかる
逆境に立ったときは、原因を調べ、人為的なものか、自然発生的なものかを判断して、対策を立てる。自然発生した逆境に対して、どのように対応していくかに、真価が現れる。だからこそ、逆境は試金石なのだ。人為的な逆境に対しては、自らの過ちを認めて努力していく。

■順調な時ほど気を引き締める
・モノゴトがうまくいっていない時、人は注意力を高める。
・モノゴトがうまくいっている時、トラブルは起こる。
 それは、注意力がなくなっているからだ。
 トラブルの時は、平常心を心掛ける。

■初心の意志を忘れるな
世の中は思い通りにならない。物質だけでなく、自分の決意した心も、揺れ動いてしまう。意志の鍛錬が足りていない。トラブルが発生する前から、心構えを十分にしておく。立ち止まって、慎重に考える。問題の本質を考える。本心に立ち返る。

熱意を持て

どんな仕事でも熱意を持って取り組むことが重要だ。
そうすれば、興味を失わず、理想を持って進められる。

学問において、知識を持っている人は勉強が好きな人に及ばず、勉強が好きな人は勉強を楽しんでいる人に及ばない。

楽しんだ人には敵わない。
「 日々新たにして、また日に新たなり 」
何事も形式化すると、気持ちが萎えてしまう。どんな取組みでも、毎日、新鮮な気持ちで過ごすことである。新しいアイデアも浮かぶし、おもしろい。同時に一度決心したらブレない。強い意志があっても思い通りにならないことは多々ある。

日々を経るにつれ、世界は進歩するかのように見えるが、反対に退歩するものもある。風習は、長所が短所になる弊害も生まれる。一因が規則やルールという形式に囚われてしまうことだ。

渋沢栄一の時代には、お金を扱うことが卑しいという価値観が、世間に蔓延していた。そんな状況の中で、渋沢栄一は、自分の意志を貫き、会社を興し、日本の資本主義の父となった。

自分の今日の取組みが、大立志のための小立志なのだと信じられるのか?
小立志は、大立志のための小さな枝葉は、すべて、自分の納得がいくものとは限らない。自分が嫌なこともあるかもしれない。それを苦と思わず、自分の大立志のためと、ポジティブに取組まなければならない。自分の心がけひとつ、自分の気持ちひとつである。
by 湯浅

仕事は楽しんでナンボ。思うように行かなくても情熱や理想を持って挑めば、やりがいを感じられる。

戦争のような非常事態になっても、道理に沿った希望を持って生きていくことが必要である。

趣味とは「 こうしてみたい 」「 こうやってみたら、どうなるだろう 」という熱い気持ちか上達していく。趣味のような熱意を持って仕事に当たる。仕事に対して、自分の心から湧き出るワクワク感や理想を加えていく。

理解することは愛好することの深さに及ばない。
愛好することは楽しむことの深さに及ば無い。
孔子

いくら老いて生きながらえていても、ただ、食べて寝るだけなら、単なる肉塊である。例え、体がガタガタになっても「 世のために活動しよう 」とするエネルギーがあるなら、その人は生命を持った存在である。

「 自分がして欲しくないことは他人にもしない 」の精神で、世界から争いや戦争がなくなって欲しいと願っていた。弱肉強食ではなく、他国に迷惑をかけない程度に、自国の繁栄を進めていく道を模索していきたい。それができれば、戦争は起きないだろうと。「 自分さえよければ、他人はどうなってもよい 」これが世界規模で起きると危険だ。

■未来を見越した正しき判断をせよ
思い通りにならないことが起きても、道理を持って行動し、熟考を重ねて取り組めば、トラブルを減らすことができる。大切なことは信である。「 この仕事や事業がゆくゆくはどのような影響を社会に及ぼすのだろうか 」ということを考えて、正しい選択をしなければならない。

皆が利他精神であれば社会は必ずよりよくなる。

人間は、この世に生まれた以上、何らかの目的があるはずだ。
・自分のために?
・社会のために?
・務めを果たしているのだろうか?

競争があるから、成長や進歩があることは事実である。競争があるから努力をする。「 競争するとき競走する 」と共に「 時期が来るまでは気長に待つ 」は、どちらも大切である。

成功とは幻である

「 人事を尽くして天命を待て 」は自分の成すべきことをせよ。天命を決めるのは自分である。

人は道理に従って進む。大事なのは、仁義と道徳を持って仕事をすることだ。失敗や成功、そして、金銭も、その残りカスのようモノだ。失敗しても、努力不足なだけで、くじけず取り組み、努力し続ければ、必ず天が味方する。

「 例え、失敗しても自分の力不足で、成功しても努力が身を結んだ 」ということなので、成功・失敗の是非を論じること自体が、無意味である。全身全霊で尽くしたなら、その失敗は失敗ではない。失敗しても努力したことは、後世には伝わるのだ。

人は天命に従って生き働いている。道理に欠けた行動や自然の流れに反したことを起こしてしまうと、必ずその報いは自分に返ってくる。

運命とは、運ぶ命である。運命を切り開いていくのは自分次第である。

富や幸せを掴む者は、自分の努力で道を切り開いた者である。楽しみや理想を持って仕事に取り組み、社会をよりよいものにする。

「 いずれやってみる 」という意識で、仕事に取り組む。小立志と大立志はつながっている。

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