「 甘え 」から見る日本社会

知識

「 甘えの構造 」からの思考

2022/5/27

甘えと自由

本は思考の源泉、インスピレーションが生まれる。

自由の意味が日本と西洋で異なる。

■ 日本の自由
甘えて、わがままである

甘えでもわがままでもよい、私は誰に何と言われても自由が欲しいし、自由でありたい。

■ 西洋の自由
古代ギリシャの自由人と奴隷が元になっている。
奴隷として他者に隷属していない人 = 自由人
→ 何者か、何かに囚われている状態は自由ではない。

友人・家族といった「 人間関係 」に「 金 」に囚われている状態は自由ではない。
自由とは、個人に属する観念であるため、独立した個人が前提となる。

西洋では、夫婦・親子は身内でありながらも個々が独立しているので、甘えのある態度を取らない。「 言わなくてもわかるだろう 」という甘えはない。

  • 挨拶「 おはよう 」
  • 感謝「 ありがとう 」
  • 愛情「 愛している 」
    といった表現は、身内にも常識である。

甘えがない関係が、独立した個人の証明となる。

日本では、身内に対して甘えがある。甘えがある関係は依存関係なので、個々人が独立した存在ではない。独立した個人という思考性が存在しない社会には、自由は存在しない。人間関係に囚われている状態は自由ではない。

甘えと人間

真の自由を得るためには、甘えのない人間関係が前提となる。

私の環境では甘えられることは避けられない。甘えられることは、私の問題ではないので、どうしようもできない。逆に、私が甘えることは、私の行為なので、私次第である。

  1. 「 精神的な甘え 」によって親に依存していることに気付いた。
  2. 親ならば「 何を言っても許される 」というのは甘えに他ならない。
  3. 親を個人として独立した存在として捉えるならば、そこには境界線が存在する。

私は境界線を意識して、その線を越えないようにすることで、親から解放され、人間関係に囚われている状態から脱出できる。

甘えと社会

境界線

西洋社会では個人個人の境界線が明確であるが、日本社会では個人個人の境界線が曖昧である。

■ 西洋
・「 あなたの説明は事実と違う 」と言っても相手を侮辱したことにはならない。「 事実と違うならば、どこが事実と違うのか? 」というふうに論理的に話が展開される。
・「 あなたは嘘つきだ 」と言ったら相手を侮辱したことになる。喧嘩になる。

■ 日本
・「 あなたの説明は事実と違う 」と「 あなたは嘘つきだ 」は、どちらも侮辱されたような感覚がある。

西洋では、事実と人格は明確に分けられているが、日本では、事実と人格が一体化している。日本人は、事実と人格が混在した感覚を持つ特殊な民族である。

西洋の境界線は、スポーツにおけるルールのラインを現わしているが、日本の境界線は、歩道の線ではなく横断歩道の線くらいに太いのでスポーツのルールになり得ない。事実というルールのための線なのに、人格が線に溶け込んでいるため線が太く、ルールが曖昧ではっきりしない。線が太いという曖昧さが、甘えという概念である。事実の中に、人格を溶け込ませてることで、事実がぼやけてしまう現象が、甘えである。自分の境界線と他者の境界線が重なり合うことで、人格を含んだ線は太くなる。

日本社会に通底する「 甘え 」とは、自分と他者が入り混じった「 境界線 」の太さにあった。

自由

自由を獲得するためには、他者への甘えをなくし、明確な線引きをすることだ。日本社会ではドライに捉えられるかもしれないが、自由とはそういうものなのだ。「 自由 」と「 すべてが自分中心 」とは異なる。

自由には、制約がある。
自由には、自由なりのルールを前提とする。
金が、自由の大前提としてあるように。

日本

日本社会の持つ性格が、日本人が持つ感覚を形作るのだ。感覚は人類共通の概念ではない。世界中の人が同じ感覚を持っていない。文化によって、人が持つ感覚が異なるのだ。

「 甘え 」という言葉は、西洋には存在しない。人にそのような感覚がなければ、言葉も存在しない。私たちの思考は、日本語という枠に縛られているのではない、日本人感覚という枠に縛られている。甘えが存在する日本は、西洋の背中を追いかけても、論理性や効率性を求め続けても、そこに答えは存在しないのかもしれない。瞑想がマインドフルネスとして逆輸入されたように、私たちが追い求めるべきは、ただ、今を見つめること、今に集中することなのかもしれない。

【本要約】「甘え」の構造
ある国民の特性は、その国語に習熟することによってのみ学ぶことができる。国語はその国の魂に内在するすべてを含んでおり、それゆえに、それぞれの国にとって最上の投影法なのだ。

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