【本要約】神様とのおしゃべり

【本要約】神様とのおしゃべり

【本要約】悪魔とのおしゃべり
自分の中にある「正しさ」を疑う。正義のヒーローはいつも怒っている。そして、悪のボスはいつも笑っている。人間が怒る理由は、相手に期待しているから怒るのだ。

2021/9/15

現実とは何か

【世の中の原理原則】
自分の現実に、自分が望んでいないことは、何一つとして起こらない。この世はすべて、自分の望み通りである。そして、「すべてが叶っている = 幸せ」なのに、その事実に気付けない人が「自分は不幸だ」と思い込んでいるだけである。

【人生がすべて望み通りでない理由】
・願いが叶う頃に、本人が願っていたことを忘れている
・願いが複雑で、叶ったこと自体に本人が気づけない
・間違えた願い方をしたせいで、変な形で叶う

「望んでいないことが人生には起こる」と錯覚したときに、人は苦しむ。

現実に不満があるなら、自分の願いであることに気付けていないだけである。

病気になるのは「体を休めたい」と願ったからだ。

この世は自分の望み通り。起こったことはすべて、自分が望んだから起こっている。それに「自分が願った」と気付けないのが人間である。

信じる

「信じたい」という願い

「信じる」とは「こうであって欲しい」と願っている状態のことである。

「正義は勝つ」と信じているということは「正義は勝って欲しい」と願っている。

「自分が信じていること」とは「自分がそうであって欲しいと願っていること」である。

【信じていること】
①正義は勝つ
②仕事は大変だ
③簡単に幸せになれない
④努力すればお金が手に入る
【願いの形】
①正義は勝って欲しい
②仕事は大変であって欲しい
③俺のこと簡単に幸せにするなよ
④俺には楽にお金を渡さないでくれよ
「何を信じるか」は自分次第であり、何を信じても願いは叶う。

信じたことは、すべて現実となる。信じたこと以外は自分の現実には起こらない。口では何とでも言えるが、心の内に本心がある。

常識は、この宇宙に一つもない。常識は、自分が勝手に信じ込んだルールのことである。それぞれの人たちが、それぞれの何かを信じ込み、各々の常識の中で、窮屈に生きている。

幸せじゃないのは、「自分が幸せじゃない」と信じているからだ。

・目に映るすべては、「自分がそう見たい」と願ったから、そう見えている。
・聞こえるすべては、「自分がそう聞きたい」と願ったから、そう聞こえている。

信じることで目の前のすべての現実を、私たち人間は創り上げている。魔法使いのようなモノだ。

・バラを赤くて美しいと表現する人
・バラをトゲトゲしていて危ないと表現する人
・バラは、花屋で買うと美しくトゲもないと表現する人

バラを見る人の数だけ表現が違う。見たいように現実を見ている証拠だ。信じたいように信じて、解釈したいように解釈して、それを現実と呼んでいるだけだ。

たった一つの事実なんてどこにもない。あるのは見る人それぞれの解釈だけだ。

脳科学では、現実は、どこにもないことを明らかにしている。現実とは、個人の視覚・聴覚・触覚・味覚・痛覚から来た電気信号を基に脳内で勝手に作り上げている架空のモノで、人の数だけ、異なる現実がある。

現実とは、自分が信じた通りに、見えているだけの幻である。

現実は、自分の解釈だけだ。
・不幸だと解釈するか?
・幸福だと解釈するか?

固定観念

意識(二つの意識)

人間には二つの意識がある、潜在意識顕在意識である。

①顕在意識で信じていても、潜在意識の中では信じていないから、願いが叶わない。
②潜在意識は無意識下でも考えている。
③無意識下で考え続ける機能が、観念である。
④観念は無意識で考え続けてくれる便利機能である。
⑤観念をコントロールできれば、思った通りの人生になる。

