「面倒」とは? 〜 面倒をみる、面倒くさい

歴史

「面倒」とは?〜面倒をみる、面倒くさい

2021/9/19

公園では、人は子どもか犬を連れている。

  • 髪が黒い大人は、子どもを連れている。
  • 髪が白い大人は、犬を連れている。

人は、世話をするのが好きなのだ。

何かの生き物の面倒をみるのが好きなのだ。

何のため?

本能である。

生き物が、継続して生存していくために、「生き物の面倒をみる」という機能が備わっている。

生き物の面倒をみて、育てていくことで、人類は反映してきた。

自分と同じ人だけでなく、動物を家畜化して育てていくことで、食糧とし、乗り物とし、衣服として、利用してきた。

生き物の面倒をみることは、生きる術だったから、みんな、本能に従って、人や犬の面倒をみている。

すべての人がそうではない。
子どもが好きじゃない人もいる。
結婚しない人もいる。
そもそも異性が好きじゃない人もいる。

面倒をみることが好きじゃない人たちがいる。

私たちは、いつだって本能に従って生きているわけではない。
「お腹が空いたら食べる」を繰り返していたら、太るし、病気になる。
だから、本能を理性で抑えて、食べることを我慢したりする。

本能に従わない人もいることは、おかしなことではない。面倒をみることを放棄して、面倒くさいと言う人がいる。

人によって、面倒くさいは、違う。

・料理を作るのが面倒くさいという人もいれば、楽しいという人もいる。
・子どもを作って育てるのを面倒くさいという人もいれば、楽しいという人もいる。
・一人で居るのがいいという人もいれば、誰かと居るのがいいという人もいる。

誰かの面倒くさいは、誰かの楽しいかもしれない。
誰かの面倒くさいを、楽しい誰かがやれば、いいということだ。

自分の楽しいを、誰かの面倒くさいに当てはめる。
誰かの面倒くさいからではなく、自分の楽しいから始める。

視点の多様化こそ、読書の利点なのか。

様々な知識を得ることで、多様な視点でモノゴトを捉えられることが、できるようになる。それは、多数の目を持つことだ。物理的な2つの目を、抽象的に増やしていくことが、読書の結論なのかもしれない。

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