観念は、自分が何かと何かを勝手にくっつけて、それがくっついたままになっている状態のことである。

【例】
お金持ち = 難しい
仕事 = 大変
細い = 美しい
お金 = 幸せ

この無数にある観念の中で強くくっついて固定化されたモノが、固定観念である。

人類みんなが、自分の固定観念の中を生きている。

お金と幸せは全く関係ない。

自分の現実に映る物質・ルール・人間関係・出来事・物理法則、すべてを自分の固定観念によって創り上げている。

昨日や、明日も、自分が信じているだけで、本当は、「今、この瞬間」しか実在していない。

周りの大人 ( 親・教師 ) を信頼して、大人の言うことを信じてしまったから、自分の今の現実がある。

赤ちゃんは何でもできる、何にも信じていないからだ。
何でもできるから何にもしない。
何にも信じてないということは、すべてを信じているということ。

限定された有限ではなく、無限というすべて、無限の「無」を信じている。そして、「無」の中には、すべてがある。そして、これから、成長していく過程で、大人たちから、つまらない固定観念を叩き込まれてしまう。

この世界は相対性の世界だから、何かと何かを比べることではじめて、すべての位置が確定する。「自分は不幸である」と少なくとも一回は思わない限り、「自分は幸せである」と実感できない。

・「自分が何を信じているのか」を知りたければ、現実を見ればわかる。
・「自分の固定観念」を知りたければ、目の前の現実を見る。

現実とは「自分が何を信じているか」を映し出す鏡のことである。

感情(感情が湧く理由)

感情とは、そもそも人間と一体化している。

・感情が湧く場所には、すべて、自分が勝手に信じ込んだ固定観念という前提がある。
・感情を振り返ることで、感情の理由を分析することで、自分の固定観念に気付くことができる。

例えば、怒りが湧いたとき、その怒りを分析しても、間違えた原因を見つけてしまう。目の前の出来事が原因だと。真の原因は「勝手に悪いことだ」と信じ込んだ自分の固定観念である。すべての原因は、自分自身である。

感情とはエネルギーの一種である。

何かを信じて独自の固定観念を保持した。その観念が投影されて現実ができあがる。その現実の中で、信じていることが、強ければ強いほど、理想との間に、ギャップができる。そのギャップを埋めようと勝手に発生するエネルギーが感情である。

感情は、自分の固定観念が原因である。

感情が湧く出来事が現実に起きたなら、それは、自分の固定観念に気付くチャンスである。

意外とは、自分で勝手に意を仕込んでおいて、その後に、その意を外して、びっくりしているだけだ。

すべての感情が湧く場所には自分が勝手に信じ込んだ固定概念 ( 意外の前の『意』) がある。

自己改革(現実を変える方法)

観念とは、何かを信じている状態のことなのだから、その何かを信じられなくなれば、すぐに消えてなくなる。

①自分の固定観念に気付く必要がある
②自分で気付くためには現実という鏡を見る
③感情が湧く出来事の周りで探す
④感情の周りに固定観念がある

二つの矛盾する信じることがあるから、現実で何度も苦しむ。

・ルールを守るのは正しい。
・ルールを守っていてはお金持ちになれない。
顕在意識で「自分が嫌いだ」と思っていることのすべてを、潜在意識では「好きだ」と思っている。

潜在意識だろうが、顕在意識だろうが、信じたことが現実に映る。自分の信じている潜在意識の意見は、他人を使って表現される。

顕在意識は自分でコントロールできる。コントロールできるのは、自分だけである。顕在意識を、心理学ではエゴといい、仏教では自我という。

固形観念を消す1番早い方法は、自分が信じる逆に歩み寄ることだ。自分が嫌いな相手に歩み寄ればいい。自分が信じている反対側を信じる勇気を持つ。

原理は簡単だが実践は難しい。現実は簡単に変えられない。

現実を変えるには、自分の考えを変えるしかない。

自分の解釈を変える。出来事を変えるのは不可能である。出来事が起こった時に、どう思うかを変えるしか方法はない。

想像

自分の現実を見て、現実よりも先に笑う。鏡は先に笑わない、鏡に映っているのは過去だ。

鏡より先に笑う。

目の前の現実も起こっていることはすべてが過去である。過去を見て考え方を先に変えなければ、ただの繰り返しである。

上を見る、現実とは違うことを想像する。想像とは、現実とは違うことを好きに思える奇跡の能力である。

鏡に映ったこととは違うことを鏡より先に考える。

何かが起こった出来事には、与えられた唯一の意味なんてない。無意味の出来事に、人間が意味を付けている。出来事を「どう思うか?」じゃない。「どう思いたいか?」である。

現実を変え、幸せになりたいなら、「現実」を見て「現実」とは違う「思いたい」ことを想像する。

人間は目の前の「現実」と違うことを想像することができる。

願望

願いことをするとき、否定語は通じない。想像すれば叶うが、想像の仕方にもコツがある。

私たち人間は「否定語という概念」を想像できない。

「私は貧乏が嫌なんです」と願ったとき、私は貧乏について考えている。

想像したことが叶う世界で、貧乏を想像し続けている。

①現実とは違うことを想像できるのが人間
②人間が望むことを想像すれば願いは叶う
③人間は否定語ではなく肯定語で、願い想像する

「嫌いなモノを嫌いだ」と考えるのではなくて「好きなモノを好きだ」と考える。

嫌なことを考えるのを止める。

嫌なことを考え始めた瞬間に「それなら、どうしたいの?」と自分に聞く習慣を付ける。

どうしたいの?
その行動は、固定観念から出た選択肢である。本来、方法は無限にある。
どうなりたいの?
大金持ち
どう感じるの?
じーん

①経験したことないことを感じられる訳がない。それでも、大金持ちの感覚を感じている。
②その感覚は経験済みで、大金持ちじゃなくても、感じられるということだ。
③固定観念の選択肢を経ることなく、その感覚を得られる。
④その感覚こそ、幸福である。

禅の世界の「どうありたいの?」の実践である。

幸福であり続ける。

人は、何もしないでよくなるために、何かをしている。働いている人は、老後に働かなくてもよくなるために、働いている。働かないことを目標に掲げて、今、働いている。

最終的な夢が「何もしないで楽になる」ことなのに、仕事をして、お金を求め、苦労する。「何もしないこと」が夢なら、今すぐ何もしなければいい。

願望手法

「金持ちになりたい」「幸せになりたい」という願いは間違っている。

・「金持ちになりたい」という願いが叶うためには、「金持ちではない現実」が必要だ。たがら、金持ちではない現実が叶っている。
・「幸せになりたい」という願いが叶うためには、「幸せでない現実」が必要だ。だから、幸せでない人生が叶っている。

願い方を間違えている。

①幸せになりたい人は、幸せになれず、既に幸せな人だけが幸せなままであり続ける。
②今、すぐ「幸せだ」と思う。そうすれば、幸せになれる。

「幸せになりたい」と願っている人が、「幸せじゃない」と裏で考えているだけだから、「幸せになりたい」と考えずに「幸せだ」と今すぐ考える。

今、信じているモノを、今、それぞれ一人一人が見ている。

①今という瞬間に、現実を創造しているのだから、今すぐ「金持ちである」と本当に信じれば、金持ちになれる。
②間違えた願い方で、間違えて信じてしまったことが多すぎるから、いきなりは、無理である。

顕在意識下だけではなく、潜在意識下でも信じることが必要だ。

充足

①「ない」ではなく「ある」を探す。
②身の回りから「不足」ではなく「充足」を探す。
③視点を変える。
④不足側から見て「ない」と言わずに、充足側から見て「ある」と言う。

今「幸せ」じゃないなら、自分が幸せを探せてないだけだ。今、既にある幸せを、身の回りから探す。遠くに探すと不足になる。身の回りに見つければ充足になる。

足るを知る
老子

「もう充分だ」と言えた人から、このゲームを終えることができる。

充足を見つけるトレーニングを繰り返しているうちに、充足が習慣化され、潜在意識も充足を信じはじめる。

・幸せな人がいるわけじゃない。
「幸せ」だと思った人がいるだけだ。
・金持ちな人がいるわけじゃない。
「金持ちだ」と思った人がいるだけだ。

不足

不足も重要な要素だ。

「ないからこそある」と思える。

私たちは、不足という欲望を感じるから、充足という希望を求めて生きる。

・不足がない世界はつまらない。
「願い」というのは不足のことだ。

・充足ばかりの世界はつまらない。
不足は必要だ、人生を楽しむために。
叶ってない夢があるから、人生は楽しい。

欠乏

現実とは、観測者である自分が、好き勝手に解釈しているだけのモノである。

既になりたいモノになれている人が、それになることはできない。お金持ちになれている人は、お金持ちになれない。

ただ、その願いを叶える方法は、「なれていない状態」を、わざと一度創り上げればいい。欠乏を発生させる。だから、「欲しい」「なりたい」は、すべて欠乏を生む。なぜなら、すべての現実は、今、創造しているのだから、「なりたい」という願いを叶えるためには、一度、「なれていない」から創造しなけれはならない。これを欠乏欲という。

すべてを持っている存在だからこそ、願える欲望が、欠乏欲である。すべてを持っている人の「欲しい」を叶えるためには、一度それを「欠乏させない」と叶えることはできない。

【人間の3つの欠乏欲】
・自我の欠乏欲
・安全の欠乏欲
・存在の欠乏欲

すべてを束ねているのが、幸福の欠乏欲である。

「幸せになりたい」と願うということは、一度わざと「幸せじゃない状態」を創らないといけない。本来、人間は既に何もかもを持っていて、幸せである、すべては既に叶っている。

「幸せになりたい」を叶えるためには、一度「幸せじゃない状態」にセットしないと「幸せになれた」という願いの達成が得られない。

「欲しい」や「なりたい」は、不足を前提に生んでしまう。

不足しないためには「なりたい」ではなく、「既にそうである」と信じる。「なりたい」ではなく、「ありたい」。「なりたい」と思わずに「そうである」と信じる。

目の前の不足は見えるが、既に持っているモノは見えない。だから、「欲しい」と思わずに、「持っている」と信じるのは難しい。持っているモノは見ることができない。一体化していて現実世界には証拠が現れないからだ。

・「なりたい」と思わない。既になれている。
・「欲しい」と思わない。既に持っている。

見えるモノは不足だけだ。充足は感じることしかできない。

悩み

「迷える」ということ自体が贅沢である。

どちらか「迷っている」ということは、実はどっちでもいい。「迷っている」という時は、どっちが答えになっても困らない。

人間は悩む。でも、悩んでいる時に、気付けていない。

「悩んでいる」ということは、実は、どっちでもいいからこそ、悩んでいる。

「悩み」とは選択肢のことだから、選択肢がないところに、「悩み」は絶対に発生しない。一つの選択肢を前に悩める人間なんて絶対にいない。

どっちでもいいことに悩んでいるのに、悩んでいる自分が、なぜか「どっちかにしなければならない」と義務感を感じて苦しんでいる。悩めた時点でどっちでもいい。

どっちでもいいのだから、悩んだら、とにかく、悩むことをすぐに止める。悩むことは時間の無駄である。

判断

現実を創り上げているのは、いつでも、それを見ている自分である。人間は、今、ある現実を見て「悪い」と判断する。

自分を超える部分をもっと信頼する。

自分を超える部分
=自分が信じていること以外のすべての部分
=自分が信じていないことすべて

自分が信じていないことを信頼するのは、不安である。人間は、自分が信じている範囲内から選びたいと願う。自分が信じていないことを選択すると不安になる。

・お金を信じた人にとっては、お金がなくなると不安になる。
・恋人を信じた人なら、失恋で不安になる。

自分を超えた不安の部分にこそ、正解はある。
自分が、信じていることよりも、信じていないことの方にこそ、明るい未来がある。

未来・過去・現在という全体が見えず、自分の場所から見ると、悪いことに見えるかもしれない。でも、その悪い出来事さえ、未来に起こるもっと大きな幸せの布石である。良し悪しの判断をやめる。判断を未来へと先送りする。

人間に見えている可視光線は、光の0.0000000001%よりも、小さい範囲である。
・人間には見えていないだけで、そこには、光が存在する。
・人間には聞こえていないだけで、そこには、音が存在する。
・人間には嗅げていないだけで、そこには、香りが存在する。

人間には、信じられないだけで、解決策はたくさん用意されている。

現実は、五感の総和である。
見える × 聞こえる × 嗅げる × 味わえる × 触れる = 信じられる

信じてない部分の方に、たくさんの正解があるのに、信じてない部分のことを、人は、不安と呼び、恐れ、遠ざけてしまう。

自我は、いつでも、自分の信じた範囲内で、現実をコントロールしようとするが、現実の宇宙は、すべてが、既に、完璧にコントロールされている。

自我の欠乏欲
=自分の思い通りにしたい
=自分だけが信じる範囲内で現実をコントロールしたい

不安を勇気で制し、どうにかなると信じる。実際、どうにかなる。

お金

賽銭箱

「人よりもお金が好きです」と正直に宣言する。

お金が欲しいなら、お金をもっと愛しなさい。

「お金持ちになるのは難しい」「お金を稼ぐのは大変だ」と思っている。

だから、潜在意識の中で、お金を手に入れるのは苦労を伴うと信じている。固定観念となっている。
お金持ちになるのは難しくない、いや、簡単である。

本当の金持ちは、与え上手である。手放し上手である。

人は「簡単に手に入る」と思うものは、簡単に手放す。空気を吸って吐くように。
空気は、「また手に入る」と思うから、すぐに吐き出す。そして、「また手に入る」と信じているから、思考が現実化し、実際に、次の空気がすぐに入ってくる。

賽銭箱は、金持ちバロメーターボックスである。

人は手放したときと同じ態度で、手に入れる。

・500円を簡単に手放す人は、簡単に500円を手に入れる。
・10,000円を無理しながら手放す人は、10,000円を無理しながら手に入れる。

軽い人には軽い。
難しい人には難しい。
無理な人には無理である。

自分のお金に対する信念が測れる。

等価交換

人間はお金ばかりに価値を与えている。

本来、すべてがモノとモノの等価交換だったのに、お金だけを等価で交換していない。「お金の方が価値がある」と思い込んでいる。

スーパーで100円で水を買った。
店は水を提供した。
お客はお金を提供した。
水とお金を交換した。

しかし、お金を払った「お客が偉い」と思っている。「お金を払う側が偉い」と思っている。価値の交換でしかないのに。

喉が渇いてたまらない危機的状況 ( 例えば、砂漠 ) では、100円持っている人より、水を持っている人の方が偉いように感じる。

「お金を稼ぐのは大変だ」という固定観念が、「お金を払う方が偉い」というような価値観の根源になっている。

学び

自分の右手と左手でジャンケンをしても、そこには学びはない。

学びとは、知らないことを知る行為である。だから、教える者 ( 知っている者 ) と学ぶ者 ( 知らない者 ) が、同一人物だと、何の意味もない。関係性を学ぶためには、自分以外の存在が必要である。ひとつなる者は、ひとつなるが故に、何も学べない。

目の前の他人がどんな相手であろうと、学ぶことがたくさんある。

出会う人の数だけ、関係性が発生する。ということは、出会う人の数だけ、新たな学びがあるはずだ。

自分が知らないことを1番よく知っている人は、自分が嫌いな人である。
自分が嫌いなのは、価値観が違うから、相手が何を考えているかわからないからだ。
自分がわからないことを、嫌いな人はたくさんわかっている。

感情に振り回されると、いつまでも感情をコントロールできない。

自分の価値観に囚われ「自分の価値観が絶対だ」と信じている。
それが「知らない」ということだ。
価値観に「正しい」も「間違い」もない。

学ぶとは、知らないことを知るということだ。私たちはひとつでも多くのことを知るために生まれてきた。嫌いな人に歩み寄ることが、最適な学習方法である。

褒める

他人の努力をただ褒めるだけで、他人の行動をただ「素晴らしい」と言うだけで、他人を褒めることで自分の幸せに気付くことができる。

自分が幸せになりたければ、他人を幸せにすればいい。これが最短ルートだ。

お金が使いきれなくなったお金持ちは、周囲にお金を回すようになる。お金が周りに溢れていく。自分が金持ちになるより、誰かを金持ちにしたほうが、楽にお金が回ってくる。

お金持ちは「周囲を幸せにしよう」と常に考えている。周囲を褒めている。

貶す

人は、他人を傷付けることは絶大にできない。他人が自分を傷付けたんじゃない、自分が自分を傷付けている。

自分が思っていることを相手から言われるから傷付く。

・「バカだ」と言われて傷付かないのは、自分のことを「バカだ」と思っていないからだ。
・「デブだ」と言われて傷付くのは、自分が「太っている」という自覚があるからだ。

相手の口から出た言葉を1番認めているのは自分である。

相手も含めた、特定の誰かの意見を支持するから苦しくなる。自分の意見すら支持しない。そうすれば、絶対に苦しいことは二度と起こらない。

夢と悩み

夢とは叶えられるからこそ、その夢がその人の現実に映っている。

夢を抱いた人は、なぜだか、「自分の夢だけはハードルが高い」と錯覚する。

・夢があったら他人に語る。
・背中を押せるのはいつでも他人だけだ。

悩みも本人にとってだけ、大きく見える。他の人から見たら、何でもないことだ。

悩みは「大したことがない」と気付けるまでが、悩みだ。

そして、気付いた瞬間に消える。今日も自分だけが大切にその悩みを悩み続けている。

人間は生まれる前に、ひとつだけこの世界で絶対にやることを決めている。

すべての人間に共通した宿命である。

それが死ぬことだ。

誰一人として「死んだらどうなるのか」を体験しない人はいない。

みんな、いずれ死ぬ。

死は100%起こる。だから、待っていれば絶対に体験できることについて考える暇があるなら、生きている間に、この世界でしかできない様々な体験をする。

全員が体験する死とは違って、人の解釈の数だけ体験がある。

・自分が見たらどうなるのか?
・自分が聞いたらどう感じるのか?

その答えは自分にしかわからない。

矛盾

ないモノは、人には与えられない。

どんな仕事にも共通しているのは「他人に幸せを与える」という点である。

「既に自分は持っている」と信じる。持っていることを信じきれれば、自然と出てくる。あとはそれを誰かに分け与える。それがいつの間にか、仕事になるはずだ。

他人を批判してはいけない。すべてを認めない限り、幸せにはなれない。

「何かを意見を言う」ということ、同時に「何かをダメだ」と言っていることになる。「意見を言う」と言う時点で絶対に矛盾が生じる。

NOと言うから、批判になる。すべてにYESと言う、すべての意見を認める。存在しているすべてを、「それでいい」と認めてあげれば、矛盾なんて生じない。矛盾すらも認めてあげることが、すべてにYESと言うことだ。

矛盾を認めるのは難しい。

人間は片方の意見だけを認める性質があり、「たった一つの正解がある」と常に思っている。

だから、矛盾が許せない。

矛盾の壁を乗り越える魔法の呪文
「いーんだよー」

いつでも言葉の最後に言うことだ。

ポジティブなことを考えなきゃいけないのに、ネガティブなことを考えてしまうことがある。

そんな時も「いーんだよー」

ネガティブなことを考えてしまったけど、まいっか。ネガティブに考えたことをネガティブに捉えていない。結局、最後の感情だけが大事である。

どんな感情が起こっても「いーんだよー」

「いーんだよー」で、すべての感情がポジティブに裏返る。

感謝

不安になったら感謝を始める。

感謝とは、起こる出来事の全てを認める行為なので、1番大切だ。

ただ、そう聞いた人間は、「感謝が幸せになるための道具だ」と勘違いを始める。感謝をすることで、幸せになれる。

感謝すると特殊なエネルギーが自分の中に湧いてくる。これが湧くと不安は消えて幸せになる。感謝しているときこそ、人間は幸せなのだ。

幸せになるために感謝するんじゃない。感謝している間、幸せなんだ。

苦しくなったら、悲しくなったら、不安になったら、悩んでしまったら、すぐに、その場で感謝の念を体内に沸かせる。

不安になったら、その場で「ありがとう」と言う。

何度も何度も「ありがとう」を唱え続ける。

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